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文学にでてくる昆虫 古典編



「松虫」と「鈴虫」の呼称について

鈴虫と松虫の名称について
 平安時代の文学にあらわれる鈴虫は今の松虫を指し、松虫は今の鈴虫を指し、現在と逆であったというのが定説になっている。それは江戸時代の随筆「甲子夜話」(巻百鈴虫松虫の弁)を読むとよくわかる。
 それによると、
 「都にしては、松むしといへるは色くろく、鈴むしはあかきをいへり。あづまの人は、おほくそのとなへたがひたり。いづれかいづれか、そのよしわきまへよ・・・」(都では、松虫といっているのは色が黒く、鈴虫というのは色が赤いのを指している。関東の人はその呼び方が違っている。どっちがどっちか、その根拠を明確にせよ)とある。
 つまり、正確にいうと、江戸時代には京都と東京で呼称が逆になってしまったということだ。
 当然ながら、前提として京都の呼称が伝統的に正しいと考えるから、今と逆だったという結論になるわけだ。
 
 これで話は終わるのだが、もう少しよく確かめてみよう。
 まず、現在ではそれぞれがどんな虫なのか確認しておきたい。
 鈴虫=鳴き声(りーんりーん)、体色(黒色)
 松虫=鳴き声(チンチロリン)、体色(やや赤みをおびた黒色、飴色とも)
 
松虫 鈴虫

 さて、これが逆だったとする根拠となったのは「古今要覧稿」という書物である。
 それによると、
 「松むし鈴むしの名萬葉集にはみえず延喜の比よりぞ物にもみえたるさてこの二蟲の名古今のたがひ有延喜の比はチンチロリンとなくを松虫といひリンリンとなくを鈴虫といひけり源氏の比よりこのかたはリンリンと鳴を松むしチンチロリンとなくを鈴虫といふなり」(松虫鈴虫の名は万葉集には見えず、延喜の頃から書物にも見えている。さてこの二つの虫の名前は今と昔で違いがある。延喜の頃はチンチロリンと鳴くのを松虫と言い、リンリンと鳴くのを鈴虫と言った。源氏の頃からはリンリンと鳴くのを松虫、チンチロリンと鳴くのを鈴虫というのである」とある。
 
 ということはつまり、900年ころは今と同じで、1000年ころに今と逆になっちゃったというのだ。
 それなら、今はまた900年のころに戻ったということになるではないか。
 じゃあ何かい、「古今集」に出てくる松虫と「源氏物語」に出てくる松虫は別のものを指してるってことかい。話が断然ややこしくなってきた。
 
 ではこの「古今要覧稿」の作者はいったい何を根拠にこの説を述べているのか。
 それによると、「夫木抄十四蟲」に書かれた次の文章を一つの根拠としている。
 「山のはに月まつむしうかがひてきん(琴)の声にあやまたせ、ある時には野べの鈴虫を聞きて谷の水の音にあらがはれ・・」(山の端に月の出を待つうちに、松虫の声を聞いて琴の音色と勘違いし、ある時には野原の鈴虫の声を聞いて谷川の水の流れる音ではないかと間違い・・)とある。
 これを受けて、「古今要覧稿」の筆者は次のように述べている。
 「按に琴の声はチンチロリンといふに似て水の音はリンリンとなくにかよふべければこのころの称呼は今諸国となふる所とひとしかるべし」(思うに、琴の音色はチンチロリンという音に似ているし、水の音はリンリンと鳴く鈴虫の音色に似通っているから、この頃の鈴虫松虫の呼び方は今諸国で呼んでいる呼び方と同じであろう)というのだ。
 
 これは根拠としてはあまりにお粗末ではないだろうか。
 単なる個人の感覚、印象による判断にしか過ぎないのではないか。
 ちなみに、別の随筆「傍廂」では、
 「琴の音にかよふはリリリインのひびきある」(琴の音色に似通っているのはリリリインという響きがある)と、全く逆のことを言っているのだ。
 
