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「冥途 IN INDIA」

    ==インド旅行記==第五回


ホテル ヒンドスタン インターナショナル

ホテルの中庭ではクリスマスディナーショウをやっていた。すばらしい声が外まで響いている。入場料650ルピー。高いのでやめた。

いよいよバナーラスの沐浴風景

 12月26日6:30バナーラスの沐浴風景を見学する。ヒンドゥー教徒ではない私にはそれは単なる風景でしかない。これは始めからわかっていたことだが、これでは日本にいてテレビを見ているのと何にも変わらないではないか。昨日あたりからどうも冷めている自分がいる。

 しかし、確かにここはインドだ。僧が傘の下で祈っている。洗濯屋が衣を石にたたきつけて洗っている。気温10度くらいの寒さの中を女性もうまく服を脱いで沐浴している。泳いでいる人もいる。ひどい霧で日の出を拝むことはできなかったが、火葬場も見た。金持ちしか利用できない。大金を借りて、ここで火葬するためにインド各地から死体を乗せた車がやってくる。貧乏人は火葬できないから、ただそのままガンジス川に流す。

 紙製の皿に花びらと小さなロウソクを立てて精霊流しのようなことをした。小さな女の子が船着き場でそんな精霊流しセットを売り歩いている。30分くらい川を往復した船には20ルピー払った。船着き場から細い路地を通って帰りのタクシーまで歩く。路地のあちこちに小さな祠があって、ヒンドゥーの神々がまつってある。途中にイスラム教の丸いモスクが見えた。ポリスが警戒している。イスラムがヒンドゥーを支配するためにわざとこのヒンドゥーの聖地にモスクを建てたのだ。これを破壊しようと狙うヒンドゥー教徒もあり、今も衝突が絶えない。そのモスクの前でシヴァ神の絵を買う。4枚で20ルピー。それにしても汚らしい古い絵で、もうよれよれなのだが、他に売っているところがなかったので買った。50ルピーでもおつりがなくて大騒ぎだった。あちこちの店からかきあつめておつりをつくってくれた。 物乞いの指のない女性が車まで追いかけてきたが、何もあげなかった。なぜあげなかったのだろう。私の心はなぜかかたくなになっていた。

ドゥルガーマタ寺院

 木彫りの小さな神々10体のセットが200ルピーだった。100ルピーにしろと値切ったがだめだった。150ルピーまで下がった時に買っておけばよかった。

 宝石でえらい高い買い物をして損をして、一方でこんな貧しい人からたった何百円かを値切っているのが、何だかおかしい。

ヒンドゥー大学を歩く

 インドで1、2を争うヒンドゥー教のエリート大学だ。ここは20年前まで全寮制で、一度入学したら卒業するまで外に出られなかったという。だからここでは全てが揃う。今は自由に出入りできる。ラケシュによればインドの教育制度は3〜5才、6〜10才、10〜17才、18〜20才(大学)と四段階あり、義務教育は3〜5才だけだという。たぶんこれは私の聞き間違いだと思うのだが、インドでは何でも信じられてしまう。後で調べてみたいと思う。識字率は60%とか40%とか言われている。そんな基本的なこともよくわかっていないところがインド的だ。

サルナート寺院 釈迦の説法

 ここは釈迦が初めて説法した所だ。釈迦が座って弟子たちに向かって教えを垂れたという所に立ってみた。本当なのかと思う。その教えがはるばる日本に伝わり、葬式仏教になり、今私がここにいる。と感慨にふけっていると、ラケシュが降りろ降りろと叫んでいる。うわあ、ここは上ってはいけない所だったのだ。ちゃんと立て札が立っているじゃないか。やっちまったよ。

 すぐ近くに「さちこの店」という日本語の看板があって、インド人と結婚したさちこさんがここで彫刻などを売っている。小さな獅子の彫り物が90ドル。高くて手が出せない。この獅子はインド政府公式のエンブレムで、しかも、あの菩提樹を材料にして作られているので高いのだ。

 帰りのタクシー乗り場には、足が一本付け根からなくなっている青年がうまく両手を使ってこちらに這ってくる。初めてラケシュがこの青年に10ルピー与えていた。ラケシュは今までどんな乞食にも金を与えてこなかった。足がなくてはどうやっても働けないからというのが布施の理由だ。インド人のエリートらしい合理主義だ。私はお金を与えなかった。なぜ与えなかったのかわからない。わからないことはまだまだある。

 お昼を食べ終わって、2時30分ころだった。出発は5時50分。たっぷり時間があるので、街を歩いた。年末の買い物で街は賑わっていた。ISDの看板のある所で日本の家に電話した。081を最初に回して、あとは日本の電話番号の最初の0だけ取ってそのまま続ければいい。非常に簡単だ。妻が電話に出た。何だかあっけなくて、家からちょっとそこらに散歩に来ているような感覚になった。つまらない。

