人間は、おおもと一つでありながら、個という錯覚を使ってこの三次元をいきています。錯覚から覚めると、「おおもとは一つなんだ」と気づきますが、だからといってそれで個の人生が終わるわけではありません。覚醒したからと言って、人生がそこで終わるわけではないのです。そもそも個になったのは宇宙の意思であり、そこに大事なポイントがあります。
実は、あたりまえの生活を送ることがいちばんの修行になります。それはどんな修行よりも至難のわざであり、やる価値のあるものですが、その一方で私には、切実に覚醒体験を求めている人に対しては、ゴールドドラゴンボディを伝えていきたい思いがあります。
そういう世界にあえて挑戦したいという人は、挑戦するべきでしょう。誰かが経験すれば、間違いなくそれはやがて全員の経験になります。
地球に生れた以上、私たちが味わうべきものは、自分の置かれた環境で、自分が歩むことになったドラマを生きながら、本当のコミュニケーションをすることです。本当のコミュニケーションをしながら、触れるべきものに触れることです。
触れるべきものとは、ハートです。
習ったことをうのみにしたまま集団的な無意識に生きていては、ハートに触れることができません。
真のコミュニケーションは、一人ひとりの潜在的な力をあふれださせてくれます。
ポテンシャルを発揮して、自分の内側から掛け値なしに湧き出してくるものをこの世界に還元していく、それが質の良い修行であり、私たちがやっていくべきことだと思います。
対等な関係の者同士が、互いに尊敬の念を抱くことによって何かが生まれ出る、それが宇宙に生きる意味でもあります。
本当のコミュニケーションとは、人と人が出合い、自分の思うところを口にし、それを受けて相手も自分の思うところを口にし、そのうちに、自分が解けて、相手も解けて、ともに変わることです。
外側の世界を見ると同時に、内側の世界も見ることができるようになると、その向こうに「形のない世界」が立ち現れてきます。
身体の覚醒とは、身体に対する錯覚、つまり五感の錯覚を解くことです。
人間には、思考、感情、肉体の三つのセンターがあります。この三つのセンターがごちゃまぜになっている状態を、五感を錯覚したままの「催眠状態」といいます。
催眠状態の人はだいたい一つのセンターしか使って生きていません。
思考、感情、肉体の奥にあるものに目覚め、その奥に意識がシフトしていくと、思考、感情、肉体の三つを上手に使えるようになります。
覚醒をするには、まず、自分が三つのセンターのうちの何をよく使うかを理解すること、つぎに、三つのボディを統合しても、自分の本体にはならないと理解する必要があるということです。
高次元に行くほど「ほんとう」があるというのは錯覚です。
高次元であれ低次元であれ、幻想の世界であることに違いはありません。幻想は「ない」わけでも「嘘」なわけでもなく、存在しているのは事実です。
かつて、かかとと腰がつながる感覚をもっていた身体は、今とは月が違って見えていました。
その身体をもって月の晩にみんなで集まり、あるフォーメーションを組んで共振を起こしいていたのが「お月見」です。
何のために人がいるのか。それは他者がいてくれることで自分一人ではできない体験ができるからです。
一人ひとりがまずやるべきことは、感受性の復活でしょう。
それは読むことでも、演じることでも、音楽を奏でることでも、走ることでも、踊ることでも開発していけます。
大切なのは、人の「奥」と「奥」をつなげていくことです。
自分は人に何かを発信する傾向うにあるのか、。静かに受け止める傾向にあるのか、献身的か。
どこかに行こうとしないで、その場で不安定さと遊んでいると、ときどき調和が訪れます。調和には無限の不安定さが必要なのです。
日常がありのままに見えてくると、その人の設定されている日常を生きるだけで、修行になります。
大事なのは、「何が欲しいか」よりも「それを欲しがっているのは誰なのか」です。
あながたインプットしてきた世界でほしいものなのか、それともあなたの存在の「奥」が欲しいと願っているものなのか。
人間は現象界で過ごした後、目に見えない世界・霊界に還っていきますが、死ぬときには、必ず現象界で得た何かが加わっています。
テレポーテーションで大切なのは、瞬間瞬間にいることです。
身体にいるかぎり、実際には、「今」よりも「少し過去」にいることになります。認識というのは、少し過去のもの、終わったものなので、「今」と思っている状態は、「少し過去」になります。
その「今=少し過去」をつかまえるのをやめると、「今」がやってきます。
私たちがこの世界をみるとき、三次元の範囲で互いを認識しあっていますが、本当は素粒子のドットを見ています。
存在しているのは素粒子です。
本当の私たちはどこにいるのかというと、遍在している。
食べることは錬金術ともいえます。私たちは物質を食べていると思っていますが、本当のところは太陽のエネルギーを食べています。
素直に生きていれば、知らないうちに次元の領域を超えることが起きています。
芸術作品などを指して、「この作品は次元が違う」と表現するのは、まさに文字通りを言っています。
あきらかに相当な次元に参入した技を持つ人がいて、それが三次元に興味もモチベーションももたない人たちに響き、リスペクトされるという図式があるのです。
