表紙文学と昆虫>蛍秀句の事


上東門院女御 殿上人蛍秀句事


 「十訓抄 第一可施人恵事」より

或殿上人の五月廿日余いとくらきに、太后宮(彰子)にまいりて、めどうにたたずみけるに、うへより人の音あまたして来りければ、さりげなく引かくれてのぞきけるに、つぼのやり水に、蛍のおほくすだくを見て、さきなる女房、ゆゆしき蛍かな、雪を集たるやうにこそみゆれとて過るに、次なる人優なるこゑにて、蛍火乱飛でと口ずさびけり。また次なる人、夕殿に蛍飛でとうちながむ。しりなる人、かくれぬ物はなつむしのと花やかにひとりごちたりけり。とりどりにやさしくおもしろくて、此男何といふ一ふしもなからんがほいなくて、ねずなきをし出たりければ、さきなる女房、物おそろしや、蛍にも聲の有けるよとて、つやつやさはぎたるけしきもなく、うちしめりたる空、おほめきのほども、あまりに色深く悲しうて覚えけるに、今ひとり、なく虫よりもとこそ思ひしにと取りなしたりける。是また思入たるほど、堪がたくおくゆかしかりけい。惣て取りどりにやさしくおぼえける。このこころは、
 音もせでみさほにもゆる蛍こそ鳴虫よりも哀也けれ

薩摩守忠度、或宮原の女房に物申さむとて、局の上ざまにて、をとなはむもつつましく、ためらひけれど、ことの外に更けにければ、扇をはらはらとつかひならして、聞知せければ、此局の心知の女房のこゑにて、野もせにすだく虫のねよと詠めけるを聞て、扇をつかひやみけり。人しづまりぬとおぼしくて逢たりけるに、此女房、など扇はつかひ給はざりつるといひければ、いざかしましとや聞えつればと云ひたりける。いとやさしかりけり。
 かしがましのもせにすだく虫のねよ我だに物をいはでこそ思へ



蛍といえば、あっというまに有名な句が次々と挙がってくる。その風流に感動した殿上人が、感動したということだけでも伝えようとしてネズミの鳴きまねをして、ここで聞いていましたよと知らせたのだが、だれも相手にしてくれない。一人だけ相手にしてくれた人がいて、その人がまた蛍の秀句で返事するという趣向。蛍は鳴かないからこそいっそう気持ちが伝わってくるのに、あなたは我慢できずに声を出してしまってダメな人ですね。というわけだ。

男が女のもとに通うという風習はとてもスリリングでいいものだ。
これは現代にも復活させたいものだ。
庭に隠れていて、さりげなく女性に自らの来訪を知らせようとする。
咳払いではつまらない。
扇をはらはらと音を出してみる。
相手の女性はそれと気づいたが、「虫の声がうるさいわねえ」などととぼけてみせる。
いざ対面したとき、「何であの時、扇の音をやめちゃったの」というので、
「だって、あなたのおっしゃったのは「かしがまし」という歌の引用でしょう。だから、黙ったのですよ」というわけだ。
何でもかんでも歌の引用で応酬する。その歌を知らなかったらそれで終わりだ。恋も成就しない。