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ひぐらしの事


 「難波江」より

萬葉八(夏雑)大伴家持
  略
同(秋雑歌)、詠蝉、
 ゆふかげにきなくひぐらしここだくもひごとにきけどあかぬ聲かも
同(詠風)、
 はぎがはなさきたるのべにひぐらしのなくなるなべに秋の風ふく
同十五(至筑紫館遙望本郷悽愴作歌)
 いきよりはあきつきぬらしあしびきの山まつかげにひぐらしなきぬ
新勅撰(夏)、石山にて暁ひぐらしのなくを聞きて、
 柴をしげみと山のかげやまがふらん明くるもしらぬひぐらしの聲  藤原実方朝臣
新續古今(夏千五百番歌合の歌)、
 わすれては秋かとぞ思ふ風わたるみねよりにしのひぐらしの聲  大納言通具

枕冊子(口をしき物)、それはひぐらしなりといらふる人もあり。そこへとて五日のあした、(割註)上文によるに五月五日なり。」源氏物語(幻、六月の條)、いとあつき頃、すずしきかたにて眺給ふに、池の蓮のさかりなるをみ給ふに、いかにおほかるなど、(割註)いかにおほかる、抄物どもに説あり。今略」先おぼし出らるるに、ほれぼれしくてつくづくとおはするほどに、日もくれにけり。日ぐらしの聲はなやかなるに、御前のなでしこの夕ばえをひとりのみ見給ふには、げにぞかひなかりける。
  つれづれとわがなきくらす夏の日をかごとがましきむしの聲かな
蛍のいとおほうとびちがふも、夕殿にほたるとんでと、例のふることもかかるのみくちなれ給へり。(割註)下文に七月七日とあり。上文に五月雨また時鳥花橘あり。その上文に加茂まつりあり。四月なり」
考云、六帖には蝉とひぐらしと、二題にして歌をのせたり。萬葉集此外にも日倉足をよめる歌あれど、季節詳ならぬをば除けり。古今、後撰は、秋に入れたり。萬葉集は、夏にも秋にも、清少納言、紫式部は夏の景物にしたり。のぼりては実方、くだりては通具、皆夏の部によめり。さて新撰六帖、ひぐらし、
 あくるよりなりもたゆまず山里にげにひぐらしの聲ぞ聞ゆる
此歌によれば、終日なきくらすの心也ともいふべし。又古今、秋上、
 ひぐらしのなきつるなべに日は暮れぬとおもふは山のかげにざりける
とあれば、かならず夕に近くなりてのみなく物にはあらで、太陽をおそれて木陰にてなくならんともさだむべきか。されど打聴にいはく、日をさふる木暗になくなる日ぐらしとは名つけつらん。さればおのづから夕にちかくなれば多くなくめり。古今に、日ぐらしのなく山里の夕ぐれはなどもよみ、萬葉に、夕かげにきなくなどおもふべしといへり。さては夕かたになくにこそ。
附蝉、(割註)和名世美、爾雅註云々。」蚱蝉(割註)本草。雌蝉不能鳴者也。和名奈波世美。」馬蜩。(割註)爾雅注、蝉中最大者也。和名無末世美。」寒蜩。(割註)兼名苑。似蝉而小。月令曰。寒蝉鳴是也。和名加無世美。」蛁蟟。(割註)本草注、八月鳴者也。和名久豆久豆保宇之。」茅蜩。(割註)爾雅注、小青蝉也。和名比久良之。」右六名、和名抄にみえたり。源白石東雅にいはく、むませみは大なるをいふ。(割註)孝云、大ナルヲ馬ト云コト、例アリ。」白石、又或説をのせていはく、奈波世美は名は蝉なれど不鳴といふ。
孝今思ふに、歌には夏にも秋にもよむべし。さて此むし、終日時わかずなくか、夕つけてのみなくか。又太陽をおそれて木陰にのみなくにて、朝夕の別はなきか。此三種いづれよけん。おのれさだめかねたり。日ぐらしは蝉といふべく、蝉をば日倉足とのみいふはわろし。和名抄の六名をてらしてしるべき也。


※※※
ひぐらしという蝉は古典作品中には夏にも秋にも出てくる。
ひぐらしには一日中という意味もあるから、日中ずっと鳴いている蝉をいう場合もあり、
日暗しという意味で夕方鳴く蝉をいう場合もある。
ひぐらしという名で蝉全般を意味しているようなところもあったのだろう。