家の中で過ごすタイプの人が、ゲームのチャンピオンにあこがれるという図式ではありません。
幾何学の線の次元では、すべての存在の中枢が見えますが、中枢の数は存在によって決まっています。動物や昆虫は一つです。ワンセンターであれば、地球を破壊するようなことはありません。人間の中枢は大きく三つに分かれていますが、三つあるのに一つしか動かせていなければ、不調和が極まって、地球にダメージを与えてしまいます。
植物の中枢は複数あります。植物は宇宙と交信している。
やはり感性を取り戻すことが先決です。
三次元はドラマの次元です。ドラマを生み出す矛盾そのものが、実は三次元のエネルギーの源泉になっています。
そもそも三次元自体が矛盾そのものですから、答えなどありません。三次元はただ味わうだけでいいのです。
問題というのは、何が問題なのかがただはっきりすればいいだけのもの、見極めるだけのためにあるのです。
人間には酵母や酵素の役割はできないのです。人間は問題を解決するために存在しているわけではないからです。
三次元が幻想だといのは、物質は分解していくと素粒子になり、素粒子はいつでもホログラムになりうるという意味です。
現象界と潜象界のつながりがわかると、幻想なんだけど真実というのがわかってきます。
人それぞれ自分の興味のあることを探求できるのが、この幻想世界には満ちています。
ちょっと意識を開けばそこにはスピリットが満ち満ちている、それが私たちの世界です。
ウイルスはテレポーテーションします。だから全国的に流行ということが起こります。
虫や花は潜象界からくる。
ミツバチの大量失踪現象は、完全に次元移動です。「
卵子はつねに出現します。最初からたくさんあって、それが順番に落ちてくるというものではありません。
存在が先で、存在が素材である物質をつれてくるのですから。
潜象界は、次元には含まれない世界です。すべての次元、霊界、物質が織りなす具体的な世界を現象界といいますが、潜象界というのは、それ以前の世界です。だから何一つとして具体的ではありません。
潜象界を極めたラマナ・マハルシ
仏陀がすごいのは、「アートマンなどない」と喝破したことです。
一人一世界の真実
私たちは認識でしか世界をとらえていません。実際には見ていません。
ということは、世界は一人ひとりの中にしかないということになります。
実際のところ、その人が亡くなれば、世界そのものが消えます。
発見すると、見える。いってしまえば、上の次元というのは、どこまでもそういうところだと言えるでしょう。
意外と知られていないのが、レムリアとアトランティスよりも古いゴパール大陸です。アルクトゥルスという星は、そのゴパール大陸と深いつながりがあります。
宇宙空間は真空ではなく、エーテルのカーテンのようなものがあります。宇宙の力でそれが重なり広がって、折り紙のようになっていて、そこには周期があります。周期には、いちばん遠いもの同士がいちばん近くなるという法則があるので、何かの拍子にA地点とB地点が同じものになっているということがあります。その時を利用して移動するのが物質的なUFOの移動のしかたです。
時空を超えたとたん、当然のこととして、いろいろな変化が起こり、そうなるとどのラインが本当だったかわからなくなってきます。まさにパラレルワールドです。
宇宙存在がさまざまなものをクリエイトするときは、必ず潜象界を使っています。
大事なことは、スピリチュアルというくくりではなく、自分にとって本当のことを追求する生き方、自分の心を使って生きる生き方、自分のハートに触れる生き方ではないでしょうか。
ハートは矛盾を克服した先にあります。
矛盾、ジレンマ、葛藤、それがハートを開くためのエネルギーになります。
自分に起こってくる「縁」を大切にします。
目先の人間関係よりも、自分の虚飾が減っていくことにプライオリティを置いてください。
人が去れば、新しく出会う人が出てきます。
妥協して迎合することは、ハートを閉じることです。
人と人が出会う意味
「人間機械」で生きていたら、自分の「奥」にはかすりもしませんが、しかし自分の「奥」に触れたら、相手にも触れることができます。
時空を超えたものに触れると、逆に、時空に光があたります。
家族や友人たちと本当のコミュニケーションをしていくことで、必ず出会えます。地球でいうビジネスにしても、極めればヨガの行者と同じところに行けます。
主婦だろうが何だろうが、いたって基本的な人間の営みをやっていくことで、最終的に同じところに行きつけるのです。
ハートの次元にいるということは、「今」にいることであり、「今」にいることができていれば、それはハートが開いている状態です。
ハートは潜象界と現象界をつなぐ役割をしています。
本当に「奥」からありのままが開かれたとき、たった数文字を見ただけで心の琴線が震えることが起きます。
人生は、何気ない日々のほうが圧倒的に多いものです。その何気ない日々の中にこそ、言い表すことのできないすばらしさがあります。そういう天からのギフトに気が付いていけば、人と会うのはものすごくエキサイティングなことです。
ラマナ・マハルシ
ババジ
アルナーチャラ山
クンルンネイゴンのルーツ崑崙山
一人でできるエクササイズ
