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「冥途 IN INDIA」

    ==インド旅行記==第三回


かまわねえから鳴らしてくれ!

 デリーからジャイプールへの道は一本で迷いようがない。専用車で一路マハラジャの町ジャイプールへ。しかし、どんなにとばしても時速60KM以上は出ない車である。それに、どこを見ても新車は走っていない。これは理論上おかしい。最初から中古車というのはないはずだ。何かからくりがあるはずだ。排気ガスもひどい。これではCO2の削減も無理だろう。インドは地球温暖化会議には出席していただろうか。方向指示器が壊れて点滅しっぱなしの車が通り過ぎた。

 トラックの後ろには必ず英語で「HORN PLEASE」と描いてある。確かにここインドの道路はひっきりなしにクラクションが鳴り響き、すさまじい様相を呈している。鳴らされた車は別に怒るでもなく、あせるでもなく、ゆっくりと左によける。抜かした後で振り返って見ても、全然気にしている風でもない。ここではおそらくクラクション殺人は起こり得ない。なぜなら、速い車が先に行くのが当たり前、のろい車がよけるのが当たり前、のろい車が走っていたらクラクションを鳴らすのが当たり前だからだ。

 インドの車にはサイドミラーがない!

 なぜこれほどクラクションに頼るかというと、インドの車にはサイドミラーがないのだ。なぜサイドミラーがないかというと、おそらく狭い道路を数センチメートル単位ですれ違うためだろうと思う。だから道路は騒音だらけだ。これはインド人の日常会話に似ている。彼らの会話は弾丸のように早口で、まるで喧嘩しているよう激しい。会話の後は一仕事終えたようにすがすがしい顔をしている。みんな力強く自信をもってしゃべっているようにみえる。気弱そうに「あのう、すみませんけど・・」といった感じのしゃべり方をする人はいない。

 さて、こんな交通状況の中に平然と割り込んでくるのが、ヒンドゥー教の聖なる牛だ。野良牛がニューデリーの片側四車線の大通りに堂々と割り込んでくる。そうすると一時そこで交通は麻痺する。牛が通り過ぎるとまた何事もなかったように車が流れ出す。この非効率がたまらない魅力だ。これがインドだ。牛以外の動物は情けない。犬の轢死体はあちこちに放置してある。そういえば猫の死体は見ない。いや猫そのものを見なかった。インドに猫はいないのか。

 猫のかわりに交差点でやたらに見かけるのが手をつないだ男同士だ。インドにはホモが多いのか、単に仲がいいだけなのか。中年の男同士が平気で手をつなぎ合っている。やっぱりホモかなあ。

 ところで、インドでは金さえあれば一週間程度で車の免許が取れるという。はしっこい人はインドで免許を取って日本へ帰り、ちょっと手続きするだけで通用するらしい。そんなはしっこい人はもうそれだけで偉いから許す。

 インドの建物はレンガ造りが多いが、沿道にはその材料となる赤土がどこにでもある。小さい子どもが赤土を掘って運んでいる。一方で、いい大人達が昼間から道路端に座ってトランプしている。なんだかよくわからない国だ。

 ガイドのラケシュさんはマンツーマンで私についてくれているわけだが、去年、山本寛斎がインドで展覧会を開いたとき、その娘さんの案内人を務めたりもしたという、超多忙な人なのだが、靴下に穴があいていたのを私はしっかり見た。

宝の山、ジャイプール

 ジャイプールのあるラジャスターン州に入ると、山が多くなる。ラクダもふえる。この山は文字どおり宝の山で、宝石や大理石のとれるものが多く、ほとんどを元マハラジャが所有している。マハラジャというのはイギリスが入る前まで、その地方を治めていた王様と考えればいいのだが、これはカースト制とは必ずしも一致しないという。いずれにしてもこの地方は豊かな街である。なぜなら、子どもの頃は視力がいいので宝石磨きの仕事、年をとったらジュータンなどの手仕事というように一生仕事があるので、食いっぱぐれがないのだ。生活に余裕があるので娯楽も多い。ここにはインド一という大きな映画館もある。夜9時からの上映もあるというので、券があるかどうか調べてもらったら、ちょうど5日前にイスラム教徒とヒンドゥー教徒の暴動があって、危険だから夜の映画は中止になっているという。けっこう日常的に宗教対立の暴動があって人が死んでいる。実のところ、今朝からチャーイの飲み過ぎで腹が気持ち悪くなっていたので、そんなに行きたくはなかったのだ。身体は拒否しても、言葉が「行きたい」と言ってしまう。そうして後で後悔する。そんな繰り返しの旅行であった。

