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「冥途 IN INDIA」

    ==インド旅行記==第四回


ホテル クラークスシラーズ

 昼食後、フロントで両替する。一万円=2800ルピー。全部お札だから、重ねると1cmくらいの厚さになる。マハラジャになった気分が味わえる。インドで買い物をする時はやはりこうでなければいけない。ホテルなど主な所ではほとんど日本円が使えるが、やはり円だと割高になる。1ルピーが日本円で約4円というレート計算は確かであるが、いちいち日本円に直してその感覚で買い物をしてはいけない。それはつまり、いちいち外国語を日本語に訳してから理解するのと同じである。それだと大きな間違いをおかすことになる。為替レートというのは細かい具体的な物価を比較して決められたものではないからだ。例えば、インドの新聞は一部1.5ルピーで買えるのだ。日本円にすると6円だ。6円で新聞が買える。しかし逆にコンピュータやカメラなどのハイテク製品は日本の倍くらいの値段である。つまりは、インドで作られたものなら日本の物価の10分の1から20分の1くらいの値段と考えて良い。それを知らずに日本円で買い物をすると現地の人はちゃんと日本の物価に合った値段を要求するのだ。だから、現地通貨に両替して現地の値段で買い物をしなければならないのだ。両替したいと言った時ラケシュはどうもいい顔をしなかったわけが次第にわかってきた。ラケシュは自分がつき合いのある店でできるだけ高い値段で私に買い物をさせようとしているのだ。日本円がそのまま使えるから両替しなくてもいいと言い張るのだ。自分で両替してみてそれがよくわかった。インド通貨に両替するとたちまち大金持ちになれるのだ。ようやくガイドのやり口もわかってきて、彼もインド人であることを改めて認識したのである。単純に彼の言うことを信じるわけにはいかないのだ。それがインド人なのだから。

いよいよ タージマハル

 かの有名な世界遺産のタージマハル。駐車場から歩くとかなり遠い。そこから電気自動車が運行している。なぜ電気自動車かというと、ガソリン車の排気ガスが酸性雨を降らせて大理石を溶かしてしまうからだそうだ。タージマハルは全て大理石でできているのだ。電気自動車には2、30人乗れる。出発を待つ間、例によって物売りが激しく寄ってくる。Tシャツが一枚150ルピーだという。それが違うところで15ドルで売っていた。つまりはそういうことなのだ。外国人(日本人)がインドの物価を高くしているのだ。ここでは小さい子もみな日本語をしゃべる。といっても「いくら?」とか「あとで」とかオウムのように同じ言葉を繰り返す。まさしくオウムだ。これは数限りない日本人が彼らに繰り返し教えた言葉なのだ。「あとで」というのは日本人がしつこい物売りから逃げるためについ口にしてしまう言葉だ。「あとで」といってもそれは日本人のその場しのぎの方便に過ぎない。ところが彼らは帰りにちゃんと覚えていてまた寄ってくるのだ。「あとでと言っただろ」という顔をして寄ってくるのだ。それにしても日本人が多い。私のような「たこつぼ人間」までもが来るようになったのだから、無理もないかと思う。インドまで来て日本人と会いたくない。話もしたくない。そう思って意識的に日本人を避けている自分がいる。

 中へ入る。切符はなぜか、二カ所で切る。外の入り口でまず半分に切り、中の入り口でさらにちょびっと切られる。これは何のおまじないなのだろうか。ラケシュはついてこない。入場料が高いせいではない。かれはヒンドゥー教徒だから、このイスラム帝国の遺物には入れないのだ。今でもイスラム教徒の兵が入り口で一人一人チェックし警戒している。ヒンドゥー教の過激派がここを爆破する計画もあるらしい。タージマハルはシャージャハン帝が愛した妃の名前だ。つまり、ここはその妃の巨大な墓なのだ。ピラミッドも巨大な墓だが、やはり世界で最も美しい墓といえばここだろう。墓に金をかけるというのはどういう心理なのか今ではもう想像しがたい。一方、ヒンドゥー教は墓を持たず、ガンジス川に同化することを願っている。

 タージマハルはやはりすばらしい。あの造形。完成までに22年かかっている。入り口の巨大な門の上に丸い宝珠のようなものが22個並んでいる。職人は総勢2万人が動員された。完成後、その2万人は手を切り落とされたという。タージマハルのコピーを造らせないためだという。

 建物に上がるのに靴を預けなければならない。1ルピー取られる。まず、タージマハルの周囲をぐるっと一周してみる。裏側に回ってみるとすぐ下に大きなヤムナー川が流れている。その対岸に数百頭という数のラクダが集合している。ラクダの売買が行われているのだろうか。それとも何かの催しだろうか。持っていったカメラの望遠レンズでのぞいて見ていると、隣にいたインド人のおっさんが見せろという。そんなに強引ではないのだが、当然のごとく要求する。こういうところが日本人と違って面白い。そういえばバスの中でもインド人はものすごくうるさい。遠慮というものを知らないように大声でしゃべり通していた。とにかく声がでかい。

