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今昔物語集 

(原文の翻刻)

巻第十三 筑前国僧蓮照身令食諸虫語第二十二

 今は昔、筑前の国に蓮照といふ僧有りけり。若くより法花経を受け習ふ。昼夜に読誦して他の思ひなし。亦た、道心深くして人を哀れぶ心弘し。裸なる人を見ては、我が衣を脱ぎて与へて寒き事を嘆かず。餓えたる人を見ては、我が食(じき)を去りて施(せ)して食を求むる事を願はず。亦、諸々の虫を哀れみて、多くの蚤・虱を集めて我が身に付けて飼ふ。亦、蚊・虻を掃(はら)はず、蜂・蛭の食ひ付くを厭はずして、身の完(しし)を食はしむ。
 しかるに、蓮照聖人、態(わざ)と虻・蜂多かる山に入りて、我が肉(しし)・血を施さむとするに、裸にして動(はたらか)ずして独り山の中に臥したり。即ち虻・蜂多く集まり来たりて、身に付く事限りなし。身を食む間、痛み堪え難しといへども、此れを厭ふ心無し。しかる間、身に虻の子多く生み入れつ。山より出でて後、其の跡大きに腫れて痛み悩む事限りなし。人有りて教へていわく、「此れを早く療治すべし。亦、其の所を炙(や)くべし。亦は薬を塗らば虻の子死にて即ち癒えなむ」と。聖人いわく、「更に治すべからず。此れを治せば多く虻の子死ぬべし。然れば、只此の病を以て死なむに苦しぶ所に非ず。死ぬる事遂に遁れぬ道なり。何ぞ虻の子を殺さむ」といひて、治せずして、痛き事を忍びて、偏に法花経を誦するに、聖人の夢に、貴く気高き僧来たりて、聖人を讃(ほめ)ていわく、「貴き哉、聖人、慈悲の心弘くして有情哀れむで殺さず」といひて、手を以て疵を撫で給ふ、と見て夢覚めぬ。其の後、身に痛む所無くして、疵忽ちに開きて、其の中より百千の虻の子出でて飛びて散りぬ。然れば、癒えて痛き所なし。
 聖人弥々道心を発(おこ)して、法花経を誦する事永く退(おこた)らずして失せにけりとなむ語り伝へたるとや。

★★★(解説)
 まさに宮沢賢治の雨にも負けず東西南北を走る姿を彷彿とさせるが、蚤虱をわざわざ体につけて養っているのはやりすぎだろう。来るものは拒まずならいいとして、わざわざ山まで出かけて行って自分の体を投げ出すというのはやりすぎだろう。しかし、賢治の一生もこれと同じだったのかもしれない。自分の体を人のために捧げた挙句、結核で亡くなるのだから。
 因みに、雨にも負けずの言葉を、東日本大震災後に随分多くの人が口ずさんだが、どういう意味で、雨にも負けずを引用したのかよくわからない。被災者を励ますためだとすると、ちょっと内容がそぐわない。雨にも負けずの内容はあくまで自分が助ける側であり、助けられる側ではない。苦しんでいる被災者に更に人のためにでくのぼうになって働けというのは酷であろう。では、逆に何も被害のなかった人々に、被災者を助けに行こうという呼びかけしとして引用したのだろうか。それならそれなりに筋は通る。


巻二十九 於鈴香山蜂螫殺盗人語 第三十六

(原文の翻刻)