 チャーイは砂糖たっぷりのインドの紅茶。途中の休憩所で飲んだチャーイはラケシュのおごりだ。一杯1、2ルピーらしい。次に寄ったドライブインのような所で飲んだチャーイは20ルピーも取られた。これは私のおごりだ。ラケシュのやり方はとてもうまい。ここは政府直営だから高いのだという。そのかわりトイレはきれいで、例によってトイレに入ると男の人がいて案内してくれる。手を洗うとすぐ、手を拭く紙を渡してくれる。金は要求しなかった。この人は一日中トイレの中でだれか来るのを待っているのだと思ったら蟻地獄を思い出した。庭では夫婦らしき二人が仲良く枯葉を集めて掃除していた。その周りを子どもが二人とびまわっている。とてもよい雰囲気だ。ラケシュに言わせれば、この人たちは一日30ルピーくらいの給料で一生ここで庭掃除をして暮らすのだという。チャーイが一杯20ルピーでそれはあんまりじゃないか。

 しかし、ラケシュだって、大学を出て日本語が話せるこんな優秀な人だけど、休暇も取れず、靴下に穴があいているのだ。彼は一度日本に来たことがあるらしい。東京、大阪、京都を回ったらしい。また日本に来たいかと言ったら、日本に保証人がいないとビザがおりないのだと言う。インド人が外国に行くのはけっこう難しい条件があるようだ。彼の楽しみは貴金属類の収集だ。見事な宝石のついたネックレスやブレスレットを自慢して見せてくれた。手にはでっかい宝石の指輪がいっぱい。

 安いチャーイ屋では子どもが洗濯をしていた。「偉いね」といいながら見ているとニコニコして張り切る。石鹸をつけた布をコンクリートにたたきつける。たたきつける労力と汚れの落ちる効果とは果たして釣り合うものなのかどうか疑問であるが、洗濯はこうでなければならないという哲学があるらしい。

 インド人は寒がりだ。全身に毛布を巻いて顔だけ出している男の人がいる。私とラケシュが話をしていると、その顔だけ出してる男の人がすぐ後ろに立って話を聞いている。日本語はわからなくても日本人に興味があるらしく、離れない。ただ黙って聞いている。このへんがすごく正直だと思う。興味があるから近くに寄ってくる。でも日本語を話せないから黙っている。でも興味があるから離れない。そんな感じでとてもナイーブだ。

ホテル到着。二日目の夜。

 ホテルの名前は「ラージプタナパレスシェラトン」意味不明。シェラトンはあの有名なシェラトンだ。

豪華だがサービスがそっけなくて嫌いだ。夕食は団体が優先で、一人きりの私は後回しにされた。腹が減っているのにあと一時間後だという。馬鹿にしている。頭にきた。ここのウェイターは頭にターバンを巻いて全身派手な緑色の衣装を着て何か威張っている。仕方がないから、中庭の踊りを見物する。民族衣装をつけた男の子と美しい女性だ。足に鈴がついていて、踊る度にきれいな鈴の音が響く。首を器用に動かし、手首の関節がよく動く。百年前まではだれもがこの踊り子のような服を着ていたというのだが、イスラム風の千夜一夜に出てくるような衣装だ。人形使いもいる。人形一体40ルピーだという。

