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古語拾遺

(本文)
大己貴命(一名は大物主神。一名は大国主命。一名は大国魂神。大和国城上郡大三輪是神也)と小彦名神(高皇産霊尊の子。常世国に遁也)、共に力をあはせ、心を一にして天の下を経営(つくる)。蒼生(あをひとぐさ)・畜産(けもの)の為に病を療(おさむ)る方を定む。又、鳥獣(けもの)・昆虫(はふむし)の災を攘(はら)はむ為に、禁厭之法を定む。百姓今に至るまで咸思頼(みなみたまのふゆ)を蒙る。皆、効(いちしるき)験有也。


一昔在(むかし)、神代に大地主(おほところぬし)神、田を営(つく)る日、牛宍(うしのしし)を以て田人(たひと)に食はしむ。時に御歳神の子、其の田に至りて饗(あへ)に唾(つばきはいかけ)て還りて以て、状(そのかた)を父(かそのかみ)に告(まを)す。御歳神怒を発して、蝗(あかむし)を以て其の田に放つ。苗葉忽に枯損(かれうせ)て篠竹に似(の)れり。是に於いて大地主神、片巫(かたかうなぎ)(志止々鳥)・肱巫(ひぢかうなぎ)(今俗、竈輪、及び米占(よねうら)也)をして其の由(ゆへ)を占ひ求めしむるに、御歳神祟を為す。宜しく白猪・白馬・白鶏を献りて、以て其の怒を解くべし。教に依りて謝(のみいの)り奉るに、御歳神(みとしのかみ)答へて曰く、「実に吾が意也。宜しく麻柄を以てかせひ(手偏に上下)に作りて之をかせぎ、乃ち其の葉を以て之を掃ひ、天押草(あめのおしぐさ)を以て之を押し、烏扇を以て之をあふぐべし。若し此の如くして出去らずは、宜しく牛宍を以て溝の口に置きて、男茎形(をはせかた)を作りて以て之に加へ(是れ其の心を厭(まじな)ふ所以也)、つしだま・蜀椒(きはじかみ)・呉桃(くるみ)の葉、及び塩を以て其の畔(くろ)に班(まけ)置くべし」。よりて其の教へに従ふとき、苗葉復た茂り、年穀(たなつもの)豊稔(ゆたか)なり。是れ今の神祇官、白猪・白馬・白鶏を以て御歳神を祭る縁也。

★★★(解説)
牛の肉を食べて田を作ったら、歳神が怒って祟りを為したという。イナゴは神のたたりだという。祟りなら神に謝罪して献上物を捧げてご機嫌をとれば消えるはずだ。こうして古代の人々の心性は共通している。災厄、災害は神の祟りと考え、作法に則り犠牲を捧げて祈れば災厄は消えるはずだと。東日本大震災も日本人の堕落した行状に神が怒ったのだというような石原慎太郎のような考えが今でも出てくるのだ。