表紙文学と昆虫>枕草子と昆虫 第2回


文学にでてくる昆虫 古典編2



「枕草子」に出てくる昆虫 第2回


『蓑虫いとあわれなり。鬼の生みたれば、親に似てこれもおそろしき心あらむとて、親のあやしき衣引き着せて、「いま秋風吹かむをりぞ来むとする。待てよ」といひおきて、逃げて往にけるも知らず、風の音を聞き知りて、八月ばかりになりぬれば、「ちちよ、ちちよ」とはかなげに鳴く、いみじうあはれなり』(第41段)

 蓑を着た者は異界からの使者という信仰があった。秋田のナマハゲも蓑をつけている。だから蓑虫は鬼の子ということになる。鬼はその子を置き去りにして逃げてしまう。鬼だから自分の子を捨てるくらいのことはするだろうが、捨てる理由が情けない。「自分に似て鬼のように恐ろしい心を持っているだろう」から、大きくなったら何をされるかわからない、だから捨てるのだという。鬼のくせにやけに弱気なのだ。というよりは、実は鬼とはそういうものなのだ。

 鬼は心優しい生き物で、虐げられた不幸な人種なのだ。「泣いた赤鬼」の鬼が実は最も鬼らしい鬼なのだ。だから、鬼は自分のような不幸な境遇にならないようにとあえて子どもを捨てるのだ。
 捨てられた鬼の子はきたない蓑をまとって、秋風が吹いて寒くなると「父よ、父よ」といって泣く。「蓑虫の声を聞きに来よ 草の庵」という芭蕉の句はそれをふまえている。

 さて、本物の蓑虫はもちろん鳴かない。蓑虫は蓑蛾という蛾の幼虫である。雄は蛾となってその蓑を脱ぎ捨てるが、雌はそのまま蓑の中で成虫となり、一生蓑から出ることはない。だから、蓑虫が「父よ、父よ」と呼び、母を呼ばないのは生物学的にも納得できる。清少納言にそこまでの知識があったとは思えず、ただ「チチ、チチ」と聞こえたということだろう。では、その「チチ、チチ」と鳴いた虫は果たして何だったのか。それはたぶん、木の枝などで鳴く「クサヒバリ」や「カネタタキ」などであったろう。
 
 おわり