 今は昔、京に水銀(みづかね)商する者有りけり。年来(としごろ)役と商ひければ、。大きに富て財(たから)多くして家豊かなりけり。
 伊勢の国に年来通ひありきけるに、馬百余疋、もろもろの絹・布・糸・綿・米などを負はせて、常に下り上りありきけるに、只小さき小童部を以て、馬を追はせてなむ有りける。かやうにしける程に、やうやく年老にけり。
 それに、かくありきけるに、盗人に紙一枚取らるる事無かりけり。
 しかれば、いよいよ富みまさりて財失する事無し。亦、火に焼け水に溺るる事無かりけり。なかんづくに、伊勢の国は、いみじき、父母が物をも奪ひ取り、親しき疎きをもいわず、貴きも賤しきもえらばず、互ひに隙をはかりて魂(たま)をくらまして、弱き者の持ちたる物をばはばからず奪取りて、己が貯へとする所なり。それに、此の水銀商が、かく昼夜にありくを、いかなる事にか、これが物をのみなむ取らざりける。
 しかるに、いかなりける盗人にかありけむ、八十余人心を同じくして、鈴香の山にて、国々の行き来の人の物を奪ひ、公け私の財を取りて、皆その人を殺して、年月を送ける程に、公も国の司も、これを追捕(ついぶ)せらるる事もえ無かりけるに、その時に、此の水銀商、伊勢の国より馬百余疋に諸々の財を負はせて、さきざきの様に、小童部を以て追はせて、女共などを具して食物などせさせて上りける程に、此の八十余人の盗人の、「此はいみじきしれものかな。此の物共皆奪取てむ」と思ひて、かの山の中にして、前後にありて中に立ち挟(はさ)めておどしければ、小童部は皆逃げ去りにけり。物負はせたる馬共は皆追ひ取りつ。女共をば、皆着たる衣(きぬ)共を剥ぎ取りて追ひ棄てけり。水銀商は、浅黄の打衣に青黒の打狩袴を着て、練色の衣の綿あつらかなる三つばかりを着て、菅笠を着て、草馬(めうま)に乗りてぞ有りけるが、辛くして逃げて、高き丘に打上りにけり。盗人もこれを見けれども、「すべきこと無き者なめり」と思ひ下して、皆谷に入りにけり。
 さて、八十余人の者の、各々思しきに随ひて、あらそひ分かち取りてけり。あへて、「いかに」といふ者無ければ、心静かに思ひけるに、水銀商、高き峰に打立ちて、あへて事とも思ひたらぬ気色にて、虚空(おほそら)を打見上げつつこゑを高くして、「いづら、いづら、遅し遅し」と云ひ立てりけるに、時半ばかり有りて、大きさ三寸ばかりなる蜂のおそろしげなる、空より出で来て、「ぶぶ」と云いて、傍らなる高き木の枝に居ぬ。水銀商、此れを見ていよいよ念じ入りて、「遅し遅し」と云ふ程に、虚空に赤き雲二丈ばかりにて長さ遙かにて、俄に見ゆ。
 道行く人も、「いかなる雲にか有らむ」と見けるに、この盗人共は、取りたる物共したためける程に、此の雲やうやく下りて、その盗人の有る谷に入りぬ。此の木に居たりつる蜂も立ちて、そなたざまに行きぬ。はやう、此の雲と見えつるは、多くの蜂の群て来るが見ゆるなりけり。さて、そこばくの蜂、盗人ごとに皆付きて、皆螫(さ)し殺してけり。一人に一二百の蜂付きたらむにだに、いかならむ者かは堪へむとする。それに、一人にニ三石の蜂の付きたらむには、少々をこそ打殺しけれども、皆螫し殺されにけり。その後、蜂皆飛び去りにければ、雲も晴れぬと見えたり。
 さて、水銀商は、その谷に行きて、盗人の年来取りて貯へたる物共、多く弓・胡録(やなぐひ)・馬・鞍・着物などに至るまで皆取りて、京に返りにけり。しかれば、いよいよ富まさりてなむ有りける。
 此の水銀商は、家に酒造り置きて、他の事にも仕(つか)はずして、役と蜂に呑ませてなむ、此れを祭りける。然れば、彼が物をば盗人も取らざりけるを、案内もしらざりける盗人の取りて、かく螫し殺さるるなりけり。
 然れば、蜂そら物の恩は知りけり。心有らむ人は、人の恩を蒙りなば、必ず酬(むく)ゆべきなり。亦大きならむ蜂の見えむに、専らに打殺すべからず。かく諸々の蜂を具し将(い)て来て、必ず怨(あた)を報ずるなり。
 これ、いづれの程の事にか有るらむ。かくなむ語り伝へたるとや。

★★★(解説)
 これは「人から恩を受けたら必ず返さないといけない」という教訓話として書かれているが、全く現実にはありえない話である。蜂が酒を飲ませてもらう恩返しに用心棒のようなことをするというのは、荒唐無稽である。それを知っている盗賊はこの商人からは絶対に追い剥ぎをしないというのも、どういうルートで情報が伝わるのか、盗人連合会のような組織があって、それに加盟していない者には情報が伝わらないというようなことか。蜂が主人の危機を知って、遠くから駆けつけるというのもありえない。テレパシーかリモコンのようなものがあるのか、
 しかしながら、スズメバチの類に集団で襲われたら人間は死ぬ。その恐怖は当時相当のものがあっただろう。今でも毎年誰かがスズメバチに刺されて死んでいる。スズメバチのあの黄色と黒の模様、不敵な面構えはDNAに刻まれた恐怖だ。それがこの話を生んだのだろう。また、商売人にとって、盗人追い剥ぎの恐怖はそれと同じくらいの恐怖だったろう。蜂の恐怖と追剥の恐怖。それが相まってこの話を生んだのだろう。何も悪いことをしていなにのに、一方的に物を奪われ命を奪われる恐怖。しかし、蜂は飼いならすことができた。それなら盗人自体を飼い慣らすこともあと一歩であろう。そこに武士の台頭が起こる。武士は王家の犬として飼い慣らされた盗賊だった。


