表紙あらすじで読む文学作品幸せを届けるボランティア 不幸を招くボランティア


「幸せを届けるボランティア不幸を招くボランティア」(田中優)を読む 2010.11.14


作者の田中という人は自分の目で確かめたことしか書いていないから、信頼できると思った。
私と同じ年の生まれであることも共感できる要素の一つである。
たとえば次のようなことが書いてある。


「生活できない人を増やす仕組み
図書館ボランティアで図書館を運営するようになると、その分だけ司書の人が正規の職員として雇われないようになることが多い。
自分の好きなジャンルがきっとあるから、自分に無理強いしないほうがいい。100人がいたら、100のゴールを見つければいいんだ。
身内だと考えたら、やっぱりだいがいのことはあきらめがつく。「仕方ないよね、家族なんだから」っていう感じかな。そうして付き合えば、たいていのことは平気になった。そんな風にして大丈夫になっていくことも、ボランティアするから身に着くことかもしれない。
本当に必要なのは自分の安心感じゃない。副産物として自分のためになるのはいいけど、あくまで相手のためのボランティア活動だ。相手が幸福を感じられて、希望をもって過ごせる人生になってほしい。そのための黒子にすぎないんだから。
ボランティアは相手の気持ちに立つから、場合によっては闘わなければならないときもある。「いい子」でいるだけではいられなくなるのだ。そんな場面にでくわしたとき、どうするのかも自分自身の修行だ。自分の「いい子」を大事にするのか、「いい子」という評価を捨ててでも相手の立場に立つのか。
お百姓さんのように、百の生業を持つのがいい。いきなり学校や会社を辞めるんじゃなくて、学校に行きながらもう一つのことを始めてほしい。二足のわらじを履けばいい。それを三足、四足と増やしていけば、いずれ百の生業が持てるだろう。覚悟というなら、今の状態のままでも始められなければ本物の覚悟とは言えないはずだ。
今好きなことをして暮らしている人たちの多くは、辞めることから始まったんじゃなくて、好きなことを始め、それを成功させることが辞めることにつながったんだ。始めることが先で、その結果として「辞める」のだ。
日本語を教えるのに、教員資格が必要だなんて考えていたら、この世のほとんどの母親は子供を育てられない。保育士の資格がないと子どもが育てられないって言われたら、親はもっと困る。資格は資格で必要な場面もあるけど、それよりもっと広くボランティアが必要とされる場面があるんだから。
みんなが自分の里子だけをひいきしていたら、現地で不公平が生まれて差別が助長される。彼らの生活の基盤であるコミュニティを崩壊させてしまう。だから里親制度をなくすことに賛成した。
子どもたちが「ワンダラー」の絵ハガキを売ると、元締めの取り分を含めて焼く半分が利益になる。元締めがギャングでなければ、その子が数セットの絵ハガキを売っただけで、軽く親の収入を超えてしまう。ときに親は働くのが嫌になってしまう。自分の子どもの収入の方が大きいのだから。そうなると彼らが自分で言っているとおり、働かないと学校に行けなくなる。
その世界ではその世界のおきてがある。こちらが善意のつもりでいいことをしていても、それが善意のままにとおるとは限らないのだ。
先進国からの古着の寄付によって発展途上国の繊維工業が発展せず、貧しい暮らしのまま。
彼らの文化では、その人が話題に上っている間は、生きているのと同じなのだ。その人が亡くなるということは、人々が忘れ果てて、もう誰も思い出さなくなったときなのだ。
友人がアフリカのソマリアで、車が他人の鶏をはねた。降りてきて運転手が最初に叫んだのは、その持ち主に「早く包丁もってこい」だった。その包丁で鶏の首をはね、一息してから運転手は鶏代を払った。ソマリアはイスラムの国で、死んでしまった肉を食べることは許されていない。だからまず首をはねて生きているうちに殺し、そのあとで鶏代を払うのだ。
ごみ全体の9分の1だけが一般廃棄物で、残りは企業の出している産業廃棄物だ。しかも一般廃棄物の中の3分の2は、事業者が出している。ということは、家庭ごみはごみ全体の27分の1しかないことになる。だから家庭ごみだけを問題にしてもごみ問題の解決にはならない。問題を解決するときには鉄則がある。まず問題の原因を調べることだ。次に最大原因から順に、問題にしていくことだ。
1992年、ブラジルの「環境と開発に関する国際連合会議」でのスピーチ。セヴァン・スズキという少女。「私が環境運動をしているのは、自分自身の未来のため、未来に生きる子どもたちのため」と伝えた。
エコ貯金プロジェクト
世界で一番子ども殺している「クラスター爆弾」を製造している会社に、日本の大きな銀行たちが、世界で一番多額の融資をしているというのだ。
そして彼らはデータを示しながら、公開質問状をそれらの銀行に送った。
小さな力は大きなことを作り出すだろう。最悪なのはあきらめてしまうことだと思う。あきらめずに何かを始めること、それこそがボランティアなんだ。ボランティアっていうのは、自分が積極的に生きていくために必要な、第一歩じゃないか。ボランタリー(自発的)に生きる、その生き方そのものを指す言葉なんだ。
必要なのは施設じゃない。特定の誰かじゃない。ましてや「資格」なんかじゃない。ただお互いに「ここにいるよ」と確認できる交流の「場」なんだ。
戦争という大規模な殺人が行われようとしているさなかに、チグリス・ユーフラテスの湿地帯の話をしても何にもならないだろう。渡り鳥を護りたいなら、それを守ってきた人たちと一緒に守らなければ意味がない。
ミャンマーというのは今の軍事政権が勝手に変えた国名なので、軍事政権に反対している人たちは古くからの「ビルマ」という国名を用いている。
薬害問題を起こし続けた製薬会社の設立者は、中国で人々を人体実験に使い、残酷に殺し続けてきた「731部隊」に所属していた中心人物の一人だった。ところがその人は敬虔な宗教者で有名だった。戦争するのが「悪い心」によるものなら、心を入れ替えれば解決するだろう。しかし現実の戦争は「いい人たち」によって進められていくのだ。だからぼくは、戦争を心の問題で片づける気にはならない。戦争は仕組みのせいで起こる。社会の仕組みに気をつけなければならない。

石油や天然ガスなどのエネルギー、リチウムやプラチナなどの鉱物資源や水の奪い合いが戦争の背景にあり、戦争で直接儲ける軍需産業がそれを進めているのだろうと思っている。
ごみ問題の解決策にデポジットがあるように、国際的な問題には「グローバルタックス」という解決策がある。国際連帯税だ。たとえば飛行機のファーストクラスのチケットに5000円課税する。それを資金源として貧しい国の人たちの薬品を安定的に購入する。
ウマが合わない人がいたときは、汗をかく運動を一緒にすることだ。そうした体験が人との距離を縮めてくれる。
自分なりのアウトプットをしてほしい。その方法が見つけられれば人は幸せになれる。あなたの存在はアウトプットすることで、他から「見えた」部分で判断される。