表紙オカルト研究


 14 光の帯となって 山田征(やまだ せい)

あなた方はすべてその肉体を離れて、あなた方本来の霊的な姿になってこの地球を離れていくのです。それは、今この地球上に住む人々がいっぺんにということではありません。準備の整った者から次々と飛び立っていくことになりましょう。

 

その時あなた方は、ごく自然に成り行きにまかせていればよいだけのことなのです。あるとき気づいたら、あなた方はまた別なる星の世界にいた、ということになるでしょう。

 

人はどのようにして軽く素直になったらよいのかということなのです。

人々がすべてのことを素直に、あるがままに受け止め、何事にも執着心をのこさないという姿になればよいだけのことです。

そうです。最終的には、生きるということに対しての執着心であると言えるでしょう。

 

まことの祈りとは、生きてよし、死んでよしの境地でありますから、もはや何も願うことなどありますまい。

 

極限に近いスピード、動き、波動といいますものは、それがまるで止まっているかに見える、といった原理が人の姿、精神の中にも働くということなのです。

 

善も悪も、すべては同じことで、ひとつの現象を善とみるか悪と見るかは、もちろん私達人間の都合によって、それはそう見えますね。他のものにとっては、善も悪も何もありませんでしょう。

 

死を恐れたり、憎んだり、悲しんだりする心の動きといいますものが、絶えずあなた方の生き方を制限していくわけですね。暗いほうに、暗いほうにと持っていきますから、それはいわば、暗い波動をこの宇宙にみなぎらせるということであります。

 

人々はこの宇宙の成り立ち、地球のしくみの成り立ち、人々の肉体の成り立ちも、さまざまなことがすべてひとつの波動、バイブレーションであることを理解いたしますならば、人間にとって悪であること善であるとかではなくって、もっとやさしく穏やかな波動を人々がいつでも自分から出している状態にならなければ、この地球の大きな災いは、決してなくなってはいかないわけなのですね。

 

日々の暮らしの中で何も求めず、ただ絶望にうちひしがれている魂がどれだけ多いことでしょうか。どうぞそのような魂にこそ手を差し伸べてあげてくださいますように、と私達は申さずにはいられません。

 

 

 

 

誰もがまことに一番その人らしい生き方をして初めて、自分の人生に満足が得られていくのではないでしょうか。そのことがまさに、生きる秘訣であるといえましょう。

人はそのようにしながら、自分に与えられた持ち時間を十分にこなしていくのがよいのです。人はそのようにしながら年老いてまいりますと、何も後に思い残すことなく、その肉体を離れていくことが出来ますでしょう。

次の生に持ち越さなければならないような、いわゆるカルマといわれるややこしいものも、いつの間にかその手から消え去り、抜け落ちてしまっていることでしょう。荷物のない、まるで風のような旅人であるとは、まさしくそのような姿の者を申します。

 

知らされた過去世は、あなたがどう自分のことを自覚したらよいかということなのです。

 

この地表にて起きゆくさまざまなること、そのことすべてに心を騒がしたまうな。静かに見つめたまえ。すべてはまさに過ぎ越しの時にてあり。

そのことはや過ぎ越したるのちにありては、新しきときこそは迎えたるものにてあり。そのこといささかも疑いたることあたわざりし。

 

すべてのことは、日々の暮らしの中に生かされていくことが大切です。着ること、食すこと、住まいすること、といった人々の日常生活のなかでこそまことのことが何であるかを知ることが出来ましょう。

 

あまり力のない者が、ただむやみに人の体の手当てを致しますと、逆に自分の方に受けてしまうことが多いということです。また病のある者が他の者に関わってはいけない、ということでもあります。

 

人はその者の持てる能力以上のことはできません。その人の持っています力以上の者に関わりましても、何の効果もありません。

 

それはほんとうに単純な仕組みなのです。ただ素直であり、それぞれの目の前に現れてまいりますすべてのことがらを、あれこれ詮索せず、あるがままに受け入れていくことです。

 

すべてのものには、やはりいまだ段階というものがあります。自分の持てる周波数(波動)に合わない世界は、やはり見ること、感じとることは出来ません。それでもさまざまなことがらを、よく見たり聞いておくことは大切なことです。そのことが今その時には理解し得ないものであっても、いずれの日にか、すとんと胸に落ちるときがまいります。

そのようにして、人は自分にない世界をかいま見ながら少しずつ成長してまいります。そのようなことが出来るのが、この地上的なあなた方の世界であるといえます。そしてそのことが、あなた方が人としてこの地上に生を受けている所以でもありましょう。

 

もはや時至りてあり。かの生命の霊室こそはまたそなたの手の内にて解き放たれしものにてあり。

 