 建物の中に入る。妃の棺が地下に安置されている。そこへは行けない。上の方から眺めるだけだ。ものすごい混雑だった。その時、急にけたたましい笛の音が響いた。警備の人が不審な男を見つけて外へ出ろと怒鳴っている。男は何か言い返したが結局外へ出た。そういう雰囲気での見学は少々怖い。

 付属施設のタージミュージアムというところに入った。中は真っ暗でほとんど何も見えない。灯りもつけない。剣や王の肖像画みたいなものがあったようだが、輪郭しか見えない。すぐ出てきた。

 インドの恋人たちがいちゃいちゃしているところを一人でしばらく歩き回って外へ出た。ラケシュがたばこを吸いながら待ったいた。

 

タージマハール

次はアグラ城

 ここはタージマハルを造ったシャージャハン帝が息子に幽閉されたところだというが、ものすごく堅牢な砦だ。周囲に川があり、さらに城壁の外にまた壕があり、そこにワニなどを飼育して外と内を徹底して隔てていた。城に入るには橋があり、その橋を引き上げてしまえば完璧に外から隔離される。本当に城らしい城である。日本の城は子どもだましという気がしてくる。この城からタージマハルが美しく見える。

大理石工場見学

 ここでは大理石細工の製造工程を見せられ、その先に店がある。さらに奥に別室があり、何十万円という高価な大理石細工を見せられる。買うなら日本へ郵送するという。クレジットOK。このパターンは既に宝石屋で学習済みだ。ひげをはやした屈強な男があれこれ商品の説明をし、いらないと言っても次から次へと商品を持ってきてなかなか解放してくれないというのも同じパターンだ。ラケシュはそういう時いつの間にか姿を消している。そういう買い物パターンがわかったので、今日は余裕をもって商品を鑑賞した。

再会

 ホテルの夕食。インド航空の機内で隣り合ったあの中年夫婦に再会した。海外旅行25回のベテランで、「アジアが一番だ」といったあの人だ。名前を知らないので「アジア氏」と呼んでおく。彼らは私とちょうど逆のコースをたどってここでたまたま一緒になったのだ。たまたまといっても日本の旅行社が提携しているホテルはだいたい同じところだし、コースも限られているので一緒になる確率はもともと大きかったのだ。一緒に夕食を食べた。ビールを飲んだ。旅先ではそんな出会いもとても懐かしい。東京からはその夫婦2人だけだったのが、大阪から来た同じツアーの人たちと合流し、計6人のグループだという。みんな仲良く楽しそうに語り合っていた。こちらは相変わらず一人だ。それは結果的にそうなったのだが、自分が望んでいたことでもある。やはり私は「たこつぼ」の運命にある。でも、「アジア氏」との会話は楽しかった。「GoodLuck」と握手して別れた。

 この晩、特別会場で結婚式があった。直接見ることはできなかったが中庭で音楽隊がブカブカやっていて賑やかだった。日本のようにスピーチなんてものはないようだ。最初から最後まで歌と音楽で騒いでめでたしめでたしということのようだ。廊下には15歳くらいの男の子のウェイターが何十人も左右にズラーっと並んで、右手に飲み物やら何やら乗せた皿を持って立っているのを見るのは華やかだった。

 朝、6:30に冷蔵庫の点検! まじかよ

 たしかにまだ朝の六時半だった。誰かがドアをノックする。開けるとボーイさんが立っている。何だと思えば冷蔵庫のチェックだ。こんなのありか?。外はまだ真っ暗だぞ。わけのわからないことで悩んでいるうち、おいぼれてしまうから起きる。とにかく昨晩は寒かった。セーターの上にジャンバーを着て、下はズボン下と体操ズボン、それに布団を掛けたがまだ寒かった。これほど寒いのにホテルには暖房らしきものがない。エアコンらしきスイッチを入れたが涼しい風が出てくるだけだった。インドには暖房がない!って本当ですか。

12月25日 修行は第二段階に入る

 私の修行もいよいよ第二段階に入った。釈迦が瞑想にふけっているとき、様々な悪魔の誘惑によって文字どおり、悟りを「邪魔」されることは以前にも書いた。その時、釈迦はそれらの幻覚に向かって、「立ち去れ」と命じる。幻覚は実は自分自身が生み出しているわけだが、自分自身だから自分でなんとでもなるだろうと考えるのは浅はかだ。これは痛みと同じなのだ。痛みは自分の体しか感じないもので、結局は自分自身が作り出しているものだ。だからといって痛みを自由にあやつれるものではない。しかし、そこにはこつがある。幻覚も痛みも自分自身なのだが、あたかも他者であるかのように扱うのだ。だから、「立ち去れ」という言葉が有効になる。「痛みよ立ち去れ」という言葉も有効になる。この有効性に気づいたのがこの旅の収穫であった。