冥途 In India という言葉

 5時30分ホテル出発。デリー行きの寝台列車に乗る。

乗り込むと同時に夕食の弁当が配られた。この弁当がいけなかった。ゆで卵とチーズのサンドイッチ。条件はそろっていたような気がする。これを食べてからすぐ寝る態勢に入った。ところが間もなく、ものすごい腹痛が襲ってきた。ものすごい下痢だ。数え切れないほどトイレに行った。お腹が痛くて寝られない。絶えず体を動かし、寝返りをうち続ける。腰の辺り全体が疼くように痛い。そこに針で刺すような痛みが加わる。熱はないようだが、この痛みは耐え難い。たった一人でこんな異国の地で死ぬのか。その時、私の脳裏に「冥途 In India」という言葉が浮かんだのだった。うーむ。このだじゃれはくだらない。くだらないからお腹もくだらないだろう。と思ったのは大間違いだった。しかし、だじゃれの浮かぶ余裕があるのだから、まだ死ぬことはないだろう。

 そんな眠れぬ夜を過ごし、朝、9時ころ列車はデリーに着く。今日の予定は全てとりやめだ。ラケシュのアパートで休むことになる。思わぬ事態によって、インド人の家庭をかいま見るチャンスに恵まれる。まずびっくりしたのが、インドの家には全く窓がないということだ。薄暗い部屋で、天井の真ん中にあの例の大きな扇風機がある。おそらく夏の暑さを旨として設計されているのだろう。ダブルベッドが部屋の3分の2を占めている。テレビ、ビデオ、オーディオ製品が揃っている。ほとんどが日本製だ。テレビは各部屋にあり、結構ぜいたくな生活だ。しかし、映りはひじょうに悪い。常に歌番組をやっている。

 問題はトイレだ。まだまだ下痢は続いている。初めてインドの普通の家庭のトイレに入る。かなり広い。3畳くらいある。全面タイル張り。隅の方に蛇口と小さな水の入ったバケツ。用を足す穴とその両脇に足場。というシンプルな作りだ。初めて紙を使わないトイレを体験した。郷に入れば郷に従え。「かみーがないから手で拭いて」という小さい頃の歌が浮かんで消えた。ここは紙があっても最初から手で拭くのだ。

 午後の2時30分まで眠った。少し楽になったが、脱水症状で頭がフラフラだ。生きているのか死んでいるのかわからないような状態だ。痛みを我慢すればこういう状態はけっこう楽しめる。原因はほぼ弁当で決まりだから、悪い伝染病というのは考えにくい。とすれば、すべて悪いものを出し尽くすまでおとなしく待つしかないのだ。

 隣の部屋では妹さんらしき人の声が楽しそうに聞こえてくる。テレビはずっとつけっぱなしだ。お昼の用意をしている。私は当然何も食べられない。使用人の男の人が掃除などしている。こんな小さなアパートにも使用人がいる。やっぱりラケシュはハイクラスなのだ。そういえば、写真を撮りたいと思って、運転手と一緒に並んでくれと言ったら、ラケシュは嫌がった。結局、別々に写真を撮った。おそらく階級が厳然とあるのだろう。

さよならインド

 空港へ行く前にまた土産物屋に連れて行かれた。体がだるくて何も見る気がしないから、店のソファーで横になっていた。すると、店の人も商品を勧めることをあきらめて薬を持ってきてくれた。緑色の液体で、一気に飲めという。ハッカのような味ですごく気持ちが良くなった。その後で頭をマッサージしてくれてとても親切だった。困ったときやつらいときの親切はとても身にしみる。

 空港へはラケシュは入らない。空港内での手続きは別の男が引き継いだ。この人はほとんど日本語ができない。空港税を払わされた。手続きが済んで、待合い室に行こうとしたら、ラケシュが入り口で呼んでいる。空港税はすでにツアー料金の中に含まれていたので返すという。あぶなく二重取りされるところだった。しかし、それだけではなく、ラケシュの時計を借りたままだったので、それを取り返しに来たのだ。おそらく、空港税よりもラケシュの時計の方が高かったに違いない。

 行きの飛行機で一緒だった人々と帰りも一緒になった。私のように冥途の入り口を徘徊した人はいなかったが、それぞれ悲惨な体験をしていた。ある人のガイドさんは非常に厳格で怖く、買う物にまで口を出し、チップの金額まで指定され、少しでも勝手な行動をするとすぐお説教されたという。また、ある人の乗ったタクシーは後ろから追突され、その時に後ろのトランクが壊れ、そのまま走っているうちにトランクの中の荷物が落ちて、とうとう見つからなかったという。

 私の下痢は家に帰ってからも2、3日おさまらなかった。


冥途 In India 完


追記:今回私が利用した旅行会社「四季の旅」が倒産したという。払い込んだ金はほとんど戻らないらしい。この旅行記の始めの方を読み返していただくと倒産した理由がわかると思います。しかし、たった一人でもツアーを実施してくれたことに私は今でも感謝しています。ありがとう「四季の旅」。心からご冥福をお祈りしたい。