日本列島祈りの旅T
天下伺郎
北海道新冠町の判官岬、1699年10月24日、長らく戦っていた松前藩と、シャクシャイン率いるアイヌの一族は、ここで和平の宴を囲んでいた。
ところがシャクシャインは毒殺され、首を刎ねられた。和人大和民族お得意の騙し討ちだ。
アイヌの祈りの儀式と、天外によるパイプセレモニー。そして真言宗の口羽秀典和尚による施餓鬼供養により、シャクシャインと越後庄太夫の御霊は上がっていった。
はるか昔、この日本列島は至る所にアイヌが住み着いていた。大和民族はそれと戦って北海道まで追い上げていった。
神戸、水戸、八戸など、「戸」がつく地名は、虐殺されたアイヌの怨念が封印されている場所だよ。この洞戸もそのひとつだ。
征夷大将軍の夷とはアイヌのことだ。
世界のどこかで戦争や災害があると、インディアンの長老たちは必ずパイプの祈りをささげる。
ミシェル・オダン博士が講演中に
「もし、世界中の母親が自然分娩をし、初乳を与えて愛情深く赤ちゃんを育てることができれば、この地球上から戦争はなくなるだろう」というのを聞いて、私は何故か涙が一筋流れた。後に深層心理学を学んだ時、この言葉がまぎれもない真実だということがわかった。
先進国の人々が本来の人間の生き方から外れて、エゴを追及して、経済を発展させるために血眼になったあげく、地球はとてもひどい状態になってしまった。川も海も汚染され、森は破壊され、動物の種が次々と絶滅している。
この現状は、地球の危機であり、母なる大地の危機であり、動物や人類の危機であり、自分自身の危機でもあるのだ。このすさまじい惨状を救うのは、かつてさげすまれた我々先住民の叡智しかない。インディアンもアイヌも思いは一つだ。
インディアンの基本的な祈りは、創造主、母なる大地、すべての動物、すべての植物、すべての鉱物に感謝する。
白人といえども、母なる大地が生み出してくれた私たちの兄弟なのだよ。確かに彼らはインディアンにひどいことをしてきたが、その本当の意味は長い年月のあとでわかるだろう。お前はどうして彼らだけを他の動物と区別して、感謝の対象にできないのだ。
結局、すべてに感謝していると感謝すべきことしか起きなくなるんだ。
私は「マハーサマディ研究会」という団体を立ち上げていた。
「マハーサマディ」とは、瞑想をして至福のうちに意識して亡くなることをいう。
その十二年前に父親が亡くなっていた。自分の葬式で使う写真を選び、家族や見舞客にお礼をいって、見事な死にざまを見せていた。
仏教では坐禅中に亡くなる「坐亡」というのがある。ヒンズー教ではそれを「マハーサマディ」という。
セドナでは、「どこが聖地ですか」という質問に、トムは「聖地などない、母なる大地全部が聖地だ」と、けんもほろろの回答。
良きアメリカ市民になることに同意したインディアンは「政府派」と呼ばれているが、インディアンの伝統から離れ、年金をもらい、こぎれいな家を与えられている。
不自由はないのだが、職はなく、誇りもないので精神的にずたずたになり、アルコール中毒、ドラッグ中毒になる人が多い。
一方、同化策に反発し、年金や家を受け取ることを拒否して、伝統を守っているインディアンたちは、おそろしく粗末な家に住み、痩せた土地でわずかにトウモロコシなどを栽培して生き抜いている。生活は極貧だが、誇り高く、陽気で健康だ。
「インディアンスタイル」というのは、宇宙の計画に乗っていく方法。
宇宙の計画に乗るためには、自分自身を明け渡す必要があり、人間の分際であさはかな計画など立てない方が、かえっていいのだ。
セクオイヤが私にパイプを授与する。
パイプが回り、各自がタバコを吸いながら祈りを捧げる。いざ私の番になった時、「今日この時点で、パイプを拝領したのはとても名誉なことだ。これから残りの人生を、私は人々の心の平安のために捧げることを誓う」と口走っていた。
このパイプを持って祈ると、「祈りの言葉」はすべて実現する。これは原爆よりも強力なツールだ。だが、祈りが実現するということは、本当はとてもとても危険なことなのだ。だから、これをもって祈るとき、感謝の言葉以外は口にするな。
般若心経は万能の祈りだ。どんな場面で、何を祈るかに関係なく、どんな宗教の場かにも関係なく、ともかく唱えれば効果が抜群だ。
社会的な成功は、自分の人生をまったくサポートしてくれない。
これが「分離」という状態だ。
「正義の戦い」というのは、自分では「いやだな」と思って抑圧した側面を、お互いに相手に投影している。自分で否定した側面を相手に見出すので、お互いに相手が「悪」に見える。
セクオイアから受けた「non judgment aproach」判断しないという物事の捉え方のトレーニング。
「いい」「わるい」の判断をせずに、事実をありのままに見る訓練をすると、世界が全く違って見えてくる。
人々が「聖者」のイメージを誰かに投影するのではなく、「美しい物語」に酔うのでもなく、「正義 悪」のパターン化を離れて、ドロドロした人間の営みに「いいわるい」の判断をしないで直面できれば、社会の進化は加速する。
書き言葉がある大和民族や白人は、契約書や証文を頼りにするため、口頭での約束はよく破る。アイヌやインディアンは書き言葉がないので、しゃべった言葉がすべてであり、それに信頼を置いた。
虐殺された魂が「光の国」に帰ると、相手側の勢力が強大になる、と信じられていたとしても不思議ではない。むしろ「分離」のままにとどめて、その場に封印すれば、輪廻転生できず、相手の勢力は徐々に弱っていく、という考え方だ。
かくして、日本中のいたるところで虐殺されたアイヌの怨念が封印され、そこに「戸」が付く地名が付けられ、あるいは神社が建立されてきた。