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鶉衣

百蟲譜
(原文)
 蝶の花に飛びかひたる、やさしきものの限りなるべし。それも啼音(なくね)の愛なければ、籠にくるしむ身ならぬこそめでたけれ。さてこそ荘周が夢も此物には託しけめ。只蜻蛉(とんぼう)のみこそ、かれにはやや並ぶらめど、糸につながれ黐(もち)にさされて、童のもてあそびとなるだに苦しきに、阿呆の鼻毛につながるるよとは、いと口をしき諺かな。美人の眉にたとへたる、蛾といふ虫もあるものを。

 子を持てるものは、その恩愛にひかれてこそ苦労はすれ。蜂の他の虫をとりて我子となす。老の行衛をかからんとにもあらず、何を譲らむとてかくは骨折るや。我に似よ似よとは、いかに己が身を思ひあがれるにかあらむ。花に狂するとは詩人の称にして、歌にはさしも詠まず。蜜をこぼして世のためとするはよし。只人目稀なる薬師堂に、大きなる巣作りて、掃除坊主をおびやかさんとす。それも針なくば人には憎まれじを。

 蛙は古今の序にかかれてより、歌よみの部に思はれたるこそ幸なれ。朧月夜の風しづまりて遠く聞こゆるはよし。古池に飛んで、翁の目さましたれば、此物の事更にも謗りがたし。

 蝉はただ五月晴れに聞きそめたる程がよきなり。やや日ざかりに啼きさかる比は、人の汗しぼる心地す。されば初蝶とも初蛙(かはづ)ともいふ事をきかず。此物ばかり初蝉といはるるこそ、大きなる手がらなれ。やがて死ぬ気色は見えずと、此ものの上は翁の一句に盡きたりといふべし。

 蛍はたぐふべき物なく、景物の最上なるべし。水に飛びかひ草にすだく、五月の闇はただこの物の為にやとまでぞ覚ゆる。しかるに貧の學者に取られて、油火の代にせられたるは、此ものの本意にはあらざるべし。歌に蛍火とよませざるは、ことの外の不自由なり。俳諧にはその真似すべからず。

 日ぐらしは多きもやかましからず。暑さは晝の梢に過ぎて、夕は草に露おく比ならん。つくづくほうしといふ蝉は、つくし戀しともいふなり。筑紫の人の旅に死して此物になりたりと、世の諺にいへりけり。哀は蜀魂の雲に叫ぶにもおとるべからず。

 蜘蛛はたくみに網をむすんで、ひそまって物を害せんとす。待つくれの歌によまれ、又は退隠の媒ともなりたれど、ひとへに奸賊の心ありていとにくし。古代朝敵の始として、頼光をさへおびやかしたる、いと恐ろし。さはいへ、廃宅の荒れたる軒に、蝉の羽などかけ捨てたるは、いささか哀そふ折もあらんか。彼はかひがひしく巣をつくりてこそあれ、東海道にちりほひたる宿なし者をば、蜘とはいかでいふやらむ。

 芋虫は腹たつものに譬へ、毛虫はむづかしき親仁の號とす。脊虫(せむし)吝虫(しはむし)は名のみして虫ならず。油むしといふは、虫にありて憎まれず、人にありて嫌はる。

 蚕の生涯は世の為に終わり、火取虫は誰がために身をこがすや。蜉蝣ははかなき例にひかれ、蓼くふ虫は不物(ふもの)ずきの謗となれり。さは俳諧するものを、俳諧せぬ人のかくいふ折もあるべし。

 おなじ寶の名によばれて、玉虫はやさしく黄金虫はいやし。

 蟻は明くれにいそがしく、世のいとなみに隙なき人には似たり。東西に集散し、餌を求めてやまず。いつか槐安の都をのがれて、その身の安き事を得む。さるも便あしき方に穴をいとなみて、千丈の堤を崩すべからず。

