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風俗文選 巻四

○説類
 蓑虫ノ説     素堂
(原文)

 みのむしみのむし、聲のおぼつかなきをあはれぶ。ちちよちちよとなくは、孝に専らなるものか、いかに傳へて鬼の子なるらん。清女が筆のさがなしや。よし鬼なりとも瞽叟(こそう)を父として舜あり、汝は虫の舜ならんか。
 みの虫みの虫、聲のおぼつかなくて、かつ無能なるをあはれぶ。松蟲は聲の美なるが為に、籠中に花野をなき、桑子は糸を吐くにより、からうじて賎の手に死す。
 みのむしみのむし、無能にして静なるをあはれぶ。胡蝶は花にいそがしく、蜂は蜜をいとなむにより、往來おだやかならず、誰が為にこれをあまくするや。
 みのむし、みのむし、かたちの少しきなるを憐ぶ。わづかに一滴を得れば、。其身をうるほし、一葉を得れば、これがすみかとなれり。龍虵のいきほひあるも、おほくは人の為に身をそこなふ。若かじ汝がすこしきなるには。
 蓑蟲蓑蟲、漁父が一糸をたづさへたるに同じ。漁父は魚をわすれず、風波にたへず、幾度かこれをときて、酒にあてんとする。太公すら文王を釣るの謗りあり。子陵も漢王に一味の閑をさまたげらる。
 みのむしみのむし、玉蟲ゆゑに袖ぬらしけん、田蓑の島の名にかくれずや。いけるもの誰か此まどひなからん。鳥は見て高くあがり、魚は見て深く入る。遍照が蓑をしぼりしも、ふるづまを猶わすれざる也。
蓑蟲蓑蟲、春は柳につきそめしより、櫻が塵にすがりて、定家の心を起し、秋は荻ふく風に音をそへて、寂蓮に感をすすむ。木がらしの後は、空蝉に身をならふや、骸(から)も身も共にすつるや。

  又男文字ヲ以テ古風ヲ述ブ
 蓑蟲蓑蟲。 落テ牕中(そうちゅう)ニ入ル。一糸絶エント欲ス。 寸心共ニ空シ。 寄居(がうな)ノ状(かたち)ニ似テ。
 蜘蛛ノ工(たくみ)無シ。 白露口ニ甘ク。 青苔身ヲ粧フ。 従容トシテ雨ヲ侵シ。 飄然トシテ風ニ乗ズ。 栖鴉啄ムコト莫シ。 家童叢ヲ禁ズ。 天ハ許ス隠コトヲ作ス。 我ハ憐ム翁ト称スルコトヲ。 蓑衣ヲ脱シ去リ。 誰カ其ノ終リヲ識ラン。

★★★(解説)
蓑虫はあわれであるという。このあわれという言葉にはさまざまな意味が込められている。
気の毒、かわいそうという意味もある。
親しみの気持ちもある。
同情の気持ちもある。
共感もある。
一生汚い蓑を背負って一生何かにあこがれつづけて一生むなしく雨が降っても風が吹いてもものともせず、じっと耐え続けている姿は何やら自分の一生を象徴しているようでしみじみとした感慨を抱く。
無能無才だからこそ、何かに利用されたり、ねらわれたりせずに天寿を全うできる。しかし、そんな一生が本当に価値のある一生なのか。
蓑虫の最期は誰も知らない。