つまりは、私達人間の魂の歴史であり旅路のことではないかと思います。

人の歴史が始まって以来このかた、人々の前には絶えずその精神的な何かを導くためのマスター、いわゆる教師たちがさまざまな形をとって現れ続けてまいりました。いま私たちはやっと、「さあ、これから先は、あなた方自身で歩いていくのです。なぜならば、あなた方は、光そのものなのですから。あなた方がそのことに気づきさえすれば、あなた方はそのありのままの姿のままに光り輝くはずですから。そしてあなた方は、あなた方自身の光で自分を私のところまで案内してくれればよいのです。」と言われ促されるところまでやってきたのではないでしょうか。

 

あなたのそのエネルギーの注入口ですが、足の裏面であることはまちがいありません。

出ていく方は、手の指先、あるいは口(呼吸による)、そして今は頭部の頂点であるといえます。

 

三好のおじさんのこと

こちらの世界にあるものは、たとえそれがなんであろうと、つまり物であろうと出来事であろうと、人の考え、想念であったとしても、人間の世界に起きる前に、すでにあちらでは起きている、つまり思考され、イメージされつくされていて、なんにも人の世界だけのオリジナルは無いのですよ。驚きましたね。私たちはなんでも自分たちで考えたり創ったり生きたりしていると思っているわけですけれどもね、どうやらあちらの真似をしているにすぎないらしいですね。あちらには何でもあるんですよ。

 

この世にあるすべてのものは全部、バイブレーション、波動、あるは周波といったものに置き換えていうことが出来るということです。

物、電気、そしてその光、人それぞれの魂というか心、また風や音、そして俗にいう神様仏様といった存在、宇宙を創り上げている力、そういったもの全部を、その周波、あるいはバイブレーションの違いで言い表すことが出来るということ。

他の動物霊がこの地球上での進化の過程で、人になったりまた動物になったりといったようなことはありません。

 

それらのものが、人のもちます霊魂のようなきめこまやかな波動にまで引き上げられますには、相当な年月を要します。それは、もしあなたがたの時の計り方でいいますならば、永遠にも近いものであるといえましょう。

 

しかし、物質はたとえどのようなものであれ、それを極限状態にまで分解してまいりますと、そこにはただ一つの絶対的なエネルギーとスピードある波動をもつ世界があるということです。ですから、物から植物、植物から動物、動物から人へとその進化の過程をたどらなくても、終局的にはすべてのものがある種の働きによって分解されつくし、元なるひとつの力へと同化されてまいります。

 

波、つまりはバイブレーションということでありますが、長い短いだけではなく、早い遅い、重い軽い、明るい暗いなどの要素も微妙に加わってまいります。単なる科学の世界のことだけではありません。

 

人々が、これまでに悟りを開くといったことの行為に行ってまいりましたさまざまな修行はつまりは、その人の持つ本来の姿の開眼であり、周波を上げるといったことでありましたでしょう。まことに人々は、実にさまざまな修行法を編み出し、行ってまいりました。そのことで、確かにその「悟り」に近いものを得た者は多くありました。

 

ふと差し出された一椀のミルクの中に体にしみわたる喜びを感じ取り、あるかなきかの風のそよぎの中にもこの大いなる自然の営みを感じ取ることの出来ます優しく素直な心根の中にこそ、すでに悟りの境地というものは所在いたします。

 

無理をしないで出来ることがありましたら、いかようにでも動いていくのがよいのです。そのことは必要のある時に、必要な形であなた方の前に置かれてまいりましょう。

いまはよいのです。いまはこのようにして、一人でも多くの方々が心の平安と喜びを感じ取ってくださればそれでよいのです。いずれすべての人々がその喜びに涙を流します時、その時こそは、この地球も宇宙の存在も、ひとつひとつ浄められてまいりましょう。

 

何事であれ、極端なこだわりといいます姿は、いわば肉体的にも精神的にも、大きな塊、つまりはブロックをつくってしまいます。

 

あなた方が待っています救い主は、すでにあなた方自身の中に存在しているのです。

あなた方が何かを求め始めているもの、それが救い主というものなのです。そのようにしてあなた方は、あなた方自身を救い上げていこうとしているのです。

それ以外にどんな方法があるでしょうか。自分で自分を救い上げていく。

自分にとってほんとうに大切なものが何であるかを選び取っていくことは、すべてあなた方一人ひとりの責任でなさるべき時に至りました。

 

あなた方一人一人が自分を灯りにして光り輝けばいいのです。

その無数の光の川の流れはどんなに素晴らしく美しい光景でありますことか。光の帯となり、行き着く先ではそれは、この大空をあまねく照り輝かすことのできる大きな大きな太陽となっていくことでしょう。その時こそは、もはやあなた方のいいます闇の世界などというものはなくなってしまいます。

 

徒労とも思えることを何回も何回もしつこく繰り返しながら、道は作られ、開かれてまいります。その中から学ぶべきことが浮かび上がってもまいりますし、蓄積されてもまいります。

 

アカシックレコードとは、その人の人生そのものが、そのままコードになって、その人の中に巻き込まれていく、残っていくということです。

ですから、あなた方一人一人はすべて、記録庫そのものであるといえるのです。