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金槐和歌集

(原文)

248 蟲
    をざさ原夜半に露ふく秋風をややさむしとや蟲の鳴らむ

249 庭草の露の数そふ村雨に夜ふかき蟲の聲ぞ悲しき

250 故郷蟲
    たのめこし人だにとはぬ故郷(ふるさと)にたれまつ蟲の夜はに鳴くらむ

251 蟋蟀
    秋ふかき露寒きよのきりぎりすただいたづらに音をのみぞ鳴く

252 あさぢ原露しげき庭のきりぎりす秋ふかき夜の月に鳴くなり

253 秋の夜の月のみやこのきりぎりす鳴くは昔のかげやこひしき

254 蟋蟀なく夕ぐれの秋風に我さへあやな物ぞかなしき

255 長月の夜蟋蟀のなくを聞きてよめる
    蟋蟀夜はの衣の薄き上にいたくは霜の置かずもあらなむ

256 野辺みれば露霜寒みきりぎりす夜の衣の薄くやあるらむ


★★★(解説)
秋の夜は日に日に寒さがつのってきて、虫の羽では薄くて寒いだろうねと思いやっている。
もはや虫の音を聞きながら一緒に泣くことはなくなんったようである。
虫とそれを聞く作者とが別々の存在として対峙している。
唯一254の歌だけが、虫の声を聞きながら、自分まで悲しくなってきたと歌っている。しかしこれも「あやな=あやなし」と言っているわけで、「あやなし」とはわけがわからないという意味であるから、虫と作者とはやはり別なのである。虫に影響されて悲しいわけではない。虫と作者が一体となって悲しいのではない。それが明らかに平安時代とは異なる。