夫木和歌抄 (原文) 第二十七 蓑蟲 松にみのむしのつきたるをすけちかおこせたりける いかでかは露にもぬれん雨ふれともらじかいその松のみのむし 祐擧 返し祐擧家集歌 みのむしの宿れる松のもとよりやぬれしと人はたのみそめけん よみ人しらず 家集蟲 みのむしのすかる木の葉も落いててつくかたもなき秋の暮かな 源仲正 家集柳にみのむしのつきたるを 雨ふれば梅の花かさあるものをやなぎにつけるみのむしやなそ 和泉式部 十題百首御歌蟲 古里のいたまにかかるみのむしのもりける雨をしらせかほなる 後京極摂政 春雨のふりにし里を来てみればまくらのちりにすかるみのむし 定家卿 ちきりけんをきのこころもしらずして秋風たのむみのむしの聲 寂蓮法師 寶治二年蟲に寄する恋 我せこがこぬだにつらき風の音にさこそはなかめ秋のみのむし 知家卿 ★★★(解説) 蓑虫は蓑を着ているから雨が降っても大丈夫。雨と蓑虫の取り合わせがまず一つ。 地味な蓑をまとっている蓑虫。とまるところも地味な柳などを選ぶのはなぜ。 そして、蓑虫の聲。風の音よりさらにわびしい鳴き声。本当は蓑虫は鳴かないから、何か別の虫の鳴き声と聞き間違ったわけだが、それが何かわからない。クサヒバリだとか、そういう樹上性の虫でしょうね。 蜻蛉 正治二年百首御歌 春雨にのきのかけろふみえわかずくれゆく雲のたとたとしさに 後鳥羽院御製 百首御うた蜻蛉 かけろふは命かけたる夕つゆにたまのをすかくくものいとすぢ 順徳院御製 六帖題 夕暮の軒のかけろふ見るままにあはれさためもなき世なりけり 衣笠内大臣 春日社百首さわらひ かけろふの飛火の野辺のさわらひや先もえ初てをりにあふらん 藤原隆祐朝臣 六帖題 あはれなり山おろしふく夕くれになきかすまさる軒のかけろふ 光俊朝臣 建長八年百首歌合 かけろふの夕さりくれば飛ほたるなれもなにゆゑもゆる思ひそ 法師寛伊 三百六十首 かすかのの野中ふる道なかき日に日影のどかにもゆるかけろふ 為家卿 十題百首 夏の日もあたりにしらぬたもとかなかけろふわたる竹のした風 寂蓮法師 述懐百首 三日月の影にかかよふかけろふのほのほかにてもよを過すかな 俊頼朝臣 かげろふ 蜻蛉のひとめはかりにおほめきてこぬ夜数多になりにけるかな よみ人しらず ★★★(解説) 軒のかげろうというのがまず一つ。軒下にとまっているかげろうということか。あるかなきかのはかない存在感。 もう一つはゆらゆらと燃えるかげろう。これも虫のかげろうと同じく頼りないほのかな手応えのない存在感。 蝶 文治三年百首雑歌中 菊かれて飛かふてふのみえぬかな さきちる花やいのちなりけん 定家卿 十題百首御製 我やどのはるの花そのみるたびに とびかふてふの人なれにけり 後京極摂政 正治二年百首 とこなつのあたりは風ものどかにて 散かふものは蝶のいろいろ 寂蓮法師 述懐歌 秋の野となり行庭にとふてふも ねをこそたてねものやかなしき 家隆卿 家集春の歌中 たつねくるはかなきはにもにほふらん 軒端の梅の花のはつてふ 家隆卿 法輪百首蟲 おもしろや花にむつるるからてふのなれはや我も思ふあたりに 源仲正 家集○招蝶 はかなくもまねく尾花にたはふれてくれ行秋をしらぬてふかな 源仲正 ★★★(解説) 蝶が花園を飛び交う情景の華やかさを歌う。なぜこれが平安時代以前は出てこないのかやはり謎だ。 蝶だって声をたてないけどやっぱり悲しいこともあるでしょうと想いやる。 花と蝶の仲むつまじい関係をうらやむ歌。 |