 やっと、夕食にありついた。カレーも飽きたけどやっぱりカレーが一番おいしい。飲み物はどうかと聞くからコーラをたのんで、無理矢理まずい食事を流し込んでレストランを出たら、雲つくような大男のウェイターが追いかけてきた。正直ビビった。コーラの代金を払えということらしい。いくらだというと40ルピーだという。さっきの人形と同じ値段だ。高いと思った。キャッチバーと同じだと思った。チャーイが昼間2ルピーだったじゃないか。でも怖いから素直に金を払ってすぐ寝た。

インドに行ったら会いたい人は マハ、マハ、マハラジャ

 今日も同じホテルに泊まるので、荷物はそのまま置いていく。

 まず「風の宮殿」へ。

マハラジャが市街をパレードする時、宮廷女性や妃たちがここから見物したのだという。小さな部屋がいっぱいあって、その窓の一つ一つから美しい女性が下を眺めていたのだ。風通しがよくて涼しい設計なので「風の宮殿」と呼ばれた。見学のため車から降りると、例によってかわいらしい女性がゆっくりと私の目の前に手のない手を出す。風呂に入ってないから汚いけど、とても美しくやさしい笑顔だ。これが宗教の力だと思う。誰にも相手にされずここで一日物乞いをして終わる一生。これは私だと思った。一万光年の光が地球に届くには一万年かかる。つまり、今見えているあの星は実は一万年前の星なのだ。ということはつまり、この女性が前世の私であってもちっともおかしくない。そんなことを思いながら私はもう一人の美しい私を無視して車に乗った。

 次はアンベール城。

高い山の上の城だから、王様は象に乗って上ったという。私たち観光客もその象のタクシーに乗って行く。ラケシュは顔がきくので順番をごまかして乗ろうとしたら、不正を嫌う若者がいて乗せてもらえない。私はえらいと思った。ごまかしてぬけがけするのは嫌いだ。いくらでも並べばいいと思った。ところがラケシュはその若者となにやら大声でやりとりしている。そうして結局その若者の象に乗ることになった。結局インド人はワイロに弱い。象のタクシーはものすごく揺れる。女性は悲鳴をあげている。途中、その象の運転手は奇妙な剣を出して見せ、買わないかという。下では物売りがずっと一緒についてくる。人形を買えだとか、写真を撮ってやるとか、いろんな人がいる。写真はもちろんサービスではない。たとえ自分のカメラを渡して撮ってもらっても高い金をとられる。うっかり頼めないのだ。

 この城の周囲の山には城壁がはりめぐらされていて外敵を防いでいたので、ずっと何百年も戦争はなかったそうだ。この国に入るには険しい山に挟まれた道が一本しかなく、その道には二重三重の堅固な門が造られているのだ。

 アンベール城に着く。宮殿の中はとにかく豪華だ。特にハネムーンの部屋は扉を閉めると真の闇となる。そこで一本のローソクをつけると天井に散りばめられた無数の宝石が星のようにきらめくという演出だ。無理矢理連れてこられた女性もこれでいちころだ。とにかくこれはすごい。その他、ステンドグラスあり、象牙あり、建物の材料は全て大理石で見事な物だ。野菜の汁で描いたという壁の絵は今でも当時の色を保っている。一緒に見学していたインド夫人は映画に出てくるような美人。女の子を二人連れている。二人はそのお母さんのまわりでぶったりぶちかえしたりして喧嘩している。妹の方がお母さんに何か言いつけるが、お母さんは知らんぷりしている。どこも同じ親子姉妹の風景だ。どこからか旦那さんが出てきた。これがまた太くてでかくてごつい。これがインドの典型的な夫婦だ。

 アンベール城の帰りは歩きだ。さあ、また物売りとの攻防戦が始まる。人形売りのおじさんは最初30と言った。安いと思ったら30ドルだという。ざけんなよ。後で300ルピーに下がり、遂に下の駐車場までついてきて50ルピーまで下がったが買わなかった。一ドル100円、一ルピー4円で計算しても、3000円から200円に下がったことになる。そこまで値段が下がるともう値段じゃない。商品が売れるには「命がけの飛躍」があるというマルクスの言葉が思い出される。どんなに価値があっても売れなければそれはつまり0円なのだ。アンベール城にある宝石は全て自分の所有する山から持ってきたものだからタダだ。商売とは原初的なコミュニケーションの形なのだ。他者とのみコミュニケーションは成り立つ。援助交際とはだからコミュニケーションの原初形態なのだ。私と物売りとのコミュニケーションは遂に成立しなかったということになる。