 たしかに全ては因縁であり、それ自体で生ずるものではない。エネルギーも感覚も全ては差異から生じる。だからこそ、その差異の輪を断ち切ることが悟りになるのだ。「立ち去れ」というのはつまり、その輪を断ち切る時の呪文なのだ。そしてここが重要なことだが、人は一度悟ったらもう二度と元に戻らないわけではなく、絶えず「立ち去れ」と言い続けなければならない。悟りとはあくまでそのことの認識であり、それがわかったからといって、もう永遠に絶対的境地にとどまるものではない。けっして逃れられないのだ。「生老病死」を超越するとは、「生老病死」がなくなるということではなく、人は「生老病死」を避けることはできないということを真に認識することなのだ。

 認識と感覚は違うから、それが認識できても恐怖などは消えない。そこで絶えず「立ち去れ」と呪文を唱えつづけなければならないのだ。これが私の修行の第二段階だった。

 「立ち去れ、私はここにいる」

 そう唱えるとき、外の話し声が小鳥のさえずりになる。豚の鳴き声になる。

聖地バナーラスへ 一人旅の日本女性に会う

列車でアグラからバナーラスまで約9時間の旅が始まる。午前11時に出発して夜の八時半ころ着く予定だ。新幹線なら2、3時間で行ける距離だ。ここはインドだ。時速60Kmでゆっくると走る。

 「この列車はベナレスに行きますよね」

 アグラの駅で乗り込むとき、若い日本人の女の子が話しかけてきた。

一人旅だという。といっても何から何まで全部一人でやっているわけでもなく、駅まで連れてきてもらったり、またベナレスに着けば迎えの人が待っているということだった。

「インドが大好きだから」「自分で決めたことだから」等々

何か思い詰めたような言葉が次々と飛び出す。私もこうしてインドに興味を持って来てみたが、インドが大好きだという言葉はどうしても出てこない。インドはあまりにも大きすぎる。大好きだなどと軽々しく言えるもんではない。そんなことを言っていると大きなしっぺがえしにあうような気がする。私にはとても言えない。だから、この女の子の言葉は何か大きな勘違いをしているようにしか聞こえなかった。

 列車の中では図体のでっかい男の子とその母親らしき二人づれと一緒になった。この男の子は小さな声でずーっと歌をうたっている。ほとんどしゃべらない。ちょっと変わった子だ。前に座ったお母さんがたまに声をかけるが、ほとんどしゃべらずうなずくだけだ。顔はとても幼くかわいいが、とにかく大きな体だ。身長170センチ、体重100キログラムはあるだろうか。ガイドブックの地図を見せて、どこへ行くのかと聞いてみたが何も答えずただ地図を見て、首を上下に揺らしてうなずいているだけだ。私はついにあきらめて寝ることにした。座席の上がベッドになっている。しばらく寝てから目を覚ますと下の座席でさっきのお母さんが私の買った雑誌を勝手に読んでいる。貸してくれとも言わずに読んでいるからちょっとびっくりしたが、全部読み終わったら、ありがとうといって返してくれた。でも雑誌はもうぼろぼろになっていた。これもインドか。

 ラケシュはさっきの一人旅の女の子のことを心配して、一緒に来ないかと誘っている。女の子はそこでもまた悲壮な決意を語り、自分で決めたことだから自分一人で行くと言い張っている。ガンジス川にある日本人の経営する宿「久美子の家」に行くのだと言う。ラケシュはとても親切なインド人だと思うが、基本的に女好きだと私はにらんだ。

 バナーラスの駅に着くともう真っ暗で、駅裏のあたりは犬が徘徊し、闇と同じくらい黒い顔のインド人が目だけ光らせているので、とても心細い。こんな所をたった一人であの女の子はどうするのだろうか。私はラケシュの後についてただ歩いていけばいい。どこをどう通ったかわからない。改札も通らなかった。そこにはタクシーが待っていた。運転手一人に何だか分からない人が一人同乗した。

 ホテルは駅の対岸にあり、橋は一つしかない。従ってものすごい渋滞になる。ホテルまで普通に行けば30分くらいの距離だが、大きなツアーバスだと5、6時間かかることもあるそうだ。私の乗ったタクシーは小さいので、トラックの脇をすり抜けていく。トラックは本当にたまにしか動かない。これぞ本物の渋滞だ。小さい車はちょっとでもすき間を見つけると入り込んでくる。その上、この日は霧がひどくて2、3m先がよく見えない状態だった。私の乗る車の前を走っていたタクシーはトラックの横をすり抜けようとして砂にタイヤが埋まって動けなくなってしまった。そのタクシーが動かないことには私らの車も先へ進めないので、みんな車を降りてそのタクシーを押した。みんなが騒いでいるので私も降りてみた。よく見ると、あとほんの10cmで崖下に落ちるところだった。こんな危険がこんな身近にころがっている。これもインドか。

 このタクシー以外にも無謀な運転が目立つ。反対車線がすいているので、反対車線に入って追い抜いていった車もあるが、結局そのままバックして戻るはめになったり、とにかくせっかちな車が多い。やっと橋の上までたどり着いた。橋の上には例によって物売りがいる。渋滞だから商売になる。渋滞解消のため、新しい橋の建設が始まっているらしいが、なにしろ乾期の数カ月しか工事ができないので、なかなか進まない。インド時間は悠久だ。

 インドの寒さにやられ、私は風邪をひいてしまったらしい。のどが痛い。


第四回 完