表紙江戸怪談集本能寺七兵衛の妻の幽霊の事


 諸国百物語 
 本能寺七兵衛の妻の幽霊の事 

  京都の本能寺という天台宗の寺に、立派な僧がいた。医学を修めて、治療などをしていたが、寺の旦那(援助者)に七兵衛という者がいた。この者の女房があるとき病気になったが、この僧に依頼して治療したけれども、死病だったせいか、そのかいもなく、すでに亡くなるという三日前に、又その僧が見舞いに来たところ、この女房は、髪の毛は上に逆向きに生え上り、顔は朱のように赤くなって、恐ろしいことこの上ない。僧も驚いて帰ったが、三日目に遂に死に果て、そのまま本能寺に遺体を置いたままにした。
 その後三日目の事だが、あの僧の兄弟が障子一枚隔てて学問に励んでいると、夜中頃、裏口から人の足音がしたのを、弟の僧が聞きつけて、「どろぼうが入った」と言うので、兄の僧も聞きつけて、「わかった」と言って、刀を抜いて待ち構えていたところ、縁側の障子を開けようとしたけれども、開かなかったので、裏口へ回ったように思われたが、しばらくして、台所に下人(召使)が二人寝ていたのだが、急に大声で、「うわあ、助けてくれ、助けてくれ」という。
 兄弟は、「何事だ」と台所に行ってみると、二人の下人が、汗を流して、「いやいや恐ろしいことだ。七兵衛の妻が来て、『のどが渇くので水を飲ませろ』と言われたが、あまりに恐ろしかったので、『そこに水があるから飲め』と言ったところ、水槽にとりつき、大きな柄つき桶で水を飲んだが、そのあとはわからない」という。

 不思議に思ってみると、流しに水が流れて、飲んだ桶もそこに捨て置いてある。恐ろしいことである。