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「しないことによる世界変革 その2 2017.12.26

「論語」を改めて読む。

 国語の教師をしていると、いやでも毎年古典を読むことになる。そして、毎年そこで新たな発見をすることができる。全くありがたい職業である。
 今回は、「論語」の一番有名な文章の新たな深い意味を知った。その文章とは、
  子貢問いて曰く、「一言にして以て終身之を行うべきもの有りや」と。
  子曰く、「それ恕か。己の欲せざる所は人に施すことなかれ。」
というやつだ。
 弟子の子貢が孔子に問う。「一生、死ぬまでこれだけは実行しなければならないということが有りますか?一言で言えばそれは何ですか」と。
孔子が答えた。「それは恕(思いやり)だね。自分がいやだと思うことは人にもしてはならない」と。
 ここで、改めて私が発見したのは、恕(思いやり)の具体例として、孔子は「己の欲せざるところ」「人に施すことなかれ」という否定の形で語ったところである。
 生徒に「思いやり」と言ったらどんなことを思い浮かべるか質問すると、ほとんどの生徒が、「困っている人がいたら助ける」という内容のことを答える。これと孔子の挙げた具体例がいかに異なるかを思い知るのだ。孔子は「何かをしてあげる」ことではなく、「何かをしない」ことを挙げているのだ。たとえば、「人の悪口を言わない」こと。これは目に見える行為ではない。「しない」のだから目には見えないのだ。だが、人にはわかる。「あの人は絶対に人の悪口を言わない人だ」ということはわかるのだ。そのことのすごさを孔子は語っている。確かに大金持ちになって、貧しい人々に巨額の寄付をしたりすることもできる。だが、孔子はそんなことを言ってはいない。
 よくよく考えると、「人が欲すること」は人それぞれであり、千差万別だが、「人が欲しないこと」は万人共通なのだ。だから、乗り物で席を譲ったら怒られたというたぐいの話がいつも問題になる。
 以前、このホームページで、「しないことによる世界変革」というエッセイを書いた。それと同じことがここでも当てはまる。「何かをすること」ではなく、「しないこと」のほうが価値が高いのだ。歴史上の人物はみな「何かをした」ことによって名を残しているが、「しないこと」によって世界を今あるかたちに存在せしめている「存在」がいるのだ。「平和」というのは、争いを「しないこと」によって保たれている。ガンジーの「無抵抗」もその一つだ。ガンジーの「無抵抗」は目に見えてしまったが、本来の「無抵抗」は目に見えない。目に見えないが、その「無抵抗」によって多くの争いが回避されている。「不登校」や「引きこもり」の生徒たちはその無抵抗によって世の中の争いをなくそうとしているのだ。ただ彼らの無抵抗は真の無抵抗ではない。彼らは人と争わない代わりに自分と争ってしまっている。自分に抵抗してしまっている。だから、「自傷」へと向かう。本来の「無抵抗」は相手とも自分とも争わない。すべてを受け入れることだ。
 これは前にも書いたが、私の後頭部にはたくさんの小さなハゲがあり、小学校のときには「ジャリッパゲ」と呼ばれたり、「虫っ食い」と呼ばれたりして辱められた。そのために私は傷つき学校が嫌いだった。しかし、そのとき、私の後ろの席だった小板橋好子ちゃんは毎日私のハゲを見ていながら、一度もハゲについて口にしたことはなかった。「私のハゲについて何も言わない」ということがどれほど私にとって救いだったか。今でも彼女には感謝している。「しない」ということはそれほどすごいことなのだ。
 「しないこと」による世界平和に気づくか気づかないか、ここに霊的なレベルの試金石があるのだと私は思う。