 午後はシティーパレス。

ここは元マハラジャの宮殿で、今は博物館になっている。とにかくマハラジャの財力はケタ外れだ。その下におそるべき貧困があり、しかも、人々はマハラジャを尊敬し慕っている。そのマハラジャは今どうなっているかというと、大資本家となって昔よりさらに裕福になっている。この博物館の収入も何割かはその元マハラジャに入ることになっている。今、その人はどこに住んでいるのかと聞くと、すぐこの隣に住んでいるという。高い壁に囲まれた広大な敷地に今も虎や象を放し飼いにして住んでいるという。

 この博物館の入り口に受付のような机が置かれ、そこにターバンを巻いたおじさんが3、4人いて愛想をふりまきながら近づいてきて一緒に写真を撮ろうという。あまりに自然なのでついうっかり言われるままに写真を撮ったら、一人5ルピー取られた。ここはインドだったのだ。熊本城の入り口の鎧を着た姉ちゃんとは違うのだ。彼らはこれで飯を食っているのだ。

 細密画はとにかく綺麗で細かい。マハラジャはそれを膨大な数作らせている。妃の服は全身純金。かゆい背中を掻く「孫の手」は日本とおんなじ形をしているが純銀だ。ガンジス川の水を入れて運んだという銀の壺は世界最大でギネスブックにも載っている。「インド人もびっくり」という言葉の意味が本当によくわかった。インド人はちょっとやそっとではびっくりしないのだ。

 天文台にも行った。ビル十階建てくらいの高さの巨大な日時計がある。その他に、生まれた星座ごとに違う日時計があって、太陽に向かう角度や高さが違う。これは結婚や出産などの占いに使うのだという。天文学は実利の学だ。

何でもありの国インド

 道路は人も牛も犬も猿も豚も一緒に歩き、自転車、バイク、人力車、ロバ車、象のタクシー、ラクダのリヤカー、トラックが一緒に走る。服はサリーから洋服まで、通貨はドル、円、ルピー、何でも通用する。言葉は公用語だけでも十数語。インド全体では何百という言語がある。日本語のできるラケシュでさえ同じ国内でわからない言葉がいっぱいある。肌の色は真っ黒から西洋人のような白まで。身分はマハラジャから物乞いまで。宗教はヒンズー、イスラム、仏教、キリスト教、シーク教、サイババまで、なんでもありだ。そしてインドは回転している。全ては輪廻転生する。だからだれもが今の生をしっかり全うすることだけを考える。ホテルでは旅芸人の踊り子がくるくると回っている。インドの踊りはとにかく回る。見ている私は目が回る。人も金も回っている。ゆく川の流れは絶えずしてしかももとの水にあらず。

 夕方、宝石屋に連れて行かれる。別室に通され、5、6人の屈強な男たちに囲まれる。決して無理強いはしないが、これは恐怖だ。次から次へと何十万もする宝石を目の前に並べられて買うまでは外へ出さないという雰囲気だ。いらないと言って外へ出てしまえばそれですむのだが、ラケシュはこういう店と提携していて私が買えばいくらかリベートをもらえるのだろうと思うと、私一人のために朝から晩までつきっきりで世話してくれるラケシュのために、高いと思いつつ宝石を一つ買ってしまった。そのあと、細密画の店に連れていってもらった。博物館で見た細密画が忘れられなかったのだ。しかしこれも宝石同様、いいものは何万円もする。たのみもしないのにエッチな絵も見せてくれた。マハラジャと妃が睦み合っている絵。どうせこれも日本人の需要があって作られているのだろう。江戸時代の浮世絵とよく似ている。私の気に入った一枚の絵をラケシュは店主と交渉して一生懸命まけさせようとして最後は喧嘩になってしまった。どうもさっきの宝石屋で随分私に損をさせたので、その分をここで埋め合わせようとしていたのではないかと思う。とにかく安くしてもらって帰る時、店主は口もきこうとしなかった。本当に怒ってしまったようだった。ラケシュはその店主と無理矢理握手して車に乗った。ラケシュは車の中で、本当に安くしてもらって本当にラッキーだったと繰り返した。

