表紙>近況報告



2019年最後のご挨拶 2019.12.30

今年も元気に活きられたことに感謝します。
今年の出来事
@父、免許返納する。車の名義変更、陸運局で自ら手続きする。
A4Kテレビ届く
B何十年ぶりかに東京の叔母一家来訪。中島家集合。
C義父、義母の一周忌、三回忌同時開催。
D赤坂離宮で食事
E母転倒、夜中に病院搬送。五針縫う。
Fキュウイ棚完成。
Gシロアリ発生。退治に三十万円。
H平原綾香コンサート鑑賞。
I義弟南牧村議選立候補応援。
J母、週二日デイケア通所開始。
K義祖母100歳。

母がデイサービスに行きたくないと言って泣いたときに、幼稚園に行きたくないと言って泣いた自分を思い出したこと。 2019.10.10

なんだかいろんなことがつながっているのだと感じる。

母は認知症で要介護1と認定されている。

今食べたことも一瞬で忘れる。

何か不安になると、トイレに立て続けに10回くらい行くこともある。

父の後追いがすごい。父の姿が見えなくなるとすぐに家中を探し出す。家にいなければ外に出る。近くの畑かゲートボール場まで探しに行く。

しかし、自分は何でもできると思っている。自転車で転んで血だらけで帰ってきてからもう五年くらい自転車には乗っていないのだが、自分は自転車でどこへでも行けると誰にでも吹聴している。

編み物が大好きで得意だったが、どこを縫っているのかもはやわからなくなって編み物もしなくなった。

ほとんど一日中、居間で同じ新聞を繰り返し読んでいる。

のどが渇くとお茶を入れる。コーヒーを入れる。その茶碗をお勝手に持って行って洗うと、その茶碗にまたすぐコーヒーを入れて持ってくる。父はそれにすぐ反応して怒る。「今飲んだばっかりじゃないか」と。
すると母は「飲んでないよ」と言って逆切れし、けんかになる。

父もそれで消耗している。父のストレスも大きい。

そこで私は母にデイサービスに行くことを勧めた。見学に行くと、楽しそうにおしゃべりをしていたので大丈夫だと判断した。

正式にデイサービスに契約したその日の夕方、父に「よかったな。デイサービスに行くのが決まって」と言われて、
「何それ?私が行くの?どこに行くの?私はそんなところに行きたくない」と言い出した。

そして、息子の私のところにきて、「誰がそんなところに行きたいと言ったの?私が言ったの?私は行きたくない。涙が出てくる」と訴えた。

その言葉を聞いたとき、私は自分が幼稚園に行きたくなくて泣いたことを思い出したのだった。

そんな私を母は無理やり幼稚園に連れていき、一人で家に帰ってくるのだが、すぐにその後を追って私が幼稚園から逃げ帰る。
母は洗濯物を干している。
私は道の向こうからとぼとぼと歩いてくる。
母はそんな私を見つけて言う。「また帰ってきたのかい」
私は母に言う。「ねえ、押し入れに入れない?」
母は言う。「入れないから、こっちにおいで」

私は母の言葉を信じて母の近くに行く。
すると、母は私を捕まえて私を押し入れに押し込む。
私が押し入れが大嫌いなのを知っているのだ。
押し入れの中は真っ暗で恐ろしい世界だったのだ。
私は泣き叫ぶ。
母は言う。「幼稚園に戻らないんだったら、ずっと押し入れに入れておくよ」
私は泣き叫ながら許しを請う。

それがどうだ。
今度は立場が逆転して、私が母を叱っている。

「行きたくないんなら、行かなくっていいよ」と大声で怒鳴っている。
「だけど、何が嫌なんだよ。そんな嫌なところに行かせると思っているのかい。一度行ってみてから考えればいいじゃないか」と怒鳴っている。

母は私の声が大きかったのでびっくりして、「そんなに怒鳴るんだったらもういい。聞きたくない」と言って、父のところへ戻った。

父はそんな母をなだめるためにこう言った。
「近所の〇〇さんだって施設に入れられちゃったじゃないか。施設に入れられないだけいいじゃないか。一週間に二回だけ行って、夕方には帰ってこられるんだから」と。

