表紙オカルト研究


ワンネスの扉ジュリアン・シャムルワ(ナチュラルスピリット) 2022.9.28

 

「二人の自分現象」を述べるには、芝居のイメージがいいだろう。ふだんの「僕」は観客を前にして舞台に立っている。深層の「僕」はカーテンの後ろ、舞台裏にいる。

客席にいる観客は現実生活のあれこれを象徴している。仕事や世間のこと、物質的な世界で生活するのに必要なもろもろだ。舞台の上の僕が舞台裏にいる宇宙人に質問すると、舞台裏の僕に返事が届く。ときには返事だけでなく、もう一人の僕が宇宙人と会話することもある。

舞台からはカーテンの動きしか見えないし、つぶやきぐらいしか聞こえない。裏で何かが起こっているのは感じるが、その内容まではわからない。断片的に言葉がもれ聞こえてくることはあっても、何を話しているのか知るすべもない。

舞台の上にいる僕は裏で何が起きているのか気になって、舞台のそでに近づいて話を聞こうとするが、そこには長く留まっていられない。裏へ回って確かめたくても、芝居は続いているので舞台をすっぽかすわけにはいかない。

表と裏のバランス--つまりこの三次元の物質世界と、見えない世界とのバランスが必要なのだ。行ったり来たりはできるが、どちらにも落ち着いて留まってはいられない。舞台上の芝居に集中することもできず、舞台裏の出来事を理解することもできない。

仕方なしに表と裏を行き来するしかなかった。舞台そで近くに長くいると芝居が成り立たず、舞台の上ばかりにいると今度は裏のことが遠のく。いっそ裏を無視し、表舞台だけで人生を演じようと思っても、そうはいかない。

舞台裏は表舞台の安定につながっているからだ。ただしそれは数年後になってようやく見えてきたことで、その前にさまざまな体験をする必要があったのだ。

体験が少しずつ二人の「僕」のあいだのカーテンを薄くしていった。ある日、カーテンが開いた。

 

相手に対する共感、自分のことのように人を心から思う深い気持ち。そこからワンネス体験が起こっていた。そこからすべの人に対する愛が生まれる。思えばそれは至極当然のことだった。相手のことを自分のように感じ、考えること。相手との境目がないこと。人と一体になっている瞬間だ。

そして共感からワンネスへと発展するには、もう一つ必要な要素があった。それは高い波動--宇宙人が訪れるときぐらいの?だ。それにはどうすればよいかと考えていると、以前の体験からヒントが見えてきた。「訪れ」が頻繁だったころ、クラシック音楽や高音域の音楽を避けていた。そういう音楽を聴くと、気配がより強くなったからだ。つまり、そういった音楽には波動を高める効果があるということだ。

判断をいっさい介入させず、ただ観察する姿勢でなければ、共感からワンネスへと発展することはない。意識の働く場所を、脳からハートに移す必要があるのだ。

 

まずベースに「魂の合意」がなければならないが、そのうえで次の三つが必要となる。

・共感

・高い波動

・観察に徹する姿勢(頭ではなくハートで感じる)

 

人との関わりや体験した物事にともなう感情と同時に「魂」が現れてくる。魂は頭ではなくハートを通して表現し、感情や感覚でコミュニケーションしてくる。

 

ワンネス体験

ステージ1

不思議な気持ちから始まる。高揚したわくわく感と人生への熱い関心がわき起こり、すべてが愛おしく感じられる。「生きているのは素晴らしい」という感覚でいっぱいになる。

ステージ2

ステージ1の気持ちが感動へと発展する。良い悪い、喜びと悲しみといった両極が一つになったビジョンが始まる。大きな喜びと大きな悲しみが一つに混ざった感動が全身に広がる。何が悲しいとか何が嬉しいとかの区別はつかない。ただその感情の大きさに圧倒され、自然に涙があふれてくる。涙が出るのは悲しいからではなく、その感覚があまりに美しいから。この時点ですでに通常の自分が感じている五感や感受性の幅が拡大している。脳よりハートで感じることが主となる。