腰痛直らず 2017.11.12

もう一か月たつのに、腰痛が直らない。
ダイソーで買ったソーラーライトをつかって、ソーラーラジオをつくった。
でもやはり、電圧が低い(1.3Vくらい)のでよく鳴らない。
LEDをとってしまえば電池も長持ちするし、もっとよく鳴ると思うけど、もったいないからとらない。
寝床で聞いているとそのまま寝てしまい、あっという間に電池が終わる。
クリスタルイヤホンにすると少し音量が大きくなり聞きやすくなる。
ラジオは、LMF501というICを使用。100円くらい。
ケースが100円で、バリコンが250円くらいだから、その他もろもろ全部で800円くらいかな。
何がやりたいのかよくわからない。
退職後が見えない。

あ、そうでした。
おかげさまで第二種電気工事士合格いたしました。
御用聞き電気工事士になろうかと思います。
一軒一軒御用聞きして、電球を取り換えたりします。
電球取り換えは資格がなくてもできますが、それくらいしかたぶんできません。

ひどい腰痛!! 2017.10.15

 畑仕事をしようと思って、肥料袋を持ち上げたら右側の腰に鋭い痛みが走った。
それでも、ごまかして畑仕事を二時間ほどした。
翌日からひどい腰痛で夜、トイレに起きようと思ったが立ち上がれないくらいの痛みに襲われている。
一週間がたつが、痛みは一向に引かない。医者には行っていない。たぶん明日行く。
腰痛でわかること。
顔を洗うのも、歩くのも腰を使っていることがわかる。
トイレでも一番腰を使う。力が入らないから出るものも出ない。(失礼)

もちろん、人間の体は何一ついらないものはないのだが、腰というのは本当に大切な部分だと改めて感じるものである。

昨日、「退職者説明会」なるものに出席してきた。一日狭いところに缶詰になった。これも腰を悪化させた要因である。
いよいよ、退職まで半年を切った。
かつての同僚の先生方にもたくさん会った。
よくここまで無事に務めてきましたね。お互いによく頑張りましたとエールを送った。

しかし、今はもう全く仕事に未練はない。
気持ちはもう退職後に向かっている。
といって、今の仕事をないがしろにする気はない。最後までしっかり務めたいと思っているし、問題は次々起こってくるので、気楽にのんびり最後を過ごしたいと思っても、状況がそうはさせてくれない。
全くそれは面白いくらいだ。笑ってしまうくらいだ。
最後くらいのんびりさせてくれよ、と言いたいが、そうならないところが私の人生らしい。

生徒同士のトラブルに親が怒鳴り込んでくる。
バイク事故を起こす。
授業中、携帯をいじる。

そんなとき、気持ちが落ち込むが、ここに一冊の本がある。
「YES!の魔法」という本。パリコレ30億ブランドを成功させた!引き寄せの法則」と書いてある。
ちょっといやらしい書き方だなあと思うが、ちゃんとしたことが書いてある。
これを読むうちに、嫌な出来事も含めてすべては完璧に起こるべくして起こっていることを理解する。