〇ダブル・アテンション法
無意識にあるものを思い出す。
何気ない一コマをリラックスして思い出す。
ただ力を抜いて思い出します。
座席の向かい側にいた人の洋服の色や、顔かたち、横に座った人の雰囲気など。一つひとつ思い出すことで、再現できる能力が引き出されます。
これを続けていると、あるとき主体と客体が落ちる経験をするでしょう。
<やり方>
夜、布団に入って目を閉じる前の二分間を、その日、自分にとっていちばんインパクトのあった場所やシーンを思い出す時間にあてます。あまり深く入り込まずに、どこかにビデオカメラが設置してあり、それで見ているような感じでそこにいる自分を思い出します。
〇夢見のコントロール
思い出す能力が身についてくると、夢に入ったときにみずから夢に参加できるようになります。
夢をコントロールできないということは、人生をコントロールできていないということでもあります。
<やり方>
朝起きたら、見た夢を思い出します。
夢を思い出すことで、自己想起が飛躍的に進み、夢の中で意識をキープできるようになります。そうすると、マインドの数が減り、自分を邪魔するものがだんだんなくなっていきます。ネイティブアメリカンでいうパラサイトが減ってくるのです。ネイティブアメリカンの伝統では、マインドや雑念を寄生虫パラサイトといいます。
〇明け渡すエクササイズ
脳よりも前に、司っている何かがあります。
私たちが独立して存在していると錯覚してしまったら、とたんに自由がなくなり、決まりきったシナリオどおりになってしまいます。そこを開くのです。
<やり方>
木のそばに立ちます。そのまま自分をニュートラルにしていきます。自分の作為的なところをできるだけ取り除き、木が生えている、自分がその横に立っている、という感覚になるまで、自然にしています。
まず厳かに地球の中心を足の裏に感じます。
〇自分の中に自然を感じるエクササイズ
人間を支えるものに酵素がありますが、酵素の世界はまさに原子転換の世界です。動物の死骸が見つかりにくいのは、次元転換が関わっています。
<やり方>
ときどき、自分の脈を感じてみます。脈を感じながら、自分の呼吸を見つめます。必ずしもこの二つを同時にする必要はありません。
海の波も同じです。波がおかしくなると、地震が近いということであり、地震の前には、脈がおかしくなるというふうに連動しています。
以前、アメリカで飛行機に乗った時のことです。脈が乱れ打ちをしたので、機体の検査をしてもらえるよう男性のキャビンアテンダントに言いに行きました。
〇トンレン
外なる世界に感じるあらゆるネガティビティを吸い取ることです。
自分のハートにです。
最初は大変で咳き込む人も出てきますが、そこで言うのは、「それはハートではないですね」です。
ハートは何ものによっても傷つきません。
トンレンをやっている人がいるから物質世界が滅びずにすんでいるという感覚はまじめな話としてあります。
<やり方>
自分のいちばん大切な人を思い浮かべて、呼吸をハートに入れ、吐きます。そのとき、思い浮かべている人からあふれでるブラックタールが、五分ほどできれいになっていくように感じられるのがいいです。一日五分くらいからスタートしていけば、だんだんに育っていきます。一人ひとり、自分のステージでやるのがいいでしょう。
瞑想について
自己流でやるよりも、最初は指導してもらうのがいいでしょう。
最終的には師のほうが弟子を選んでくれます。縁です。
瞑想の目的は、まずは自分のバランスをとるため。
ニュートラルになることは、そのあと本格的な道を歩むかどうかに関係なく、人生にとってすごくいいことです。
本当に大事なのはシンプルになっていくことです。
ドラマと同一化しないで、意識をもったまま生きていくと、架空であるこの世界を、架空だからこそ実感できるようになります。
マザー・テレサの最期はいちばんいいエピソードです。
イエスが迎えに来ると期待していたら、現れたのは悪魔でした。実際に悪魔払いの儀式も行われました。
テレサは落胆し、落ちるところまで落ちた時、ふっと悟りがやってきます。
「私はどんな病人だろうとどんな状態の人であろうと、無条件に受け入れた。たとえ患部から膿が出ていようが、接吻して看取ってきた。そうか。私が最期にハグしなければならないのは、悪魔かもしれない」
そうして、マザー・テレサは悪魔とハグしました。
そうして、悪魔は消え去りました。そのあとにやってきたのは、本当の悟りでした。
「悪魔だと思っていたけれど、やってきたのは真逆の自分だったのね。」
権力やお金を忌み嫌っていたという彼女は、権力からの寄付を「汚い」といって拒否したといいます。それはやはり裁く自分がいたからです。
清く生きるということのなかに、どこかに否定する自分がいたのです。
だから最後に反対側の自分がちゃんとやってきました。
ハグすることで本当の統合が起こりました。
本当のヒーリングは、みずからの気づきによって起こります。
起こることは自然に受け入れていき、そこまでの気づきが得られれば、この三次元というのはものすごくいい世界だと思います。
本当の平和は、「争いのない社会を」というスローガンを打ち立てていくことではなく、自分の中にある大事なものを共振していくことによって実現していくものだと私は思います。