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生きるとは、ただ、生き、愛し、食べ、死ぬこと 2010.7.18


 七年間、自宅に引きこもっていた青年が練炭で自殺した。
死ぬ気でやればなんだってできるというが、
一度でも落ち込んだことのある人ならわかるだろう。
死にたくなるような精神状態が、死に物狂いで何かに立ち向かうという精神状態に反転するはずがない。
七年間がどんなに苦しかったか、それを思ってただ慄然とするばかりだ。
そして、思うのは、やはり、こんなことは間違っている。絶対何かが間違っているということだ。
生きるということをこんなに面倒くさいことにしてしまったのは一体どこのどいつだ。

生きるということはただ、食い物を食い、誰かを愛し、そして死ぬことだ。
それ以外に何かあるのだろうか。

だから、最低でも自分の食うものを手に入れなければならない。
そのために仕事があるのだが、その仕事がえらい面倒くさいことになっている。
正社員だ、フリーターだ、ニートだ、
資格だ、学歴だ、コミュニケーション能力だ、適性だ、
生きがいだ、やりがいだ、自分にあった仕事だ、

いったいそれがどうしたというのだ。
仕事の基本は自分の生きるための食い物を手に入れることだろう。
そこに正社員もフリーターもない。

食い物を手に入れられなければ死ぬしかない。
だから、ホームレスはコンビニのごみ箱をあさるし、
仕事にあぶれた若者は振り込め詐欺もやるし、
コンビニ強盗もする。

生きるとはそういうことだ。
善も悪もない。
みな必死だ。

戦後の闇市でみな法律を破って何でもやった。
浮浪児はかっぱらいもやった。
みな生きるためだ。

家にこもって親の年金で食わしてもらうより、
コンビニのごみ箱をあさって旅をしたい。
畑のきゅうりを盗んで食べてでも生きたい。

自殺よりも野垂れ死にを選びたい。

大学を出ると、その学歴を生かせる仕事につかないと人生が終わってしまうのだろうか。

とにかく面倒くさい世の中だ。
ただ生きるというこを許さない。
何者かにならないと生きていられない。
食い物を手に入れるためではなく、生きがいのために働く。
いつからこんなことになってしまったのだろう。

逆に言えば、
働かなくても家にこもって生きていけるということがおかしいのだ。
働かなければ飢え死にをする。
これがあたりまえの生き物のありかただ。
空腹になればそれを満たすために何かしら動き出すだろう。
何か食べたい、
死にたくない、
それが生の原動力だろう。

どこでそれが転倒してしまったのだろう。