クモは網張る。私は私を肯定する。

この本に内容については、「オカルト研究」のところで紹介しています。

退学してしまったがすばらしい可能性をもった生徒への手紙
2017.8.30
 Aさん、温かい手紙と素敵なプレゼントをありがとう。
 まさか、こんなすばらしいプレゼントをもらえるなんて思っていなかったので、茫然としてしまって、せっかく学校に来てくれたのに何も話せず、ただ受け取るだけで帰してしまったことをとても残念に思っています。
 でも、たぶん話すことの苦手な私はやっぱり何も言えなかったと思います。だから、またこうして手紙を書いています。
 退職する最後の一年にこんな心のこもった手紙とプレゼントをもらえたことに心から感謝します。教員を続けてきてよかったと心から思っています。
 実は、この夏、8月の12日に妻の母が亡くなりました。葬儀の喪主は妻の父だったのですが、さまざまな理由で私が代わりに親族代表の挨拶をすることになったのです。そこで話したことをここで再現してみます。
 「義母は去年胃ガンがみつかってすぐに手術しました。かなり末期の癌でしたが、手術後の経過はとてもよく、すぐに退院して元気になり、一時は畑の草取りや種まきなども楽しそうにやるほどでしたが、この夏に再発して再入院したときにはもう治療の方法がなく、緩和ケアという痛みをとるだけの入院となりました。約一ヶ月入院したあと、本人の希望で退院しましたが、退院したまさにその翌日に自宅で家族全員に看取られながら穏やかに亡くなりました。計画したかのような見事な最期でした。診断書を書くために来てくれた主治医の先生がこう話してくれました。『このお母さんのような堂々とした態度の患者さんはとても珍しい。癌の告知をしたときも手術の時も再入院の時も少しも乱れることなく自分の運命を受け入れて淡々と平常どおりの日常を送っていた。こんなことができたのは、このお母さんが自分の人生から少しも逃げずに、どんなことがあっても真っ正面からぶつかって生きてきたからだと思います。そういう自信があり、悔いがないからですよ』と。
 私はこれを聞いて、本当にそのとおりだと思いました。小学校入学直前に養女としてもらわれてくるという運命から始まり、その家を守るために婿を取るしかないという運命を受け入れ、その養父母を十年近くも介護してしっかり看取ったという事実。これだけとっても並大抵の人生ではない。決して逃げずに自分の人生を全うしたことは間違いない。
 人生とはひとつの学校だと言われます。生まれたときにこの人生という学校に入学し、その時、その年齢に応じて課題を出される。一つの課題が終わるとまた次の課題を出される。そうやって一つ一つ課題をクリアーしていって、すべての課題をやり終えるとこの人生という学校を卒業することができる。義母はまさしくすべての課題を立派にやり終えて卒業していったのだと思います。」
 私はこのような挨拶をしました。Aさんへの手紙に書いたことと内容が重なるところがあると思います。「人生から逃げずに真っ正面からぶつかって生きる」ということを手紙に書いたような気がします。それと同じ言葉を主治医の先生から聞いたのです。
 やっぱりそうなんだなと思いました。人にはそれぞれ与えられた運命というものがあるのです。大金持ちの家に生まれる運命もあれば、コインロッカーに捨てられる運命もあります。どの運命がいいかわるいか、幸福か不幸か、そんなことは決められないし、分かるはずがないのです。人間はただ、その与えられた運命から逃げずに、真っ正面からぶつかって生きるしかないのです。逃げたらたぶん生まれ変わってもまた同じ運命を与えられるのです。いやむしろもっと厳しい運命を与えられるのです。
 運命から逃げないというのは、もう一度言いますが、偉くなるとかお金持ちになるとかそういうこととは関係ないのです。そこに関係するのはAさんの言う「感情」だと思います。「感情」が鍵を握っているのだと思います。自分のその運命を「嫌だ」と思いながら生きるのか、それとも、その運命を「愛し」「楽しむ」のか。運命を「否定」するのか、「肯定」するのか。
クモは網張る 私は私を肯定する
 これは種田山頭火の俳句です。クモに生まれたら人に嫌われても嫌われても空に網を張って虫が引っかかるのを待ち続けます。それがクモの人生です。クモはそれに何の疑問も持ちません。「俺はクモになんか生まれたくなかった。網なんか張って、他の虫を食べて生きるなんて嫌だ。空を飛べる蝶になりたい」などと考えません。私もクモと同じで、自分の人生を生きるしかないんだとすべてを肯定するのです。逃げないとはそういうことだと思います。
 そうやって運命を肯定し、自分を肯定していくと、つらくて仕方なかった人生がとても貴重でありがたい人生に思えてきます。たとえば先ほど言った義母の人生ですが、養父母ふたりをかかえて十年も介護する人生だって、よく考えればありがたい人生です。そうやって人のために生きられるのはすばらしいと思いませんか。人に世話をかけるのではなく、人の世話をしてあげられるのは何て幸せなんでしょう。人から何かを恵んでもらうより人に何かを与えられるほうがどれほど幸せでしょう。ところが、それに気づかない人が少なくないようです。生活保護を受けてパチンコに使ってしまうのはけしからんとか、車をぶっつけられたらむち打ち症になったとか何とか言えば医療費をもらえるから、とにかくもらえるだけもらっておけとか、そんな人ばかりです。でも、ほんとうによく考えてみてください。そんなふうにお金をもらっている人がほんとうに幸せだと思いますか。ほしいというならいくらでもあげましょう。どんどんあげましょう。もらうのではなく、あげるほうが絶対幸せなのです。してもらうよりしてあげるほうが絶対幸せなのです。
 朝、太陽の光をあびるとそれだけでありがたいと思います。畑の草をむしり汗びっしょりかいて飲む水のおいしさ。好きな音楽を聴けること。もう毎日が奇跡の連続です。生きていることに感謝したくなります。
 なんだかどんどん違う方向に行ってしまうので、今日はこれくらいにします。また、ここで、このHPで会いましょう。