 ただし、室町時代から江戸時代にかけて製作された謡曲「松虫」「野宮」には次のような擬声語がみえる。
 「松虫の声、りんりんりん、りんとして夜の声、冥々たり」(松虫の声がりんりんりん、りんと響いて夜の声は暗くしんみりしている)
 「松虫の音はりんりんとして風茫々たる」(松虫の音色はりんりんと響き、風は茫々と吹く)
 この二例の松虫はいずれも「リンリン」と鳴いており、今の鈴虫のことを指しているように思える。
 しかし、本当にそうだろうか。
 よく見ると「りんりんりん、りん」となっており、間に点が一つ入っている。この点があることによって「チンチロ、リン」とも似通ってくる。さらに言えば、鈴虫は「リンリン」という短い音ではなく、「りーんりーん」と長くのばす音が本当の音である。
 もうこうなってくると、文献だけではどっちがどっちだが全くわからないというのが本当のところだ。
 
 また、同じ頃の「新撰犬筑波集」には次のように書かれている。
 「花の下にも松むしの声、口髭をちんちろりんとひねりたて・・」(花の下にも松虫のチンチロリンという声がして、口髭をひねっている様子もチンチロリンといった感じで・・)
 これは明らかに今の松虫と同じだ。
 
 というわけで、このあたりで結論を出したいと思う。
 今まで定説とされてきた鈴虫松虫が逆だったという説には根拠がないのでいったん白紙に戻す。
 そして、新たに「源氏物語」の次の文章を根拠として私の結論を出したい。
 
 「『秋の蟲の声いづれとなき中に松蟲なむすぐれたる』とて中宮のはるけき野辺をわけていとわざと尋ねとりつつはなたせ給へるしるく鳴きつたふるこそすくなかなれ。名にはたがひて命の程はかなき蟲にぞあるべき」(『秋の虫の声はどれが一番だと決められない中で、やはり松虫が特に優れている』といって、中宮がはるか遠くの野辺をかきわけて特別に探して採ってきて庭にお放しになった松虫だが、はっきりとした声で鳴きつづけるものはとても少ないものだ。名前は松虫(待つ虫)といって気長に長生きしそうな名前だが、実際は違って生命力の弱い虫であるようだ)
 
 ここに出てくる松虫の特徴をまとめてみよう。
 1遠くの野辺まで特別に探して採って来た
 2生命力の弱いはかない虫
 これは現在の松虫そのものではないか。
 鈴虫は家庭で誰もが簡単に飼える生命力の強い虫だから明らかにここに述べられた虫とは違う。
 松虫は今でも飼育に成功した人はほとんどいない。庭に放しても殖えることはない。
 
 結論=源氏物語のころの鈴虫松虫は今と同じものを指していた。
      ただし、一般庶民はどちらがどう鳴くかなどほとんど興味はなく、鈴虫なら縁語として「ふる」「なる」などを用い、松虫なら「待つ」と掛け詞にして使うという詞の上のイメージだけは共通していた。
 
