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どこがおかしいのか教えてほしい 2009.11.25


  それはこういう話だ。
おふくろが昼間芋を天日に干したのだが、それを取り込むのを忘れたということに夜中の二時ころ気づいて目が覚めたという。
こういうことはよくあることで、心に無意識にひっかかっていることが眠っている間に意識の上に浮かび上がってきて起きてしまうことはままある。
そこまではいい。
そこでおふくろは夜中の二時だというのに、起きて外へ出てみると、既に芋は跡形もなく、片付けられていたというわけだ。

片付けたのは親父であった。
親父は当たり前のことをしただけという意識があるので、ことさらおふくろにはそのことを言わなかったのだ。
問題は次だ。
おふくろの言い分はこうだ。
芋がそのままそこにあれば絶対に自分は気づいて片付けたはずだが、親父が片付けてしまってそこに芋がなかったから、芋を片付けるのを忘れてしまい、夜中に起きることになったのだと。
親父が一言、片付けておいたと言ってくれれば、夜中に起きることはなかったというのだ。
確かに、そのとおりだが、なんだかおかしい。
何がおかしいのかよくわからない。
芋が片付けられていたから、自分が片付けるのを忘れたのだというのがよくわからない。
芋を干したのも覚えている。
芋を片付けるのを忘れたことも覚えている。
だから、夜中に気づいて起きたのだ。
しかし、芋が片付けられていたことには気づいていない。
片付けられていたことになぜ気づかなかったかといえば、まさしく片付けられていて、芋がそこになかったからだ。
芋の存在がなかったから、芋が片付けられていたことに気づかなかったというわけだ。
何回書いても何かしっくりこない。
とにかく、おふくろは昂然と主張するのだ。
芋がそこにあれば絶対に自分が片付けたはずだと。芋がなかったから芋を片付けるのを忘れたのだと。
あれ?
だからつまり、芋がなければ片付ける必要はないのだから、芋を片付けるのを忘れたというのはおかしいじゃないか。
だれか助けてください。
頭がおかしくなりそうです。