表紙オカルト研究


サラとソロモン エスター&ジェリー・ヒックス著

 

実はね、サラ、僕はただ、君が話すことについて話しているだけなんだ。君が何か質問をしたときにだけ、僕の答えは君にとって価値のあるものとなるんだ。誰も質問していない時に与えられる答えは、誰にとっても本当に時間の無駄なのさ。そんなことをしても、生徒にも先生にもちっとも面白くない。

 

空を飛ぶことだけじゃないんだ。サラ。君が望んでいることは何かについて考えること、そして、なぜそれを望んでいるのかと考えることを練習してほしい、ってことさ。君が望んでいることを本当に感じられるようになるまで練習するんだ。

 

第一ステップは、自分が欲しくないものは何かを認めること。

君が欲しくない何かについて考えたり、話したりしている時には、いつも、嫌な気持ちがするものなんだ。怒りとか、落胆とか、恥ずかしさとか、罪の意識とか、恐れなどを感じるんだ。

第二ステップは、自分が欲しいものは何かを決めることなんだ。

第三ステップは、自分が欲しいものがどんな感じがするかを本当に感じられるようにならなければならない、ということなんだ。欲しいものについて話したり、それが手に入ったらどうなるかを思い浮かべたり、説明したり、手に入ったつもりになったり、あるいは、以前それを持っていた時のことを思い出したりすることなんだ。とにかく、欲しいものについて考え続けて、それがどういう感じがするかという実感を見つけなければならない。いい気持ちがしてくるまで、自分が欲しいものは何か、自分に話し続けるんだ。

それはね、君の感じ方を変えるまでは、実際に何も変えたことにはならないからなんだ。

感じ方を変えたら、君は別のものにつながることになる。

別のものとは、「喜びの流れ」とか「幸せの流れ」と呼んでもいい。「いい感じのエネルギーの流れ」だ。それは自然の流れなんだ。それが僕たちみんなの本質なんだ。

 

君たちは状況を観察するように訓練されてきた。でも観察しているときに自分の気持ちに注意を向けるようには訓練されていない。だから、周囲の状況が君たちの人生をコントロールしているように見えるんだ。

 

「苦しみの鎖」から引っ張り出すための一番いい方法は、「味わい愛でる気持ちを感じさせてくれるようなことを考える」ということだ。

君に最高の気分を感じさせてくれるような考えを見つけるんだ。物事や人々を、いつもできる限り味わい愛でるんだ。それが「喜びの流れ」につながる最高の方法だ。

君の幸せが他の誰かがやったりやらなかったりすることにかかっている時、君は罠にはまっているんだ。なぜなら、他の人々が考えることや行うことを、君がコントロールできないからさ。

でもね、サラ、自分の喜びは他人にかかっているのではないということがわかったら、その時には、本当に自由になれるんだ。

君が喜びを感じられるかどうかは、君自身が何に対して自分の注意を向けることを選ぶか、ということだけにかかっているんだよ。

 

君が学んでいることはね、サラ、すでに完璧にでき上っている状況を見つけるために君がここにいるのではない、という点なんだ。君がここにいるのは、味わい愛でることができる物事を選ぶためなんだ。味わい愛でることによって、君自身の波動が、君が見つけようとしていた完璧な状況の波動と同じ波動になる。そうしてこそ、その完璧な状況を自分に引き寄せられるんだ。

 

君がやるべきことは、自分の中に流れ込んでくる「幸せ」に向かって「心の扉」を開けておくことなんだ。「幸せ」は君のために常にそこにあるのだけれど、君自身がそれを取りこまなければならないんだ。

 

何が何でも、「幸せの流れ」に向かって「心の扉」を開けたままにしておこう

 

何かをやるという決断をするんだ。君の分担になっていることについて考えてごらん、そしてその全部を、今、記録的な速さで仕上げてしまおうと決めてごらん。余分に何かをやってみることを考えるんだ。いつもの分担の仕事を超えた何かだ。

 

同じ対象を見ても、たくさんの異なった状況をみつけて焦点を当てることができるんだ。そして、君が感じている感じ方から、役に立つ状況を選んでいるか、役に立たない状況を選んでいるかがわかるんだ。

 

何らかの形で不快な状況に直面した時に、とっさに強く感情的に反応することは全く正常なことだ。君が何に焦点を当てているかによって、共鳴引力が何を君のもとに引き寄せてくるのかが決まると前に言ったけれど、君にとっての共鳴引力の焦点となる君の波動を決めるのは、君の最初のとっさの反応ではないんだ。最初の反応の後で、それに対して君が何をするかということが、後々まで影響を残すことになるんだ。

 

何回もの人生を生きて、たくさんの経験をしたことを通して、僕は「心の扉」を閉じてしまうような考えを選ぶこともできるし、「心の扉」を開いてくれる考えを選ぶこともできるということがわかるようになったんだ。でもどちらの場合でも、それは僕自身の選択なんだ。だから僕は、ずっと昔に、ジェイソンやビリーのような人々を非難することをやめてしまった。なぜなら、そうしてもそれが僕を助けることになったわけではないし、彼らを助けることにもならなかったからだ。

 

みんな別々の経験を選び、さまざまなことを信じている。そして別々のことを望み、別々の行動をしている。君はただこの事実を認めて、そのことがすべて「全体」をもっと完璧なものにしているのであって、どんなことも君を脅かすことなどない、ということを理解すればいいんだ。

君を脅かさない理由は、単に、「君自身で自分の心の扉を開くか、閉じるかということだけが、君の現実を左右しているから」なんだ。

 

君にとって大切なことはただ一つ、君自身がそれを学ぶということだけだ。

人の心配はしなくていい。

 

彼らを見ること自体はかまわないんだ。ただ、彼らを病気の人だと思ってみないようにすることだ。彼らを健康を回復しつつある人として見るんだ。それよりもっといいのは、彼らを健康な人として見ること。そうすれば、病気の人々を口実として「万事良好」の長れが君の中に流れ込んでくるのを止めてしまうことがなくなるんだ。