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松虫

 謡曲「松虫」より

2 (次第)元の秋をも松虫の、元の秋をも松虫の、音にもや友を忍ぶらん。

4いかに申し候、只今の言葉の末に、松虫の音に友を忍ぶと承り候ふは、いかなる謂はれにて候ふぞ。
さん候ふそれにつき物語りの候、語って聞かせ申し候ふべし
さらばおん物語り候へ
(語り)昔この阿倍野の松原を、ある人二人連れて通りしに、折節松虫の聲面白く聞こえしかば、一人の友人、やや久しく待てども帰らざりしほどに、心もとなく思ひ尋ね行き見れば、かの者草露に臥して空しくなる、死なば一所とこそ思ひしに、こはそもなにといひたることぞとて、泣き悲しめどかひぞなき。そのまま土中に埋れ木の、人知れぬとこそ思ひしに、朽ちもせで松虫の、音に友を忍ぶ名の、世に漏れけるぞ悲しき。

今もその、友を忍びて松虫の、友を忍びて松虫の、音に誘はれて市人に、身を変へて亡き跡の、亡霊ここに来たりたり。恥づかしやこれまでなり、立ちすがりたる市人の、人影に紛れて、阿倍野のかたに行きにけり、阿倍野のかたに行きにけり。
5 不思議やさてはこの世にも、亡き影すこし残しつつ、この程の友人の、名残を暫し留め給へ、折節の秋の暮れ、松虫も鳴くものを、われや待つ聲ならん、そも心なき虫の音の、われを待つ聲ぞとは、まことしからぬ言葉かな、虫の音も、虫の音も、忍ぶ友をば待てばこそ、言の葉も掛かるらめ、。げにげに思ひ出だしたり、古き歌にも秋の野に、人松虫の聲すなり、われかと行きて、いざ弔はんと、思しめすか人びと、有難やこれぞまことの友を、忍ぶぞよ松虫の、音に伴なひて帰りけり、虫の音に連れて帰りけり。


8  あら有難のおん弔ひやな、秋霜に涸るる虫の音聞けば、閻浮の秋に帰る心、なほ郊原に朽ち残る、魄霊これまで来りたり、嬉しく弔ひ給ふものかな。



10
世は皆酔へり、さらばわれひとり覚めもせで、萬木皆もみぢせり、ただ松虫のひとり音に、友を待ち詠をなして、舞ひを奏で遊ばん。

11 面白や、千草に集く虫の音の、機織る音は。

12 きりはたりちょう、きりはたりちょう、つづりさせてふ、蟋蟀茅蜩(きりぎりすひぐらし)、いろいろの色音の中に、別きてわが忍ぶ、松虫の聲、りんりんりん、りんとして夜の聲、冥々たり。
 すはや難波の、鐘も明け方の、あさまにもなりぬべし、さらばよ友人、名残の袖を、招く尾花の、ほのかに見えし、跡絶えて、草茫々たる、朝の原の、草茫々たる、朝の原、虫の音ばかりや残るらん、虫の音ばかりや、残るらん。

★★★
阿倍野の松原で友が帰らぬ人となり、そこに埋めて立ち去ったが、今も友を待って、松虫が鳴いている。
今もなお、友をも待って松虫が鳴いている。友を待つ虫だから、松虫。
古い歌にもある。
秋の野に人待つ虫の聲すなりわれかと行きていざ訪はん
「訪はん」は「訪ねる」という意味だが、ここでは死んだ友を「弔う」という意味に変わっている。
この作品は虫の擬音語の宝庫である。

蟋蟀(こおろぎ)の声は「きりはたりちょう」「つづりさせ」
松虫の声は「りんりんりん、りん」