 ホテルへ戻る途中、踏切の遮断機が降りていた。歩きの人や自転車などはどんどん遮断機の下をくぐって通っていく。列車が来るまであと10分はかかるというので、迂回することになった。迂回するのに5分以上はかかったと思う。さっきの踏切のそばを通った。遮断機はまだ降りたままだった。これがインド時間だ。

インド人は語学の天才

 夜、ラケシュと少し話す。彼はデリーに妹と兄とお手伝いさんと一緒に住んでいる。日本語は6カ月しか勉強していないのにほとんどの日常会話ができる。他に英語とヒンディー語とベンガル語ができる。今度さらに漢字と平仮名の勉強をするために大学の聴講生になったといって学生証を見せてくれた。勉強しないと仕事がないからね、とさらりと言う。勉強は仕事に直結する。あいまいなところがない。日本の勉強はあいまいだ。学歴はたしかに仕事に結びつくが、学歴とはただ学校に通ったということでしかない。学習した内容がそのまま仕事に結びつくわけではない。嫌でも何でも教室に座っていれば卒業させてくれる、いや、座っていなくても誰かのノートを借りて試験だけ受ければ卒業させてくれるという、わけのわからないシステムを作ってしまった罪は重い。学問は面白いからやるのだけれど、必ずそれは実際の利益に通じていなければならない。例えばコンピューターのプログラムを勉強する時に、命令言語をただ覚えようとしても覚えられない。実際に作りたいプログラムがあって、具体的に考えていく過程で他の人が作ったプログラムを参考にするとすごくよくわかる。準備段階とかアマチュアの段階とか、そういう期間は本来必要ないのだ。剣道ならいきなり真剣を使う。最初からプロとしてデビューする。おそらくそうあるべきなのだ。いや、「べき」ではなくて、それしかないのだと思う。医者にはインターンという時期があるけれども、医者に準備期間というのは許されないはずだ。初心者なので診察を間違えましたということは通用しない。これはしかし全ての仕事にあてはまる。

 話がずれてしまったが、勉強は面白いからやるのだし、必要だからやるのだ。やらなければならないからやる勉強などというものはこの世に存在してはならない。そして学問は全て最初から万人に開かれていて、そこに段階などは存在しない。相対性理論は大学でないと学べないというような決まりはどこにもない。相対性理論は既に小学生の時のアインシュタインの頭の中にあったという。ただ数学を学ぶまでそれを表現する言葉が見つからなかったのだという。つまりはそういうことだ。

12月24日 クリスマスイブ

 といっても、街のどこにもクリスマスツリーはない。ここはインドだからな。日本が異常なのだからな。といってもインドだってもう学校は休みだし、仕事も休みなのだ。インド人だって観光するのだ。だからどこへ行っても混んでいるのだ。

 今日はジャイプールからアグラへ自動車による移動だ。ジャイプールの街をはずれるとかなり大きなハリジャンの部落がある。テントがすき間なく続いている。朝の炊事の煙があちこちで昇っている。黒光りする肌とボロボロな服ですぐにわかる。洗濯というものをしたことがないのだろう。髪の毛はボロボロのモップのようだ。それよりも嫌なのは道路のあちこちで平気で糞をする人々だ。誰が見ていても平気だ。さすがに女の人はいなかったが、子どもたちは交通量の多いメインストリートの脇でこちらを見ながらうんこしている。たまにお尻を向けているやつもいる。お尻にくっつくような大きなうんちをしている子がいる。そのうんこはどうなるんだろうかと心配になった。その近くを放し飼いの豚が子連れで歩き回っていた。まさか豚が・・。車に乗ってこうした町並みを見ているだけでどきどきしてくる。牛の死骸に食らいついている犬の群がある。猿にリンゴをやっているおばさんがいる。ビー玉している子どもたちがいる。凧上げしている子どもたちもいる。なつかしい風景だ。