 蝿は欧陽氏に憎まれ、紙魚は長嘯子にあはれます。

 狗の歯に噛まるる蚤はたまたまにして、猿の手にさぐらるる虱は、のがるる事難かるべし。

 虱を千手観音と呼ぶに、蚰蜒(げじげじ)は梶原が異名なりや、げぢげぢが異名なりや、先後は知りがたし。

 蝸牛(かたつむり)は只水にあるべきものの、いかで草葉に遊ぶらん。家は持ちたれども、ゆく先々を負ひあるくは、水雲の安きにも似ず。

 蛇蚯蚓(みみず)の足なくてもあるくべくは、蜈蚣(むかで)をさむしの数多きは不用の事なり。

 蟷螂の痩せたるも、斧を持ちたる誇りより、その心いかつなり。人の上にも此類はあるべし。

 蟹のあゆみに譬ふべきものこそなけれ。ただ原吉原を、駕にのりて富士を詠めゆく人には似たり。

 促織(はたおり)、鈴虫、くわむしは、その音の似たるを以て名によべる。松虫のその木にもよらで、いかでかく名を付けたるならん。毛生ひむくつけき虫にも、同じ名ありて、松を枯らし人にうとまる。一在所に二人の八兵衛ありて、ひとりは後生をねがひ、ひとりは殺生を事とす。これ松虫の類なるべし。

 きりぎりすのつづりさせとは、人のために夜寒ををしへ、藻にすむ虫は我からと、只身の上をなげくらんを、蓑虫の父よと呼ぶは、守宮(やもり)の妻を思ふには似ず。されど父のみ恋ひて、などかは母を慕はざるらん。

 蚊は憎むべき限ながら、さすが卯月の比端居(はしゐ)めづらしき夕べ、はじめて仄かにききたらむ、又は長月の比力なく残りたるは、寂しきかたもあり。蚊屋釣りたる家のさま、蚊やり焼く里の烟など、かつは風雅の道具ともなれり。藪蚊は殊にはげしきを、かの七賢の夜咄には、いかに團(うちは)の隙なかりけむ。

 むかし銀に執心のこせし住持は、蛇となりて銭箱をまとひ、花に愛著(あいぢゃく)せし佐國(すけくに)は、蝶となりて園に遊ぶ。そも俳諧に心とめし後の身、いかなる虫にかなるらん。花に狂ひ月にうかれて、更(ふけ)行く行燈の影をしたひ、なら葉の匂ひに、音を啼くらんこそ哀なるべけれ。

★★★(解説)
虫をめぐる俳諧的随想。

 蜂に似我蜂(ジガバチ)というのがいて、「他の虫をとってきて我が子として、我に似よ」というのは、他の虫をとってきてその虫に卵を産み付け、生まれてくる幼虫の餌にすることをいうのであろう。その巣から出てくるときには他の虫を食い尽くして親と同じ蜂が出てくるわけだから、知らない人が見たら、他の虫が蜂に変身して出てきたと思ってしまうこともあり、こんな話ができたのかもしれない。

 蝉といえば、芭蕉の「やがて死ぬけしきは見えず蝉の声」で決まりだ。これ以上の句はできないと絶賛している。

 つくつくほうしという蝉は、筑紫の人が旅で死んで、つくしが恋しいと言って啼いているというのがいかにも日本人の発想で面白い。

 「蜈蚣の足多きは不用の事だ」というのは、ルナールの博物誌の「蟻、33333多すぎる」というのを思い出す。

 松虫は良い声で鳴く松虫と木を枯らす害虫の松虫とがいて、まるで、二人の八兵衛という人がいて、一人は仏道に精進し、一人は生き物を殺す悪人であるようなものだ。という。「八兵衛」といえば、「うっかり八兵衛」を思い出す。「しっかり八兵衛」というのもいるのだろうか。

 蚊という虫は憎らしい虫だが、蚊取り線香の烟などは風流な景物となる。このあたりも日本人の心優しさを感じる。


鶉衣 続編下

焼蚊辭
(原文)