父の頓珍漢な対応には慣れているが、あまりにひどいのでがっかりする。

母も父もデイサービスを姥捨て山のように思っている。
息子に姥捨て山に捨てられるように思っている。

私の方が泣きたくなった。

そうして、私は言った。「お母さん、大丈夫だよ。嫌で帰ってきても押し入れには入れないよ」と。


神奈川窃盗犯逃走中につき本日のイベントは中止します。2019.6.22

というニュースを聞いて

 私にはイベントを中止した理由が全く思いつけなかった。

 矛盾するようだが、主催者が中止した理由はわかる。

 たぶん、犯人に襲われる危険性があるということだろう。

 しかし、そもそも、この犯人は保釈されていて、そこに普通に暮らしていたのではないか。危険があるというなら保釈されていた期間ずっと危険があったのではないか。逃げたことによって周囲を巻き込む犯罪を犯す危険が高まるということは考えられない。
 どうしても危険が高まるというなら、犯人は何のためにイベントに闖入して子供たちを襲ったりするのだろうか。逃げている途中でそのようなつかまる危険をおかす犯人の側の理由が何なのか思いつかないのだ。やけになって何をするかわからないということなのだろうか。わからないのはたぶん私の想像力が貧困なせいなのだろう。どんなに小さな可能性でも危険があるならイベントは中止すべきだというのだろう。危険な可能性というのは犯人が逃走中でなくても常に存在している。地震の起こる可能性。車がブレーキの踏み間違えでいベント会場に突入してくる可能性。イベントで出た食事で食中毒になる可能性。イベントで事故が起こる可能性。どんな小さな可能性でも危険があるならイベントは中止するというのなら、イベントを開ける状態などは決してやってこないと思う。

 

 この少し前には、交番を襲って拳銃を奪った犯人の逃走事件があった。そのときは拳銃という具体的な脅威があったので、外出を控えてくださいというアナウンスも納得できる気がしたが、それでも私は外出を控えたりはしなかったと思う。もし拳銃の脅威によって外出を控えるなら、アメリカでは生きられないだろうと考えたからだ。アメリカでは依然として銃の所持は合法である。ということは常に銃の脅威が日常に存在するということだ。実際たくさんの事件が起こっている。だからといって、アメリカ人が外出を控えて買い物にも行かず、通販の配達も対面ではなく、通販専用ボックスに入れてもらうのが常識になっているという話は聞かない。(聞かないだけかもしれないけど)

 まあ、いつも同じ結論になるのだが、人間が人間を信じられなくなったらもう終わりなのだ。核戦争になったらもうその時点でそういう世界に生きていたいとは思わない。

 拳銃を奪ってだれかを無差別に殺したいのならたぶんすぐに近くの人間が殺されていただろう。殺していないところをみると、殺したいのは誰でもいいわけではなく、だれか特定の人を殺したかったのだろう。
とすれば拳銃を奪って逃走中だとしても外出を控える理由はない。

理不尽さとどう向き合うか。 川崎殺傷事件から学ぶこと。2019.5.29

 理不尽さとどう向き合うかが試されている。

 このところ、理不尽な事件が続いている。交差点で車が保育園の散歩の列に突っ込んで、幼児が亡くなった事件。送迎バスに乗り込む児童と見送りの保護者に男が包丁で切りつけて、幼児と保護者が亡くなった事件。

 このような事件が起こるたびに、とんちんかんな対応や対策がみられることにものすごく違和感をおぼえる。

 例えば、

安倍総理の談話:通学路の安全確保を指示した。

「日本こどもの安全教育総合研究所の宮田美恵子理事長」の談話:私立学校でも通学の時間帯は地域と協力し、見守り活動などで子供の安全を守るべきだ。等々。

 これらの理不尽な事件は私たちに何を教えてくれているのだろうか。

それはつまり、そもそもこの世界はすべて理不尽な出来事で成り立っているということではないだろうか。

 生まれる環境を選べないということがそもそも理不尽なのだ。貧乏な家に生まれるかもしれないし、天皇家に生まれるかもしれない。天皇家に生まれたらもう自由な人生はありえない。孤児として生まれた方がまだ幸せだと感じるかもしれないのだ。理不尽さではどの人間も全く平等なのだ。

 もっと頭がよく生まれたかった。もっとお金持ちの家に生まれたかった。もっと健康に生まれたかった。なぜこんな病気になってしまったのだろうか。なぜ自分だけいじめられるのだろうか。なぜこんな性格に生れてしまったのか。なぜこんな事故に巻き込まれてしまったのか。なぜ自分だけ・・。