第二十九 蜂擬報蜘蛛怨語第三十七

 今は昔、法成寺の阿弥陀堂ののきに、蜘蛛の網(い)を造りたりけり。その糸長く引きて、東の池に有る蓮の葉に通じたりけり。
 此れを見る人、「遙かに引きたる蜘蛛の糸かな」などと云ひて有りける程に、大きなる蜂一つ飛来りて、其の網の辺を渡りけるに、其の網に懸かりにけり。その時に、いづこよりか出で来たりけむ、蜘蛛糸に伝ひて急(き)と出で来て、此の蜂を只巻に巻きければ、蜂巻かれて逃ぐるべきやうも無くて有りけるを、其の御堂の預りなりける法師、此れを見て、蜂の死なむずるを哀れむで、木を以て掻き落としければ、蜂土に落ちたりけれども、翼をづぶと掻き籠められてえ飛ばざりければ、法師、木を以て蜂を抑へて、糸を掻き去(の)けたりける時、蜂、飛て去りにけり。
 その後、一両日を経て、大きなる蜂一つ飛び来たりて、御堂ののきにぶめきありく。これにつづきて、いづこより来るとも見えで、同じほどなる蜂、ニ三百ばかり飛び来たりぬ。その蜘蛛の網造りたるほとりに皆飛び付きて、のき・垂木のはさまなどを求めけるに、その時に蜘蛛見えざりけり。蜂、暫くありて、其の引きたる糸を尋ねて、東の池に行きて、その糸を引きたる蓮の葉の上に付きて、ぶめきののしりけるに、蜘蛛それにも見えざりければ、時半ばかり有りて、蜂皆飛び去りて失せにけり。
 その時に、御堂の預りの法師、此れを見て怪しび思ふに、「此れは、早う、一日蜘蛛の網に懸かりて巻かれたりし蜂の、多くの蜂をいざなひて来て、敵うたむとて、其の蜘蛛を求むるなりけり。然れば、蜘蛛は、それを知りて隠れにけるなめり」と心得て、蜂共飛び去りて後に、法師、その網の辺に行きてのきを見るに、蜘蛛更に見えざりければ、池に行きて、其の引きたる蓮の葉を見ければ、其の蓮の葉をこそ、針を以て差したる様に隙も無く差したりけれ。さて、蜘蛛は、其の蓮の葉の下に、蓮の葉の裏にも付かで、糸に付きてさされまじき程に、水際に下りてこそ有りけれ。蓮の葉の裏返りて垂れ敷き、異草共など池にしげりたれば、蜘蛛、其の中に隠れて、蜂はえ見つけざりけるにこそは。預かりの法師、かくと見て返りて語り伝へたるなりけり。
 これを思ふに、智(さと)り有らむ人そら、さはえ思ひ寄らじかし。蜂の、多くの蜂をいざなひ集め来たりて、怨(あた)を報ぜむとするはさも有りなむ。獣は皆互いに敵をうつ、常の事なり。それに、蜘蛛の、「蜂我をうちに来たらむずらむ」と心得て、「さてばかりこそ命は助からめ」と思ひ得て、わりなくしてかく隠れて、命を存することは有りがたし。されば、蜂には、蜘蛛遙かにまさりたり。

★★★(解説)
 蜂の集団の一致団結しているさまは驚異である。巣を攻撃されたと感じたときには、蜂は集団で襲ってくる。しかし、一匹がやられたからといって、そのかたきを打ちに集団でやってくるということはありえない。働き蜂は兵隊にすぎず、兵隊はいくら死んでもかまわないのだ。人間の世界でも一兵卒の死にいちいち反応する軍隊は滅びる。このあたりは、蜂の世界を美化しすぎている。
 さて、法師が蜂を助けた行為はどのような意味があるのかないのか。この世の生態系は蜘蛛と蜂とを造り、蜘蛛は蜂を捕り、蜂は他の幼虫などを捕り、・・・と循環しているわけだが、その循環の過程でたまたま一匹を見て哀れに思って救うことが、後々蜘蛛の大虐殺に結果したとしたら、法師の行為は大変な間違いを犯したことにならないだろうか。まことに愚かな行為と言わねばならない。では、見殺しにするのが悟りかというと、そうとも言えない。悟りはそのような冷酷なものではないはずだ。衆生を救うことが本願であるはずだ。それについては何も触れていない。ずるい話だ。
 さて、結論は何か。蜘蛛は蜂より遙かに智慧がすぐれているという結論だ。


