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妖怪カルタ制作背景

私はなぜこの妖怪カルタを作ったのか、自問自答してみた。私はずっと幼い頃から、目に見えないものの大切さを感じてきた。妖怪を感じたことはたぶん一度もない。そのような能力は私には微塵もないと思う。それでも、この世界には目に見えるものと目に見えないものとがあり、目に見えないものがとても重要な役割を果たしていると感じていた。だから、昔の人々がこの世界は目に見えるものだけで構成されているわけじゃないよ、目に見えないものがうじゃうじゃいるよと教えてくれる妖怪話が大好きだった。幽霊は人間の死に損ないの成仏できない魂みたいなものだが、妖怪は世界の多様さを教えてくれる。昆虫が好きなのもたぶん同じ理由だ。昆虫も世界の多様さを教えてくれる。目に見える形で。妖怪は目に見えないから、世界の多様さとともに、別の世界の多様さも教えてくれる。世界は一つではないと教えてくれる。目に見えない世界が無数にあって、その無数の世界とこの世界はどこかでつながっていると教えてくる。本当は目に見える世界も同じだ。昆虫のすむ世界と植物のすむ世界と人間のすむ世界はそれぞれ独立しながら密接につながっている。当たり前の話ではない。エコロジカルな話でもない。昆虫は昆虫の世界で独立して完結している。人間と一生出会わない昆虫の世界もある。ダンゴムシだってすぐそばの庭の石の下にすんでいるが、人間と一生関わらずに生きている。いや、もっと端的にいえば、同じ人間の世界にすんでいながら、ほんの数メートル先の路地を曲がれば、誰が住んでいるのかもしらないのだ。一生に一度も会話しない人がすんでいるのだ。人間と昆虫は全く別世界に住んでいるのが当たり前だというなら、自分とその数メートル先に住んでいる人も全く別世界に住んでいるのだ。つまり、この世界は全く自分の知らない世界がもう本当に無数の世界が網の目のように張りめぐらされているのだ。そう考えると頭がくらくらしてくる。因みに私は動物を飼うのが昔から大好きだった。今はやりのペットを飼うのとは違うしかたで動物を飼うのが好きだった。自分とは異質な世界を感じるのが好きだったのだ。だから、昆虫がケースの中で交尾をして卵を産み、幼虫となり脱皮し、成虫となり、という一生を見せてくれるのを単純に楽しんでいた。自分とは別の世界がすぐそこにあると感じるのが好きだった。別の世界を感じたいのだから、名前をつけて自分の家族のように扱う今のペットとは全く違うものだ。犬はだめだ。別世界というわけにはいかない。犬の魂と人間の魂は同じ世界で交わってしまう。

 閑話休題。

 妖怪はつまり、この世界の多様性を教えてくれる存在。また、この世界以外のあの世界の存在も教えてくれる。あの世界を知れば、自分が生まれてきた意味とか目的とかもわかってくる。あの世の存在を知って、この世の生を充実させるために、この妖怪カルタを作ったのです。

 ちなみに、このカルタの制作は約一年半くらいかかっているが、私生活ではたぶんいちばん仕事で行き詰まっていた頃でした。何をやってもうまくいかず、勘違いして空回りしていた頃です。食欲もなくなり、睡眠もうまくとれず、うつ病一歩手前だった。その精神の平衡を保つためにこのカルタの制作を思い立ったような気がする。絵についてはほとんど、江戸時代の絵師鳥山石燕の妖怪画を元にしたのでそんなに苦労はしていない。ただ、色はついていなかったので、色については全部自分が勝手に想像して塗った。でも、これもほとんど勝手に手が動いたので苦労した覚えがない。私は芸術家でも何でもないが、これは自分が描いたとは思っていない。何かに描かされたというか、描かせていただいたというものです。どうぞ、この妖怪カルタをきっかけに、あの世の存在を知り、この世をよりよく生きるためになすべきことを思い出していただきたい。