 こんな言葉を吐かなかった人はいない。生まれて一度は必ずだれもがこんな言葉を吐いている。どんな裕福な家に生れようが、どんなに優秀な頭をもって生れようが関係なく、だれもが理不尽な思いをかかえて生きている。

 「なぜ自分だけが・・・・」

 そこに答えがある。

 それは、自分こそが特別だからだ。自分だけがこの自分の人生を生きることを許されているからだ。自分はこの特別な理不尽な人生を生きるように計画されているからだ。自分がそのような人生を自分で選んで生まれてきているからだ。

自分がもっとも輝く人生。自分が最も納得できる人生。本当に自分らしい人生を生きるために「この自分」というものがこの世に存在するからだ。

理不尽な事件というものは、そのことを我々に教えてくれる。そのことを思い出させてくれるのだ。

 最も最近では東日本大震災は理不尽さの集大成だった。

あそこで気づいた人々は自分の人生を根本から変えたはずだ。

あそこでも気づかない人がまだまだ多いから、まだまだこの世に理不尽な事件が次々と起こるのだ。

 世界中が気付けばたぶんもうこのような理不尽な事件は起こらないだろう。

「なぜ自分だけこんな不幸なんだろう。理不尽だ」と思う人間だけが、このような理不尽な事件を起こす。とすると、「理不尽だ」と思う人間の想念の集大成が自然現象となって理不尽な災害を起こすと考えられないだろうか。

 私たちが学ぶべきことは、まず第一に、この世界は理不尽であるこということ。その理不尽をどのように受け止めて生きていくかがひとりひとりのかけがえのない人生の意味であるということ。理不尽をいかに幸せに転化していくかが人生であること。

 理不尽に子供の命を奪われた親が、どうやってこれから幸せな人生を構築していくかが問われている。幼くして命を奪われた子供にはばかって親はもう楽しいことが出来なくなる。幸せになったら申し訳ないと思ってしまう。被害者はどこまで行っても被害者から抜け出せなくなる。それは例えば逆に加害者の責任を一生追求していくことにもなる。加害者を一生許せないということは、一生被害者のままで終わるということでもある。加害者を許したときはじめて被害者であることから抜け出せる。許すということに抵抗があるなら、加害者から自分を解放し、自分が自由になると言い換えてもいい。

 加害者が人間の場合はこのように「許せない」という感情がわく。

 一方、加害者が人間ではなく自然だったら許すも許さないもない。地震を許さないといっても仕方がない。前に進むしかない。加害者が特定の人間であっても同じように考えるしかないのだ。やはり前に進むしかない。

 だから、このような理不尽な事件が起こった時、見回りを増やしたり、歩道にガードレールを取り付けたり、そのような対策はまったくとんちんかんなのだ。

 理不尽さを積極的に引き受けて、このかけがえのない自分だけの人生をいかにエンジョイしていくか。そういうふうに発想を変え、生き方を変えていくこと。

それがいま喫緊の課題なのだ。



全ては個人の自立に帰する 2019.2.16

退職して昼間のテレビをつい見てしまったりすることが多くなった。
その時々のニュースや話題を取り上げて、様々な角度から取材し、分析してわかりやすく説明してくれるという体裁である。
しかし、そのほとんどが針小棒大。
例えば、ダニを顕微鏡で拡大して見せて、恐怖をあおり、ダニ退治の商品を買わせようとするたぐいに見える。

例えば、幼児虐待死事件。
たしかに痛ましい事件だ。
国会でも取り上げられ、すぐにでも何とか手を打たなければ第二、第三の犠牲者が生まれてしまうのではないかという恐怖をあおる。
しかし、制度や法律をいじってどうなる問題なのだろうか。
私には、制度や法律などの問題ではないと思える。
問題はただ一つ。個人の自立の問題に思える。
自立できていない個人が多すぎることが問題なのだと思える。