巻第十四 僧行範持法花経知前世報語 第十五

 今は昔、越中の国に海蓮といふ僧有りけり。若くより法花経を受け習ひて、日夜に読誦する間、序品(ほん)より観音品に至るまで二十五品は、そらにおぼえて誦(じゅ)しけり。残りを三品を年来(としごろ)おぼえむとするに、更におぼえざりけり。然れば、此の事を歎きて、立山(たちやま)・白山に参りて祈請(きしょう)す。亦、国々の霊験所に参りて祈り申すに、尚おぼえず。
 しかる間、海蓮、夢に、菩薩の形なる人来たりて、海蓮に告げていはく、「汝この三品をそらにおぼえざる事は、前世の宿因によりて也。汝前生(ぜんしょう)に蟋蟀(きりぎりす)の身を受けて、僧房の壁に付きたりき。その房に僧有りて法花経誦す。蟋蟀壁に付きて経を聞く間、一の巻より七巻に至るまで誦し畢(お)へつ。八巻を初一品を誦して後、僧湯を浴みてやすむが為に壁に寄り付くに、蟋蟀の頭に当たりて、圧し殺されぬ。法花の二十五品を聞きたる功徳によりて、蟋蟀の身を転じて人と生まれて、僧と成りて法花経を読誦す。三品をば聞かざりしによりて、其の三品をそらにおぼゆる事無し。汝前生の報を観じて、よく法花経を読誦して、菩提を期(ご)すべし」とのたまふ、と見て夢覚めぬ。
 其後、海蓮本縁(ことのもと)を知りて、いよいよ心を至して法花経を読誦して、仏道を願ひてねむごろに修行しけり。海蓮、天禄元年といふ年、失せけりとなむ語り伝へたるとや。

★★★(解説)
輪廻転生の物語。人間から虫に生まれ変わるのは簡単だが、虫から人間に生まれ変わるにはどうしたらいいかの答えがここにある。虫の中には本当に悟りを開いたかと思われるような澄ました虫がいる。カマキリはPreying Mantisと呼ばれる。まさしく後生を祈っている姿をしている。蟋蟀はもちろん今のコオロギのことだが、じっと壁にとまって動かないのを見ていると、確かにお経を聞いているのではないかと思えてくる。法華経には聞くだけで功徳があるということらしい。
 それと、人にはどうしても苦手なものとか、どうしても欠けているものとかがある。そのようなものの因縁を一挙に説明してくれるのが前世というからくりだ。


巻第一 帝釈、与修羅合戦語第三十

 今は昔、帝釈の御妻(みめ)は舎脂(しゃし)夫人(ぶにん)といふ。羅ご阿修羅王の娘なり。父の阿修羅王、舎脂夫人を取らむがために、常に帝釈と合戦(こうせん)す。
 或る時に、帝釈既に負けて返り給ふ時に、阿修羅王追ひて行く。須弥山の北面より帝釈逃げ給ふ。其の道に多く蟻遙かに這ひ出でたり。帝釈その蟻を見ていはく、「我今日たとひ阿修羅に負けてうたるる事ありとも、戒を破る事はあらじ。我なほ逃げて行かば。多くの蟻は踏み殺されなむとす。戒を破りつるは善所に生ぜず。いかにいはむや、仏道を成ずる事をや」といひて返り給ふ。
 その時に、阿修羅王責めて来るといへども、帝釈の返り給ふを見て、「軍(いくさ)を多く添へて、又返りて我を責め追ふなりけり」と思ひて、逃げ返りて蓮の穴に籠りぬ。帝釈負けて逃げ給ひしかども、蟻を殺さじと思ひ給ひし故に、勝ちて返り給ひにき。されば、「戒を持(たも)つは三悪道に落ちず、急難を遁るる道なり」と仏の説き給ふなりけりとなむ語り伝へたるとや