 以上。
 

参考文献:
●「北邊隨筆」松蟲鈴蟲蛬
亡父成章云、松むし、鈴むしは、今の人は、鈴蟲を松蟲といひ、まつ蟲を鈴むしといへり。ただ此比、女わらはべなどの、いひたがへたるにこそあるらめと思ふに、元和の比、玄圃といふものの書きたるものに、(○屋玄圃とて、俳諧に名ある人なり。手なども、いとめでたかりしなり)松蟲、鈴蟲は、名をかへことにしたるか、百番のうたひつくりたる比までは、むかしのままにいひたるにや。たれまつむしのねはりんりんとしてといへり。と書きたり。これによりてみれば、かくいひたがへたる事も、年久しきこととぞおぼゆる。猶りんりんとなくは、松蟲。ちりちりとなくは、鈴蟲とさだむべし。蛬は、今のいとどといふものなり。(御杖云、浪速人は、このいとどをば、いとぢといふ。「と」の「ち」にかよへるなるべし)床にいり、かべにのぼる、霜夜に聲よわるなど、いとどなる事疑なし。つづりさせとなくを、いとどにいひつけたるにて思ふべし。滋野井殿御家蔵の蟲盡の歌合の繪○此下は紙破れてうしなはれたり。
御杖因云、和名抄に、「兼名苑ニ云、蟋蟀、悉率ニ音、一名、蛬、和名、木里木里須(キリギリス)とあり。しかるに、蔡邑ガ月令ノ章句に、「蟋蟀ハ虫ノ名、俗謂之ヲ蜻蛚とあれば、蜻蛚、蟋蟀は同物なるべし。和名抄に、「文字集略ニ云、蜻蛚、精列二音、和名、古保呂木とあるを、後はただきりぎりすといふ名のみありて、こほろぎとは歌にもよまぬは、かみつよには、こほろぎといひしが、きりぎりすとのみいふ事と、なりぬるにやと。千蔭ぬしが萬葉集略解、巻十、詠蟋蟀といふ歌の下に、くはしくいはれたり。これは春海ぬしが考とぞ。雑藝、宇波良古支(ウハラコキ)に、上略「イナコマロハ、ヒャウシウツ、キリキリスハ、シャウコウツとあるをみれば、この歌は、はや、こほろぎといふ名、うせたる世によめるにや。又神楽歌に、蛬とかき、歌には、「蟋蟀とかけるは、猶こほろぎとよむべくや。

●「松の落葉」松虫鈴虫
 まつむしすずむしは、秋の虫おほかる中に、聲すぐれたりとて、これをふかくめでて、歌にもあまたよむなれど、むかしより歌にも文にも、その聲のやうを、かうかうとくはしくいひおかねば、かれは松虫、これは鈴虫と、たしかに聲をききわきまへたる人すくなく、ただ名によりて人まつむしといひ、鈴むしのふりいでて鳴などいふ事にぞありける。さてもよろしきやうなれども、まことには、それと思ひわきまへしらでは、よめる歌のさまによりて、事のたがひもいでくべく、あかぬことになんあれば、おのれ今さだめいはんとす。りんりんとなくは松虫、ちんちろりとなくは鈴虫なり。さるを今の人は、松虫をすずむしといひ、鈴虫をまつむしとこころうるもあめり。今やうのざれ歌にも、よるは松虫ちんちんちろりとうたふなど、ひがごとなり。そもそも此ふたつの虫の聲は、いづれも鈴の音にかよひたれば、ようせずはげにまぎれぬべき事なりかし。源氏物語の鈴虫巻にいへるやう、

 げにこゑごゑきこえたる中に、鈴虫のふりいでたるほど、はなやかにをかし。源氏君の詞、秋の虫の聲いづれとなき中に、まつ虫のなんすぐれたるとて、中宮のはるけき野べを分けて、いとわざと尋ねとりつつはなたせたまへる、しるくなきつたふるこそすくなかなれ。名にはたがひて、いのちのほどはかなき虫にんぞあるべき。心にまかせて、人きかぬおく山、はるけき野の松原に聲をしまぬも、いとへだて心ある虫になんありける。すず虫はこころやすくいまめいたるこそらうたけれ云々。こよひは鈴虫のえんにてあかしてんとおもしのたまふ。

といへるを見るべし。はなやかにをかしといひ、心やすくいまめいたりといへる。ちんちろりとなく虫の聲のさまなり。これは女三宮のおまへの草むらにはなちたまへる虫のことなれば、野べよりとりきたるに、すずむしはえやすくておほく、聲はたはなやかにをかしく、松むしははなちたまへども、はかなくなりてこゑせねば、中宮のはなちたまへどなかざりし事をもかたりいでたまひて、こよひは鈴虫のえんにてあかしてんとは、源氏君ののたまへるなり。りんりんとなく虫は、あるが中にすくなければ、いとわざと尋ねとりつつといひ、かよわければとりもてくるによわりて、野べにききつるやうにはえなかず。しになどすれば鳴つたふるはすくなし。名にはたがひていのちのほどはかなしなどいへるなり。今も野べよりとりきて、前ざいにはなつに、げにさやうにぞありける。今やうの猿楽のうたひといふものに、たれまつ虫の音はりんりんとしてといへるをおもへば、そのころまではまぎれざりけり。さてまつ虫と名におへるは、りんりんと鳴こゑの、遠くては松風の聲のすめるにかよひてきこゆるゆゑにぞあるらん。とまれかくまれ、りんりんとなくはまつむし、ちんちろりとなくは鈴虫とおもひさだむべしとなん。