訴訟をちらつかされてアンケートを見せてしまった教育委員会の職員。
親がしばらく子どもを休ませるというのをそのまま受け容れて、連絡もろくにとらない学校の先生。
暴力がこわくて、父親と一緒に虐待に加わった母親。
どの人も自我が確立できていないと言わざるをえない。
組織とか、法律とか、そういうことの前に、個人として自分が何をどう判断するか。
仕事をするということは、その場その場、その時その時の自分個人の判断、決断、選択の積み重ねである。
誰に頼ることもできない。
それはそれは孤独な営みだ。
その決断、その選択の結果は自分個人が引き受けなければならない。

少なくとも私はいつでも仕事を辞める覚悟はできていたし、
自分の無能による結果は毎日嫌と言うほど思い知らされていた。
しかし、自分の責任に帰するものと思われなければ、「辞めてしまえ」と言われても断固として拒否した。
親が何と言おうと、自分個人の責任で言うべき事は言ってきた。

ともかく、虐待事件での根本原因は個人が自立できていないということだ。
もちろん、一番自立できていないのは、父親である。
暴力で人を動かそうとするのは、最も幼稚な人間のすることである。
これはもうまちがいない。
軍事力で国を動かそうとするのは、最も幼稚な国のすることである。
これもまちがいない。

一人ひとりが自立すること。自分で考え、自分で判断し、自分で選択し、その結果を自分ひとりで引き受ける。
誰のせいにもしない。
一人ひとりがその覚悟をもつこと。

安倍政権を選択したのは私ではない。
だから、私はその責任をとるつもりはない。
日本国民のひとりだから、私にもその責任があるとは思わない。
私は非国民と呼ばれる覚悟はある。

戦争中、非国民といわれながら、熱帯魚を飼い続けた「広海貫一」さんを私は尊敬し、支持する。

無職280日の記録 2019.1.7

定年退職し、無職になってはや280日。
再任用という選択肢は私には全くなかった。本当なら、50歳でリタイアしたいくらいだった。
大橋巨泉のセミリタイアという生き方にも共感していたし、「夢酔独言」を読み、勝海舟の父である勝小吉の隠居生活にも惹かれていた。彼は37歳で隠居して、家督を息子の勝海舟に譲ったのだった。
もっと率直に言おう。
私は仕事が嫌いだった。働くということが何かの罰だと信じていた。
働くというのはキリスト教の原罪、楽園からの追放によるものだと信じていた。
だから、一刻も早く仕事を引退したかった。
仕事が生き甲斐だだという人間は私には理解できなかった。
全くの別の生き物だと感じていた。たぶん会話さえ成り立たない別の生き物だと感じていた。
そういう目で周囲を見回すと、私が会話できる人間はほとんどいなかった。

私は今、ようやく仕事から解放されて、自分の好きなことを好きなだけする毎日を送っている。
仕事をクビになり、働きたくても働けない人がいて、アパートの家賃が払えずにアパートを追い出されて、食い物がなくてコンビニで万引きしている人に対して申し訳ないとは思わない。
人は働かなくても生きていけるような世界をつくることを目指して進化発展してきたはずだ。
AIが人間の仕事を全部引き受けてくれて、人間は働かなくてもいいようになる。
太陽光発電や他のフリーエネルギーシステムを作って、人間は働かなくても自給自足の生活ができるようになる。
人間はそんな自由を実現するために生きているのだと信じている。

さて、話を元に戻そう。
私は4月に退職して、まもなく妻の父の具合がひどく悪くなった。
一ヶ月後の5月に義父が亡くなった。
それから、葬式、四十九日、妻の母の一周忌、新盆と続いた。
新盆が終わり、ようやく少し一息ついたところに、知らない弁護士から妻に一通の手紙が届いた。
妻の伯父にあたる人が亡くなり、妻はその伯父の遺産継承者になっているというのだ。
なぜなら、伯父の子どもは二人いるのだが、二人とも相続放棄したのだという。子どもが遺産放棄したので、めぐりめぐって妻に遺産がころがりこんできたというわけだ。(甥、姪が遺産相続の最終権利者であり、その甥や姪が相続放棄すると、もうその先はなく、国の財産になるということのようだ。そんなことも今回学んだ。いろいろ知らないことがあるものだ。)