第二種 電気工事士 技能試験終わる 2017.7.26

この歳でこれほど緊張するとは思わなかった。
「はじめ」という言葉が唐突に聞こえてきた。
何をしていたのか定かでないが、全く心の準備が出来ていなかった。いきなり始まった。
手が震えていた。
ランプレセプタクルのネジがうまく締められなかった。
残り5分となった頃、やけに電線が余っているのに気づいた。
ドキッとして冷や汗が流れた。
やっちまったか。
問題を見ると案の定、一カ所寸法をまちがって短く切ってしまっていた。
だめかもしれない。
今までの苦労がすべて無駄になってしまった気がした。
忘れようとしたがしばらく忘れることができなかった。
でも、今日は少しわすれつつある。時間は偉大だ。

それにしても、試験会場は高崎問屋町の車などの展示場に使われる場所だ。
だだっ広い場所に800以上の机と椅子を持ち込んであった。
受験生はほとんどが工業高校などの生徒だ。
合格率は毎年平均70%だから、この会場だけで600人近い人が電気工事士になっている。
そんなに電気工事士はいらねえよ。
と叫びたくなる。
ほとんどがペーパー電気工事士になるのだろう。

何かむなしい。
オレは何をやっているのだろうか。
まあいい。
試験に向けて勉強しているときは楽しかった。
それでいいじゃないか。
もうこれで本当に好きなことをやればいいのだ。

といって、何をすればいいのかわからなくなっている。
妻の実家のエアコンのひどい配線は結局私のつたない知識技能では直らず、新しいエアコンを購入した。
設置してくれた人は、第二種電気工事士の資格を持ち、200Vのコンセントをあっという間に100V用に交換した。
そして配電盤の配線用遮断器もあっという間に部品交換した。ほんの数分だ。
その数分で、部品代5000円くらいとられた。
しかし、これも電気工事士の資格がなければできないのだ。
自分の家の配線をいじることさえ資格がなければできないというこの法律の壁。
言ってみれば、私はただこの壁をなくすためだけに電気工事士の資格を取ろうとしたのだ。
小さな自由を手に入れるためだけに、一年間ちかい学習時間と、教材費5000円。技能試験のための練習用教材15000円。
そして、受験料約1万円。
総じて、3万円かかっているじゃないか。
これでもし不合格だったら・・・・

それでも、電気工事士の受験料は安いと思った。
何しろ、筆記試験と技能試験の二回もあるから、その会場費と監督の人件費も相当だ。
さらに、技能試験には材料が支給される。その材料費がたぶん馬鹿にならない。一人一人に箱詰めされているのだ。
それにひきかえ、アマチュア無線一級の試験は同じ受験料を取りながら、たった一回のペーパー試験だけだった。
その試験もマークシートだから採点も楽だし、監督もいいかげんなじいさんがぼそぼそ言っているだけだった。

思えばあの漢字検定協会と同じじゃないか。
漢字検定協会は儲けすぎたといって、急遽値下げしたが、また何か値上がりしたらしい。
無線協会もきちんと試験の経費を公開すべきだ。