 時間が直線的な流れから曲がり始める。過去や未来のことが現在の上に浮かんでいる。つまり現在、過去、未来が同時に見える。ここで見える過去と未来は、ほとんどが親しい友達や家族にまつわることだ。

 そこに人がいれば、その人たちの考え、思い、感情などが察知できる。人と人のあいだで交わされる目に見えないコミュニケーションが見えてくる。この時点で目と心の視覚が重なり始め、日常の現実の上にスピリチュアルな次元の現実がオーバーラップして見える。一人ひとりの発する波動が個性として感じられ、それぞれのパーソナリティや人生を波動で味わう。そしてステージ3に至るまで、花がほころぶように超感覚がさらに拡大していく。

ステージ3

ゆっくりと開く超感覚の花、ワンネスの花はより深い共感エンパシーを生む。このステージでは二つの重要な体験をする。

 ずっと「僕」だと思っていた自分、すなわち自我が消えてしまう。これが「僕」だと思っていた存在は錯覚だったと気づく。その事実を受け入れ、覚悟を決める。これは脳で理解することではなくハートで体験することだ。頭がどう考えようとも、心に刻まれる。

 まず驚いたのは、情報の流れだった。心で見る情報は、目で見る情報よりもはるかに多い。「私はあなた、あなたは私」であり、自分と他者は一体であることを全身で体感する。地球上のすべての人と心がつながり、人々の内にある喜び、悲しみ、心配、希望、期待などが自分のこととして感じられてくる。ハートが愛であふれ、大きな感動が始まる。この時点で視覚がふだん見えない別の層をとらえ、人々のそばに亡くなった人の霊や身体をもたないスピリットが見え始める。

ステージ4

地球上の人間すべてとの一体感から、「私」という境界線、フォームが完全に消え、宇宙と一体となった感覚がしてくる。五感はさらに研ぎ澄まされ、五感を超えた感覚で新しい次元を体験する。自分が自由自在に形を変える流体宇宙となり、宇宙に偏在して、望めばどこにでもいられる。この時点で、目に見える現実次元とは別次元を体験する。音やイメージを振動として全身で体験する。宇宙という素晴らしい生命、そのピュアな光、生きている光、透明で純粋な白い光、宇宙という無限の愛・・・そのすべてと一体化する。

ステージ5

宇宙のいたるところに生命が感じられる。意識を持った生命の活動を感じる。地球人類だけでなく、はるか遠くの惑星に生まれた意識ある生命の活動の存在が感じられる。その存在の美しさに感動する。宇宙は何もない空っぽの空間ではなく、「生ライフ」で満ち溢れている。宇宙と一体になれば、移動せずとも宇宙のどこでも見ることができる。距離に関係なく移動は瞬間的で、気の向くままに「無限の移動」が可能になる。

ステージ5に至ると、必ず身体から警告が響き始める。「それ以上体験をつづけると、心臓がとまるぞ」と。とたんに日常の現実に引き戻され、気が付くと両手両膝が床についており、心臓に激しい疲れを感じる。心臓が止まるギリギリまで進んだような気がする。ワンネスが何分つづいたか感覚がない。一秒?一分?よくわからない。

 

人生で子供のころから脳が作り上げてきた「私」は、本当の「私」ではない。もともと、肉体を持つ人間に生まれることを決めたのは魂だ。新しい命として人間の体験を通して学んでいくのも魂であり、老化した肉体を脱ぎ捨てて次の旅に向かうのも魂だ。決して「私=魂」ではない。本当の「わたし」とは、肉体と脳を使いこなし、いま物質的な次元を体験している「私」を超えたものであり、それが「魂」なのだ。

 

心で見た宇宙は光っていた。数億の魂が集まっている宇宙の一角を何度も観察した。意識が光る場所はいくつもあり、とても数えきれない。宇宙は意識で光っている。

僕たちはみな宇宙でつながる小さな光の点だ。宇宙人とは僕たち自身のことなのだ。人種も国境も関係ない。

 