しかし、子どもが遺産放棄したということはどういうことか。少し考えればわかる。
正の遺産より負の遺産のほうが大きいということだ。
(遺産とは不動産や預貯金などの正の遺産の他に、借金などの負の遺産がある。相続するということは、そのどちらも相続することになるのだ。)
このような理不尽なことがあっていいのだろうか。
二人の子ども達は負の遺産は相続したくないから相続放棄した。それは確かに単純なことだ。
だが、その負の遺産が全く関係のない妻にもたらされるという理不尽さ。
もちろん二人の子どもたちから事前に何の相談もなかった。
もちろん妻も即刻相続放棄の手続きをすることにした。
しかし、どうすれば相続放棄できるのかわからない。
私はとりあえず、無料法律相談というものに出かけてみた。
すると、弁護士が自分の名刺を出して、「ご自分でも手続きできますが、もしお困りでしたら、費用は10万円でお引き受けします」ときたもんだ。無料法律相談というものの実体はこういうことだったのだ。
私は早々に席を立ち、自分でネットで調べて、必要な書類を集めることにした。

それはそれはたいへんな作業だった。
集めた書類は膨大だった。
戸籍謄本や住民票。
書類だけで一万円くらいはかかっただろうか。あちこちの役場をかけずり回った。
相続放棄の手続きはその伯父の最後の住所を管轄する家庭裁判所となっている。
そこは私の家から100キロくらい離れている。とても簡単に行けるところではない。
そのガソリン代とかもろもろの手間賃を考えると確かに10万円でも高くないと思った。
私が退職していなかったら、おそらく弁護士を依頼していただろうと思う。
私はやはり退職することになっていたのだ。
しかし、相続放棄の手続きをした裁判所の人はとてもいい人だった。懇切丁寧にいろいろと教えてくれた。
決してお役所仕事ではなかった。
それが収穫だった。

一方、妻の両親がなくなったことで、妻に両親の遺産が相続された。こちらは負の遺産ではない。
妻は畑を相続した。
その相続登記の手続きも私がした。
これも退職していたからできたことだ。
司法書士や行政書士を頼まなかった。
しかし、この登記の手続きをする法務局は裁判所ほど懇切丁寧に教えてくれなかった。
何回も通った。
何回通ってもそんなに嫌な顔はしなかったが、一回20分程度に制限されていた。
予約をとれない日も多かった。

私は妻の相続した畑で野菜をつくった。
ジャガイモ
トウモロコシ
大豆(枝豆)
小豆
下仁田ネギ
キュウリ
ナス
トマト
里芋
サニーレタス
小松菜
白菜
大根
ニンニク

どれもビギナーズラックですばらしい収穫だった。
亡き父が土を豊かに作っておいてくれたからだと感謝した。

一方、私の退職後のやりたいことはラジオ作りだった。
こちらの方はなかなかうまくいかない。
レフレックスラジオや再生ラジオは何とかできたが、スーパーヘテロダインラジオがうまくいかない。
まだそんな序の口で苦労している。

しかしまだ退職して280日あまりしか経っていない。
これからまだまだ勉強することがたくさんあるということが嬉しい。

つづきはまた次回。

ダルマに目を入れることの卑しさについて 2019.1.10


 

 今日のニュースで、ダルマのお炊きあげの様子を取り上げていた。
一年間お世話になった感謝の気持ちでダルマさんを燃やして供養しているのだという。こんな風習がいつから出来たのかわからないが、そんなに昔からではないだろう。あまりにも卑しい風習だ。即刻やめてもらいたい。
お炊きあげが卑しいのではない。
ダルマに片目を入れて、何かのお願いをして(たとえば、受験の合格祈願や、選挙の当選祈願など)それが叶ったら、もう片方に目を入れるという風習のことだ。その発想、心根があまりに卑しいので見ていられないのだ。
そのニュースでは、たくさんのダルマが積み重ねられて燃やされていた。片目のままのものもあれば、両眼とも入っていないものもあった。
そもそも、ダルマとは何か。達磨大師という禅宗の開祖とも言われる偉いお坊さんではないか。そのような偉人をおもちゃにして、「私の願いをかなえてちょうだい。かなえてくれなくちゃ、片目を入れてやんないからね。」みたいなくだらないことを言って恥ずかしくないのだろうか。
私はこのような日本人の身勝手な風習が存在することが哀しくてしかたない。
たとえば、仏像や仏具を一年ごとにどんどん焼いてしまうことがあるだろうか。
仏像や仏具を焼くのはもはや末法の世の中である。
よく考えてもらいたい。
以上。