表紙江戸怪談集道陸神(どうろくじん)の発明の事


 百物語評判 
 
道陸神(どうろくじん)の発明の事
 

先生が言うには、「世に言う道陸神とは、道祖神とも祖道とも言う。旅が無事であることを祈る神である。「左伝」に「祖す」とあるのも、この神を祀るのである。和歌には「ちぶりの神」などと詠まれている。「袖中抄」に、「みちぶりの神」とあるのと同じであろう。紀貫之の歌に、「わだつみのちぶりの神にたむけするぬさのおひかぜやまずふかなん」と詠んでいる。隠岐の国、知夫利の崎という所に、わだつみの宮という神がいらっしゃるという。「古今集」の序に、逢坂山に手向けを祈るとあるのもこのことである。中国には、黄帝の子、累祖という人が、遠出の旅を好み、道で亡くなったが、後世それを祀って行路神とした。だからといって、無理やり黄帝の子を、日本にもお祀りしたというわけでもないだろうが、中国でも日本でも道の神を祀るということは通じていることなのだろう。
 ところが、最近、田舎でも都でも女子どもの間で言い習わしているのは、道路に捨ててある石仏が、さまざまな怪異をなし、人を欺し、世間を驚かすという。よくよく考えると、かつて、亡くなった人の印として石を立てるというとき、必ず仏の像を彫ってその下に死者の法名を記した。今の石塔ごとに法名を刻むのと同じである。その法名などは時間が経つにつれて、石とともに消えてしまうが、仏の像だけは、鼻が欠け、唇が欠けながら残ったのを、それを伝える子孫も亡くなって、道に捨てられ、道路に散乱して、誰の墓石だかわからなくなる。ただ、石仏だとばかりみんな思っている。そもそも仏は人の苦しみをなくし、楽しみを与えるという願いを持ち、修行する者である。絶えず変化し固定した存在ではないから、まして仏のかたちをして、人に捨てられ、顧みられなくなったからといって、このような災いをなすはずがない。
 その怪異をなすものは石仏ではない。そのとむらってくれる子孫もない死者の妄念によって、天地の間をさまよう死者の魂が、時に合い、気にふれて、あるモノは熱病の鬼となり、又あるモノは疫病神となって人を苦しめるのであろう。それゆえ、世に熱病、伝染病がはやるときには、道端に捨てられている石塔を縄で縛り、あるいは、牛馬の骨を門にかけて、その悪鬼を脅すという呪いがある」
 ある人が言った。「その仏を縛って、病気の治るというのはどういうことですか」
 先生が言う。「これは仏を縛るのではない。その石塔にこもっている亡魂を縛り懲らしめるのである」と。
 ある人が言う。「それでは、その石塔についている亡魂は、その相手を知って苦しめるのでしょうか」と。
 先生が言う。「そうではない。天地の間にあるのは、多くは善と悪の二つの気である。それゆえここの悪気を退散させれば、あちらの悪気も退散するのである。これは、一仏を供養すれば、三世諸仏の願いにかなうというのと同趣のことである。」
 また先生が言う。「おこりという熱病は、もともと内臓の不全から生じるものである。従って、他の病気と異なり、熱が出るにも、その時が必ず決まっているのは、内臓は五行のうちの「土」に当たり、五常の「信」に当たっているから、その熱が出る時期が決まっているのも「信」である。もちろん、その病気を受ける場所は内臓である。病気は例の悪気が世の邪気と合わさって人を苦しめるのである。だから他の病気と違ってこの瘧という熱病と疫病という二つの病気は医書の中でもまじないが書かれているのである。」
 またある人が言う。「縛ったほどの石仏ならば、病が治った後もその縄を解き、また花をも供え、供養するのはいかがでしょうか。」
 先生が言う。「我々に災いをなせば邪気である。しかし、又退けた時はもう邪気ではない。その上又、我々の願いを聞き届けてくれた物を、どうして供養しなくてよいだろうか。さらに又、仏像についた邪気であるから、憎みとおす理由はない」
 又ある人が言う。「すでにその道理を聞き、その道理を知った人が、まじないをして病が治るのはもちろんである。その道理を知らない人も、まじないをすれば直るというのはどういうわけですか。」
 先生が言う。「全てのまじない事は、その道理を知った人だけがするのではない。ただその伝えられたやり方と信じる心によって、その効果があるのだ。その手柄はそのまじないを考案した者にあり、その徳は永遠に残るものであろう」