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2023年近況報告
「精神世界3.0」を読む 2023.11.29
江原啓之 「人生からそういう英才教育を受けた気がする。まさにそれを体験するようにあちらから仕組まれてた。そんな感じ。小学校の時のことだけど、席替えに対して、賛成派、反対派で言い合いになった。私が最後のひとりになった。固執したわけではないけど、一応反対の側。でもまあ、なんだか言い争うのがめんどうになって、それなら椅子を動かそうかなと思ったとき、担任の先生が私の肩に手を置いて動けないようにした。そして、「最後の一人になっても、自分自身がこうだと思うことを貫きなさい」と言われたの。そんなこと小学一年の子に言う?
変な話だけど、今の人生に起きることって全部それに似たことなの。そういう風に人に出会わされて、教育を受けていた気がする。」
COVID-19(コロナ)感染報告 2023.1.17
翌日、案の定親父も発熱。母も発熱したが数時間後に下がる。昨日かかった医者が往診してくれるという。地獄に仏。検査すると親父は陽性。母は陰性。本当だろうか。
それから五日間はもらった薬を飲み続ける。母の介護をする。
五日目が終わるころ、母の症状が悪化する。熱はないがほとんど食事がとれなくなる。のどに痰がからんでゼロゼロしてつらそうになる。
口に食べ物を入れるとそのまま口の中にある。飲み込めない。仕方なく全部口からかき出して口の中をゆすぐ。
そんなことを繰り返す。その症状を件の医者に伝えると、再び往診してくれるという。地獄に菩薩。
だが、往診予定の時間前に母の様子が悪化。あまりにゼロゼロがひどくなり反応もないので救急車を呼ぶ。
コロナ感染の疑い濃厚ということで救急隊員は完全防護。到着までに20分ほどかかる。到着してから搬送先が決まるまでさらに30分ほどかかる。
どこも病床がいっぱいだという。もしかしたら県外になるという。しかし一番近い総合病院が受け入れてくれるという。たいへんラッキーだった。
病院到着後すぐ検査して、コロナ陽性と判明。他に誤嚥性肺炎を併発。その治療も同時に行うという。
長生きする人の考え方 2023.3.13
先日、歯を磨いていたら、右上の差し歯がそっくりぽろっと落ちた。
何だか一気に年を取った気がした。
COVID19のせいで歯医者にも四年近くご無沙汰しているから、そろそろかという予感もあった。
さっそく予約して茶の間でその話題になると、うちの95歳になる親父が言ったのだった。
「なんだ、まだ歯医者なんぞに行くのか、まったくしょうがないな。俺なんぞは60歳前に総入れ歯だぞ。以来歯医者なんぞ行ったことがない。総入れ歯はいいぞ」
長生きする人の考え方はこういうことなのだと感心したのであった。
また今日の夕食時の話題は「大江なんとかいう作家が死んだぞ。それと扇千景が死んだぞ」と、死んだ人を数えることと、
「近所の佐藤さん知ってるだろ?あの人が脳溢血で入院してからもうどんどん悪くなっているそうだ」と、病気の人を数えること。
自分はまだ元気であることをそうやって確認しているようなのだった。
そこで私はいつものようについ口を出したくなる。
「お父さんは大江健三郎という人の小説を読んだことあるんかい」
すると親父は、「あるさ」と答える。
「何を読んだの」と聞くと、「まあ読んだことはないけど」と答えた。
私は正直言って、誰が死んだとか誰が病気だとか、全く興味がない。
私の尊敬する人が亡くなったときには、確かに、その人から新しい言葉を聞くことが出来ないということ、同じ次元にいないということにとまどいを感じた。
しかし、人が死ぬということ自体にそれほどの感慨はない。
講演を一度直に聞きに行ったことがあり、本当に同じ次元に生きているのだなあと実感したことはあるが、
それはたった一度だけであり、あとはその人の本を読むことでしかつながりはない。
そういう意味ではその人が現実に生きていることと死んでいることにそれほどの違いはないのだ。
また、本当に尊敬する人は私が生まれたときにはすでに死んでいた。
私はその人の書いたものだけを読み、その作品をこよなく愛し、こよなく尊敬し、その人のように生きたいと思った。
そういうことだ。
生きているか死んでいるかは問題じゃない。
だから誰が病気だとか、死にそうだとか、死んだとか、どうでもいいことだ。
ましてや、読んでもいない作家の死を話題にする意味がわからないのだ。