 おのが身ひとつはただ塵泥(ちりひぢ)の幽(かすか)なる物ながら、類を引き群をなし、夕のせどに柱を立て、軒端に雷の聲をなし、貴賤の肌をなやますより、世に蚊帳(かちょう)といふ物を以て汝を防ぎ、末末の品に至るまで、誰か一釣の紙帳をもたざるべき。積りて世の費(ついえ)いくばくぞや。されば虻の利嘴(りし)蜂の毒尾も、しひて人を害せむともせず、既に仇の逼(せま)る時、是をもて防がんとするは、人の刀剣を帯するにひとし。汝が針は只人の油断をうかがひ、ひとり口腹(こうふく)のために貪らんとす。たまたま蜘(くも)の巣につつまれ、人の手に握られて、其針を出すことあたはず。然れば巾着切(きんちゃくきり)のはさみには劣れり。今宵一把(いちは)の杉の葉をたいて、端居をここちよくせんとすれど、猶も透間をうかがふ憎さに、大人気(おとなげ)なきわざながら、紙燭(しそく)をして汝を○る。ひとへに汝が業火(ごうか)なれば、他をうらむ事あるべからず。さるにても浅ましき汝が身を観ずれば、
  火をとりに来ぬ蚊は人に焼かれけり


蝉引

 三伏の日ざかりの暑さに堪へがたくて、
  蝉あつし松きらばやとおもふまで
 と口ずさびし日数も程なく立ちかはりて、やや秋風に其聲のへり行くほど、さすがに哀に思ひかへして、
  死に残れ一つばかりは秋の聲

★★★(解説)
 蚊をどうやって焼くのか、ちょっと疑問。火に近づいてきた蚊を焼いたというのだが、そんなのろまな蚊を今まで見たことがない。蚊取り線香で弱った蚊を焼いたということなのか。それなら隙をねらってきたというよりも、前後もわからなくなって迷い込んできた蚊ということになる。

 夏の蝉は暑苦しい鳴き声で、いっそのこと、とまっている松の木を切ってしまえば蝉が来なくなるというのだが、これも「松焼かばや」として、「蝉を焼く」とでもすれば面白かったのに。
 「死に残れ」の句は、「冬蜂の死所なくあゆみけり」につながっていくのだと思う。



鶉衣 拾遺下

鳥獣魚虫の掟
(原文)

  世上困窮につき、今般鳥獣并虫のともがらへ一統の簡略申付候。其外行作悪敷品相改申渡候。左の條々急度相守べき事。

一 蝉すずしの羽織を着候事、過分の至候。向後は横麻一羽ぬきに仕替申べき事。
一 松虫鈴虫のともがら、籠のうちにて砂糖水を好み、奢のさたに候。向後は野山の通、露ばかりにて精出なき申べき事。
一 蟻塔を組候事、自身の功を以建立いたし候儀はくるしからず候。寄進奉加等頼候儀は一切いたすまじく候。且又熊野へまゐり候に、大勢連にて無益の事候。已後は二三人づつひま次第に参り申べき事。
一 蛍夜中火を燈し飛行(ひぎょう)の事、町々家込の所は火のもと気遣敷候得ば、遠慮いたすべく候。池川田地等の水辺はくるしからず候事。
一 蜘蛛御領地の内においてみだりに網をはり、諸虫を捕る事不届の至候。以後は其場所相應の運上さし上申すべき事。
  但蝿ぼり蜘は運上に不及事。
一 蜜蜂の小便高直に候よし、諸方の痛になりよろしからず候。向後は世間一統に只米六升ほどの積を以相はらひ申べき事。
一 蟷螂己が短慮の我慢にまかせ、斧を以て諸虫を殺害いたし不届千万に候。向後はむね打をも一切いたすまじき事。
一 金魚のともがら近年ことに花美に相なり候。向後金銀の飾一せついたすまじく候。
  但赤塗に砂箔等まではくるしからず候。

以下略

★★★(解説)
動物たちに贅沢を禁ずる掟を公布したというところ。
幕府による一般庶民への禁制を皮肉ったのであろうか。
ヨーロッパの動物裁判を思い出す。