★★★(解説)
殺生戒を守ることの功徳。虫も人間も命は一つ。みな生きたいと願っている。その中で他の生命を優先し、自分の命を後回しにして、自ら犠牲になることが最も仏の道にかなうことである。それは道理に反している。どの生命も同じ価値があり、どの生命も生きたいと願っているなら、まず自分の生命を優先するのが道理である。仏の道は道理に反している。だからこそ強力なのだ。革命なのだ。



巻第六 天竺迦弥多羅(かみたら)。華厳経伝震旦語 第三十一

 今は昔、天竺の執師子国(しゅうししこく)に一人の比丘有りけり。名を迦弥多羅といふ。第三果を得たる人なり。震旦には其の名を能支(のうし)といふ。
 震旦の○の代に麟徳の初めに、震旦に来たりて聖跡(しょうしゃく)を尋ねて、あまねく諸々の名有る山及び諸々の寺に至る。遂に京西の大原寺といふ寺に至りて、寺の諸々の僧に語りて花厳経を伝ふ。寺の僧等問ひていはく、「此れは何等の経ぞ」と。能支答へていわく、「此れは此、大方広仏(だいほうこうぶつ)花厳経なり。此の土(ところ)に亦、此の経ましますや否や。若し、此の経の題目を聞き奉る人は、決定(けつじょう)して四悪趣に堕つる事無し。此の経の功徳不思議なり。汝達等まさに知るべし、我、此の経の不思議を語り聞かしめむ。
 西国の伝にいはく、「昔、比丘有りて華厳経を読み奉らむと思ひて、先ず手を洗はむが為に水を以て掌に受くるに、其の水の灌ぎたる所に数(あまた)の虫有り。其を水の身に触れたるに依りて、命終(みょうじゅう)して皆天上に生まるる事を得たり」。いかにいわむや、此の経を受持・読誦・解説(げせつ)・書写せらむ人の功徳思ひ遣るべし。
 亦、昔聞きき、憂填(うでん)国の東南二千余里に一の国有り。名を遮く盤といふ。其の国の城(みやこ)の辺(ほとり)に一に伽藍有り。其の中に、一人の比丘有りて、大乗花厳経を読み奉れり。其国の王及び大臣、此れを供養す。其の時に、夜忽ち大きに光明有りて、城の内を照らす。王驚き怪しむ程に、其の光明の中に百千の天衆(てんじゅ)有りて、種々(くさぐさ)の天衣(てんえ)・諸々の宝を瓔珞を以て、王及び此の比丘に施す。
 其の時に、王及び比丘、問ひていはく、「此れ、誰れの天の、何の故有りてかく施すぞ」と。天答へていはく、「我等は此れ、此の伽藍の辺に有りし虫なり。沙門の花厳経を読み奉らむが為に、水を以て掌に受けて手を洗ひ給ひしに、水の灌く所に有りし虫なり。其の水を身に触れたるに依りて、我等、命を捨てて忉利天に生まれたり。天に生まれぬれば、自然(おのづから)に本縁(ことのもと)を知れるが故に、我等来たり下りて恩を報ずる也」といひて、還り昇りぬ。王、天の言を聞きて悲しび喜びていはく、「我が国には偏に大乗を流布して小乗を留むべからず」と。其れより以来(このかた)、かの王、大乗を敬ひ貴ぶ事限り無し。諸々の国の比丘有りて、この国の境に入る者、若し、小乗を学すれば即ち去らしめて、更に国に留めず。今に其の事改めず。王の宮の内には華厳・摩訶般若・大集・法花等の経十二部并びに十万偈有りて、王自ら此れを受持す。かくのごとき等の事、甚だ多し」となむ能支語り聞かせける。
 然れば、寺の僧等、皆、此れを聞きて、深く信を発して、華厳経を受持・読誦・解説・書写し奉りけりとなむ語り伝へたるとや。

★★★(解説)
 華厳経の功徳は、さらにすごい。法華経を聞いていた蟋蟀が人間に生まれ変わった話があったが、華厳経は聞くまでもない。修行僧が華厳経を読もうとしてまず手を洗って身を清めようとした、その水が飛び散ってそばにいた虫にかかっただけで、その虫が一気に天上まで行ってしまう。話はどこまで飛躍するのか。それなら華厳経を聞いていた虫はどこまでいくのか、もはや行く所がない。なぜ水飛沫なのか。水の飛沫で死んでしまうような弱くはかない虫に仏の慈悲が及んだということか。
 大乗が尊ばれ小乗が捨てられるという話なのか。