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蜂飼の大臣


 「十訓抄 第一可施人恵事」より

京極太政大臣宗輔公は、蜂をいくらともなく飼ひ給ひて、何丸か丸と名を付てよびたまひければ、召にしたがひて、格勤者などを勘當し給ひけるには、何丸某さしてことの給ひければ、そのままにぞふるまひける。出仕の時は車のうらうへの物見にはらめきけるを、とまれとのたまひければ、とまりけり。世には蜂飼の大臣とぞ申ける。不思議の徳おはしける人なり。漢の簫望之が雉をしたがへけるにことならず。此殿の蜂を飼給ふを世人無益の事といひける程に、五月の比鳥羽殿にて蜂の巣俄に落て、御前に飛ちりたりければ、人々さされじとてにげさはぎけるに、相国御前に有ける枇杷を一房とりて、琴爪にて皮をむきてさしあげられたりければ、蜂のある限りとり付てちらざりければ、供人をめしてやをらたびければ、院はかしこくぞ宗輔が候てと仰られて、御感ありけり。


蜜蜂ではないから、蜜をとることもなく飼っても益がないと思われるが、安倍清明が式神を使っていたように、蜂を自在に行使して人を刺したりしている。唯一の手柄は鳥羽院の御前で蜂の巣が落ちて大騒ぎになったときに少しも騒がず蜂を一か所に集めて処分したというところ。
蜂やサソリなど危険な生き物が大好きな人物はいつの世にもいるということか。