 ドライブインで休憩する。ガネーシャの絵を500ルピーで買った。象顔の神様であるガネーシャがことのほか気に入ってしまったのだった。芥川龍之介の「鼻」はガネーシャがモデルかもしれない。木彫りのキーホルダーを買おうとしたら後で良い店を紹介するからといって買わせない。どうも嫌な感じがしたが、言葉に従って買わなかった。後で後悔することになる。

 途中、ラケシュが売春宿があるというので、見ると、非常に派手な建物だ。大通りに面して大きな鮮やかな色の看板がかかっている。もちろん読めない。部屋がいくつもかたまって建っていて、子どもたちが遊んでいる。みんな売春宿の子どもたちなのだろうか。だとしたら誰の子かわからないのではないか。でも確かに子どもはたくさんいたが、大人の男の人は一人も見えなかった。いったい誰がここの女性を買うのだろうか。よくわからなかった。

 再びインドの踏切を体験した。今回は上りと下りの列車を続けて待ったので、30分以上かかった。どうしてこんなに待たせるのかよくわからない。正確な通過時刻を計算するシステムが出来ていないということなのだろうか。車はその間何百台と足止めを食う。人々は車から降りて小便したり、たばこをふかしたりして時間を持て余している。私は寒いので車の中で震えていた。どこからか物売りが来て落花生のようなものを売り歩いている。誰も買わないようだった。

 遮断機が上がり、長い車の列が動き出した。アグラへの道は行けども行けども同じ風景で道は悪く凸凹である。雨季に穴があいてしまうようだ。「雨季に耐えぬはアグラなりけり」。沿道にまたうんこしているおじさんを見た。高い丘の道路側にわざわざ来て尻を見せてしなくてもよさそうなものだと思った。丘の向こう側は自分の住む場所で汚したくないということなのだろうか。

 途中、ファテプールシクリに寄る

 ここはアクバル帝が子どもができなかった時占ってもらった偉い人が住んでいた所だ。後にここに帝が城を作って住んだのだ。入り口まで長ーい城壁が続いていて、警護の兵がここに陣取っていたらしい。アクバル帝はイスラム教徒だが、キリスト教、ヒンドゥー教、イスラム教の三人の妃を持ち宗教に寛容だったので、人々に慕われていた。しかしやはりぜいたくな生活をしており、チェスが好きだった帝は中庭に升目を描き、女性をチェスの駒にして遊んだという。その升目の線が残っている。インドの冬は寒い。日本の冬とほとんど変わらない。トイレが近くなる。この城のトイレに入るのに2ルピー取られた。でも確かにきれいに掃除してあって快適だった。

 巨大な赤岩を削って作られた透かし彫りは見事だった。元はそこに金が張ってあったそうだが、イギリスが本国へ引き揚げるとき全て溶かして持っていったという。城の奥の方に、世界各地から集まった商人たちが店を出したという場所があり、数十カ所の店舗ブースが並んでいるのは壮観だ。言葉も通じない商人たちがここで珍しい物や貴重な物を持ち寄って商売していたという。帝も購っただろうが、国際見本市のような雰囲気だったのだろう。水道施設も完璧だった。妃たちの入るお風呂があって、その真ん中に帝の座る場所がしつらえてある。妃が風呂へ入っているのを眺めていたという説明だったが、そういう趣味は私にはよくわからない。

 城を出ると、熊をつれたおじさんがたくさんいる。熊の口に縄をつけて噛みつかないようにして引っ張っている。一緒に写真を撮って観光客から金をもらうんだそうだ。熊が芸をするわけではないらしい。インドの商売はどうも安易だ。例の笛吹きコブラだって芸をしこむというわけではない。笛を吹きながら頭をたたくとコブラが怒って首をもたげるのだ。慣れちゃって動かないコブラも多い。まあしかし、従順な熊ではある。

 お昼頃、次のホテルに到着する。


第三回 完