筆があらぬ方角へ向かってしまったので、今日はこのへんで。
ごきげんようさようなら。

夫婦の絆 2017.3.17

叔父の葬儀に参列した。
もしも死後の世界というものがあり、死んだら霊魂とか魂と呼ばれるものになるのなら、その証拠を何か示して欲しいと祈った。
「死ぬ瞬間」などの本を読むと、死んだ人は霊魂となって自分の死骸を天井あたりから眺めているという。
だから、一生懸命霊魂になった叔父に話しかけた。
でも、何も返事はなかった。
それはそうだよな、と思った。それほど親しくしてもらった間柄でもなかったような気もする。
いろいろとお世話になったという気持ちは強くあるが、それほど個人的に深く話したこともなかった。
何を考えて生きてきたのかよくわからない。
喪主の話では、銀行員として毎日夜おそくまで仕事して、親子として遊んでもらった記憶があまりないようなことだった。
仕事一筋だったというような話だった。
でも周りの人の面倒をとてもよく見てくれて、銀行の所有する保養地などを叔父の口利きでよく利用させてもらった。
家族には逆に手が回らなかったというような印象を受けた。

それはともかく、叔父の死のちょっと前に叔父の妻であった叔母の葬儀に参列したばかりだった。
叔母の葬儀は一月三十日だった。
叔父の葬儀は三月十三日だった。
こうして日にちを並べてみると、三と一と十という数字であまりの偶然の一致に驚く。
しかも、その間隔はちょうど四十九日になるのだ。
こんな仲の良い夫婦があるだろうか。

前に亡くなった叔母の霊が叔父をやさしく迎えに来ている様子が手に取るようにわかった。

これを知ったとき、これこそが死後の世界の存在を証明していると思った。
叔父はちゃんと証拠を教えてくれていたのだ。
いまごろは天上で仲むつまじく暮らしていることだろう。

もう一つ、情報を付け加えるならば、叔父と叔母はもうかなり前、何十年も前に離婚していた。
別々に暮らしていて、晩年の叔父は認知症も進んでいたというので、叔母の葬儀には参列さえしていないのだ。
叔母の死さえ知らなかった可能性もある。
それでも、こうして仲良く亡くなっていったのだ。

私は魂の存在を信じる。
ツインソウルということも信じる。

日々是最高 2017.3.5

定年まであと一年ともなると、一日一日がまことに新鮮で貴重に思えるから不思議だ。
毎日、毎日、今日が最高の一日になるように祈る。
いや、どんな一日も最高の一日であることを実感する。
すべてのことに感謝せずにはいられなくなる。
スピリチュアル関係の本を読んでいるせいもあるが、日本古来のアマテラス信仰からの継承でもある。
太陽のありがたさを身にしみて感じる。

それにしても今年はよく冷える。
三月になっても毎朝水が凍っている。
毎朝飼っているウコッケイの餌と水を取り替えるのだが、今年は12月くらいから水が氷りはじめて、今日までほとんど毎日
凍らない日はない。こんな寒い冬は久しぶりだ。
おかげで二回も風邪をひいてしまった。
二回目は今もひいている。
これはおふくろからもらった風邪だ。
おふくろはずっと咳をしていても、自分は風邪じゃないと言い張る。
無理やり医者につれていって薬を飲ませたが、それでも風邪じゃないと言い張る。
そうして、痰を洗面所にはいてそのまま放置してある。
食事中、咳をしまくる。
その箸でおかずを取まくる。
おかずは小分けしていないから、風邪ウイルスのついたおかずをみんなが食べるから、家じゅう全員風邪をうつされた。
そのおふくろは一番先に風邪を治した。