●「幽遠隨筆」松虫すずむしの事
 大和本草云、松虫、蟋蟀に似てひげあり。松虫尾あるは雌なり。鳴かず。すずむし、形西瓜のさねの如く、扁(ひら)くして色黒し。首小く、ひげは半白く、ひげに條あり。長きことニ三寸、羽あり、背に細文あり。色は身に異ならず。尻に左右ニ毛あり。左右各三足、すべては六足。松虫すずむし並に聲清亮也。秋の夜鳴く。中華の書にて未だ之を見ず云々。和漢三才図会に云、松虫蟋蟀之類、褐色にして長髭、腹黄、野草及び松杉の籬に在り、夜羽を振ひ鳴く聲知呂林古呂林(ちろりんころりん)と言が如し。甚だ優なり云々。鈴虫此れも亦蟋蟀の類、真黒松虫に似て、首小く、尻大、背窄ほく、腹黄白色あり。夜鳴く聲鈴を振るが如し。里里林里里林(りりりんりりりん)と言ふ云々。今其虫を見るに、形聲ともに両書にいへるがごとし。しかれども其名付る所は、いささか不審なきにあらず。知呂林と鳴を、松虫といはんこと據なきに似たり。是はいつの頃よりか、流俗虫の名を取りちがへ、松虫を鈴虫といひ、鈴虫を松虫といひならはせたるを、考たださずして、其まましるせる成べし。一書云、松虫の音は松風凜々とひびきあいたるにたとへ、古人の名付しなり。ちんちろりと鳴は鈴虫也。法師のれいといふものをふる音に、よく似たれば也。松風のひびきに松虫の音をたとへ、鈴むしの鳴ふるせしは、鈴の音の殊勝なるにかよひ、さればこそいにしへより、名付愛して、時をもたがへず鳴よなど、おもへばこそあはれにも、又おもしろきと云々。此説よし。今按るに、和歌にも、松虫の音を松風にたとへてよめる多し。
為顕卿百首に、
  琴の音にかよふは峯の秋風を猶松虫の聲やそふ覧
慈鎮和尚住吉社百首
  住吉のいかきのもとの虫の音におのか聲にも松風そ吹
光臺院入道二品親王家五十首、参議雅経卿、
  まてしばしききてもとはん草の原嵐にまかふ松むしの聲
又、延喜七年亭子院御門御時、西河行幸せさせ給ふ。虫岑和歌序云、山の端に月松むしうかがひて、きむのこゑにあやまたせ、ある時は野べのすず虫を聞きて、谷の水音にあらがはれと云々。これも、きむの聲といへる、すなはち松風によせある也。琴の音に峯の松かぜかよふらし、などよめるにて知るべし。鈴虫をききて谷の水音にと書るは、かすかなる心也。かれこれ證とするに堪たり。しかれば今いはゆる松虫は鈴むしにて、鈴虫は松虫なる事しるべし。既に猿楽の謡曲にも、たれ松虫の音はりんりんとしてとも、我しのぶ松虫の聲りんりんたりともいへり。是等證とするにたらずといへども、又捨べからず。且大和本草に、中華の書に未だ之を見ずと云々。貝原篤信の博識なる、かくかかれたれば、中華の書にはなきにや。然れどももろこしにも、松虫は有なるべし。夫木集に、
  もろこしにわたりける時、野はらを通けるに、松虫をききて  慶政上人
  きき知らぬことのみしげきから國の野べにかはらぬ松虫の聲
(頭書)陳氏花鏡に云、金鐘兒、マツムシ、促織ニ似テ身黒ク長ク鋭前豊後、其尾皆岐アリ、躍ヲ以テ飛コトヲ為ス、翼ヲ以テ鼓鳴ス云々。