表紙江戸怪談集西岡の釣瓶おろし


 百物語評判 
 
 
西岡の釣瓶おろし(併せて陰火陽火の事)
一人の男が言った。「みなさんの話は、どれも聞いたことのあるお話ばかりで、これは初めて見たとおっしゃるようなこともございません。わたくし、去年の五月のころ、西の岡に出かけましたとき、雨が降り出したので、先方が一泊していけと言ったのですけれども、それもできない用事がありまして、引き返しましたところ、しだいに日も暮れて人通りもなくなり、何かぞっとするような感じがしたところに、そこは西の里あたりでしたが、藪ぎわを通りましたら、大木から何だからわかりませんが、火の燃えた大きな塊、まりのようなものが下がったり上がったりしているのが見えました。これはいったい何だろうと見ていましたが、こちらへ飛んでくる様子もないので、一目散に逃げ帰りましたが、長年信仰いたしております観音のお守りを肌身につけていたおかげか、無事に帰ることができた次第です。恐ろしいことでございました」と言うと、
 先生はニコニコと笑って、「それは俗に言う、釣瓶おろしという光ものです。しかし、この世に一つも陰陽五行の道理に従わないものはありません。その光ものは、大木の精であり、これは木生火の道理です。そうして、昼に現れず、その場から去らないのは、火は暗いところで目立ち、明るくなると光を失うからで、ごく普通のことです。だから特に木の下の暗いところに見えるのでしょう。しかし、若い木に生じないのはなぜか。それは陰陽の変化、五行のバランスによる変化は、四季の移り変わりと同じです。春が終わり夏が来て、秋が終われば冬がくるのと同じです。その始めの気が尽きなければ次の気は生じないからです。だから、小さな若木も木生火の道理に支配されてはいるが、まだ木の気が充分満ちてはいないので、次の火の気が生じないからでしょう。
 また、世界には三種類の火があります。星の精の火、竜の火、雷の火を天火といいます。木を伐り、石を擦って出る火を地火といいます。人間にとっての心臓の火、腎臓の火を人火といいます。その火の中に陰火と陽火の区別があります。陽火は物を焼くけれども、陰火は物を焼くことはない。たとえば雷火などがたまたま落ちて人家を焼くことがあるが、この火は陰火なので、水で消したり、濡れた物で覆ったりするとかえって火を煽ることになります。火を投げ、灰を散らし、防げばそのまま消えます。これは陰陽五行の道理のよく当てはまるところでしょう。この釣瓶下ろしとかいうものも、陰火である。だから、雨降りの時などに特に見えるのでしょう。」
 また男が言う。「釣瓶下ろしが陰火ならば、物を焼かないということもそのとおりでしょう。それならば山奥などで、木の枝がもみ合って火がついて、その木が焼けることはどういうことか。」と。先生が言う。「動くのは陽の働き、静まるのは陰の働きであるから、その木がもみ合うことによって、陽の気が生じ、陽火となったものである」と。