おふくろはついに食事を食べたのに、まだ食べていないと言い始めた。
お腹がすいたからといって夜中におにぎりを食べたりしている。
それは別にいいのだが、
問題は、私だけ食事に呼ばれなかったというような被害妄想になることだ。
何でもひとのせいにする傾向がある。
私はひとこという。「お母さんは最近物忘れがひどくなったよね。それはしょうがないけど、物忘れがひどくなったということは自覚したほうがいいよ。そうしないと、全部ひとのせいにすることになるからね。それは聞いてない、自分だけ知らされていないとか、それは食べていない、自分だけのけものにされたとか、そういうことになるからね。」
本当に物忘れはしかたない。
歳をとって目が悪くなるのと同じだ。
目が悪くなったら、メガネをかけるだろう。
自分の目が悪くなったのは自分が悪いわけではないけど、自分の体が衰えていることは自覚できるから、その対策も自分でする。
しかし、物忘れがひどくなったというのは自覚するのが難しいらしい。
今日が何日か、何曜日かわからなくなっても、物忘れがひどくなったと自覚することはできない。
さっきまでお客さんが来ていて、帰ったらすぐ忘れる。
さっきお客さんが来ていたよね、と言っても本人は忘れているのだから、物忘れがひどくなったという自覚の持ちようがない。
こちらが意地悪く、さっき一緒にいたときに撮った写真を見せても、「ふーん」と半信半疑で受け流される。

小川洋子の「博士の愛した数式」という小説では、一日ですべてを忘れる博士が出てくる。
博士はそれを自覚していて、あらゆるところにメモを張りまくっている。
つまりはそういうことだ。

自覚さえあれば対策を立てられる。
メモを取る。メモを見て対処する。
しかし、
物忘れ認知症の厳しいところはそこだ。
自覚がもてない。
自覚さえもてれば、何とかなるだろうが、
自覚したらショックで生きていけないのかもしれない。

籠耳はいつも初音ぞ ほととぎす−古い時代の句−作者不明

忘れっぽいのはすてきなことです。そうじゃないですか。−中島みゆき−

新年のご挨拶 2017.1.5

いよいよ今年、還暦を迎える。
定年退職は来年の三月となった。
年金の繰り上げ支給を申し込もうと思っているが、妻が反対している。
オレが長生きすると決めている。
オレは歳をとったらもうどうせ何もできなくなるし、欲もなくなるから、本当に必要最小限の金があればいいと思っている。
晩年は毎日瞑想して暮らそうと思っているから、年金は満額もらえなくても一向にかまわない。
それに年金がこれからどうなるかなんて誰にもわからないのだから、もらえるうちに7割だろうが何だろうがもらっておくほうが賢い。

うちの年寄りをみていると、年金の半分も使っていない。年金を貯金してどうするんだと思うが、九十歳近くになっても老後に備えて貯金
したいという気持ちがわからない。老後とはいつからなのか。
もちろん健康だからこそそういうことができるのだが、
金がなければ保険適用で治療できる範囲で治療してそれでだめなら寿命なのだから死んでいけばいいのだと思う。
保険適用外の高価な治療をしてまで何としても生きたいという気持ちがわからない。

そういうわけで、もうすぐオレの第二の人生が始まる。
これがワクワクせずにいられようか。

去年はアマチュア無線技師 第一級は無事に合格した。
しかし、いまだに電波は出していない。
無線の会話を聴いていると、よく聞こえてくるのは20mハイ以上のアンテナがほとんどで、300W以上は出している。
勝負にならない。
無線技師であるなら、もっと悪い条件で勝負しなければいけないと思う。
15mハイの自作アンテナで、最高でも100Wで勝負しなければいけないと思う。

そこで今年の目標としては、第二種電気工事士の資格をとる。
妻の実家のエアコンの工事があまりにひどく、自分で資格をとって工事をし直したいのだ。
エアコンのコードの長さがコンセントまで届かないので、コードをぶち切って継ぎ足してあるのだ。
確かに、エアコンは延長コードを使ってはいけないことになっている。
しかし、これは延長コードよりもひどい。
何しろ、アース線をつないでないのだ。

知らないというのは本当におそろしいもので、妻の実家はそんな欠陥工事でも気づかずに二十年が経ってしまった。
それでも最初は動いたというからなお恐ろしい。

今はインターネットで全国いや全世界のラジオが聴ける時代だ。
その時代にあえてアンテナを立てて、直に電波を受けて聴こうという試みは確かに滑稽だ。
ドンキホーテのような感じもする。
だが、それは何とも言えない喜びがある。

神の声を聴いたときのような喜びがある。
(聴いたことないけど)

というわけで、
どきどきワクワクの最後の一年が始まる。