自分でワンネスを起こすとき、なにより重要になるのは、呼び起こす意図だ。好奇心ではワンネスを誘起するのは難しい。

魂の表現方法はさまざまで、小さな声のときもあれば、感覚や気持ち、気分や直感、虫の知らせという形で伝えてくるときもある。

 

多次元の存在である魂は、一つの固定した考えや意識に縛られてしまうと自由な表現ができない。言語に限らず、新しい世界に触れ、別の観点や見方を学ぶことは、多次元的な人生を形成していくためにとても有益だと思う。

魂には永遠の柔軟性があり、どんな状況でも共感をもって乗り越えることができる。そんな魂の力をこの現実世界のなかで表現していく。それには「安定」より「変化」を基本とするマインドセットが望ましい。

 

ワンネスの波動を広げたら、今の世界の波動をもっと高めることができるという希望が生まれた。でも、どうやって?

 

すると、ふっと言葉がひらめいた。

他人を変えるより、自分から始めれば

自分を変えると世界も変わる。

 

僕は僕自身を変えるために、脳と戦闘を開始した。

脳の反応、脳の考え方、脳の言うことを徹底的に観察し、一つひとつ脳の表現方法を解体しようとしたのだ。

ときには脳をからかったり、脳に「馬鹿じゃないの」といったこともある。

 

どうして僕はこれをこのように見るのだろう?

それよりもっと理解ある視点があるのではないか。

今の判断は脳が言ったんだね。それは違うな。

脳が伝えてくる情報を意識で冷静に観察していると、脳は徐々に静かになってくる。脳が静かになると、次第に魂のかすかな声が聞こえるようになる。そうして魂の次元の扉が開き始める。魂の声だけでなく、人の思いや感情、守護霊のメッセージといったものも、どんどん聞こえてくるようになる。

 

ノンローカルな意識で生きたいと思うなら、まず自分をよく観察し、脳が作り上げている自分と、魂の自分を見分ける必要がある。そのためには自分の内側に生じるすべての考え、感覚、気持などをつねに客観的に俯瞰して観察してみること。朝起きてから夜寝るまで観察し続け、一つひとつの「源」をすべて確認する。それは自分の脳が考えたことか、他人の意見や感想の記憶か、魂からのメッセージなのか。あるいは肉体からの警告か、宇宙存在や守護霊からのアドバイスか・・・

そうやって「自分」に起こってくるすべての情報の源を見分けていくと、どれがノンローカルな次元からのメッセージなのか判別できるようになってくる。

 

UFO遭遇体験および臨死体験をした人たちには、共通して次のような人格的変化が起こっているという。

1,他者への思いやりが増大する

2,ありのままの自分を受容する

3,生命への畏敬の念が起こり、環境問題や生態系への関心が高まる

4,物質的な欲求よりも精神的な豊かさを求めるようになる

5,精神的な知識への関心が高まる

6,死への恐怖が完全になくなる

7,スピリットに対する感覚が開かれ、インスピレーションが高まる

 

僕たちを次なる次元へと引き上げるための、宇宙からのサポートだと解釈していいだろう。

 

個人の意識に変化をもたらすことが超常現象の目的だ。直観力や第六感が高まった次なる人類は「個人意識」ではなく「集合意識」をベースとして行動するのではないかと僕は思う。

 

僕に起きた現象を自分が思う現実の形にはめ込もうとしているのかもしれない。

自分は本当に馬鹿だ。宇宙の豊かさを小さな箱に閉じ込めようとするなんて。コントロールを手放そう、目の前の現象を宇宙の案内役ととらえよう。なぜこの現象が出てくるのか、これは何?あれは誰?と追及するのはやめよう。ただ観察して、対応できることには対応し、わからないことは学び、ヒントが必要だったら直接聞いてみる。そう心に決めた。

 

スピリットガイドや守護霊といった存在からのメッセージを重要視するあまり、日常の生活をおろそかにすれば、肉体をもって生きているバランスが崩れてしまう。「今ここ」で体験している人生の意味を見失ってしまうおそれがあるのだ。スピリチュアルな世界や宇宙のどこかへ行くことよりもっと重要なのは、目の前にいる人を大切にし、ふだんの日常生活をたいせつにすることなのに。