君もこの世に生まれ変わってきた
覚者本山博が伝えた新しい生き方
宮崎貞行
「玉光大神」は、慈悲と知恵を表す天津神七柱の総称であった、。
キヌエの説明にょると、あめのみなかぬしのかみ、たかみむすひのかみ、かむみむすひのかみ、イザナギ尊、イザナミ尊、天照大神そして木花さくや姫を「ご一体」としてみた尊称であった。
神道では、いくつかの神々をまとめて一柱として呼ぶことがある。
たとえば、「祓戸大神」というとき、それはイザナギ大神が日向の海岸で禊をされたときに生まれた四柱の神々をさしている。
神道のカミは「一神にして多神」という構造を持っている。
キヌエに言わせれば、キリスト教も仏教も含め、信仰は富士山の登山のようなもので、登り口はたくさんあっても目指す頂上はただ一つである。
「神がわからなければ、帰って親を拝みなさい。親こそあなたの神ですよ。何の所得も願わず、ただ愛の身で今日まであなたを育ててきているではありませんか。あなたはその親を喜ばせたことがありますか。このような人として当たり前のことさえできぬものが、他人を喜ばせたり、助けたりできるものですか。世の中に厳然として動かぬものは、神があり、自分に親があるということです。皆がこの道理を忘れるから、戦争が起こるのです」
「神の道を求める者は、大きな川にだけ水が流れていると思って大川に水を求めに行くような過ちをよく冒すものです。あなたが今立っている足下にこそ尽きることのない地下水が流れていることを知りなさい。神を知ろうとする者は、まず己をよく知って時を待つことなのです。」
お供え物にもアストラル次元の霊体がある。
お供え物はときどき後で食べると味が全くなくなるか、食べると腹が下ったりする。さらに何か小さくなり、形も変わり、重さが減っている場合もある。物への執着が強いと、アストラルの物だけでなく、物理次元の物にも変化を与えうるのであろう。
前の世やこの世である行為をした人のエネルギーは、微細身や原因身のチャクラの中に種子として蓄えられていく。
たとえば食欲、性欲による行動のエネルギーパターンは、ムラダーラチャクラやスワディスターナチャクラに蓄えられる。
感情や想像に由来する行為のエネルギーパターンはマニプラチャクラに蓄えられる。
チャクラは人間の体の中だけでなく、国や土地、地球にも存在するという。
いいことも悪いことも人間が生きている間には生じるが、これは幾世もの前世で、自分の自由意思で行ったもろもろの行為が原因となってそれらに顕れて、自分にとっていいこと、悪いことが生じ、それによって次第にカルマが浄化される。このカルマの法則は、自由意思を持つ心や霊の次元での因果の法則であり、物の次元の因果関係とは違うことを自覚し、自分にとっていいことも悪いことも最後まで受け入れる。その間、常に自らのカルマを浄化し、それが他の人の生きることを助け支えることができますように、神様にお願いしながら行うことが大切である。
死んでから、五十年くらいすると、普通の霊はアストラル次元の上昇で、割合普通の霊的な生活ができます。これは我々の生活と大して変わりありません。違うのは、そこで生きるためのエネルギーを食べるものからとることもある程度はあるけれども、それが主なエネルギーの源ではなく、半分以上はアストラルのチャクラなどから神様のエネルギーをいただいて生きています。
自分の感情や想念にとらわれている霊の次元では、周りが自分の心の思いのように変わり、周りもそのとらわれ通りの状態になるため、自分のとらわれに堕ちた状態を、客観的に反省することができにくくなります。
その点、この世ではたとえある思いに落ち込んでいても、腹が減ったらそれに気づいてご飯を食べようとします。このように自分の思いと周りの状況や物が独立し合っていますので、自分の状態に気づきやすく反省しやすいのです。
あの世で霊的向上を怠りカルマが十分解けないと、再びこの世に戻され、因縁のある人たちと交流しながら因果を果たしていくことになる。
それは、この世が自分の置かれて状態に気づき反省しやすいからである。
共感をするということが、霊的成長のための最初のステップだと思うのです。そのためにはやはり相手をありのままに見て、自分の考えで相手を見ないように。すると心というのは相手にもなれるし、自分にもなれるような広い広がりを持つようになり、今までより高い領域に高まり、自然に非常に落ち着いてくるようになるのです。
次の段階では、自分を否定して相手が成り立っていくように動き、相手が精神的、霊的にさらに成長できるようにしてあげることが大事である。
第三のステップは、心の中でお祈りをしてあげることである。家族や祖先の問題などで困っている人がいれば、瞑想時に魂の力で助けてあげるように祈り、魂の力を送ることが大事である。
相手が困っていると思ったら、一心に祈ってあげると、自分の意識の底の底にあって神とつながっているところを通して必ず神と直接つながれるのである。そうして相手のドロドロしたところもきれいにしていただけるし、その表面で今傷んだり苦しんだりしているところも治していただける。
自分のしている仕事が人の役に立つように念じながら、自分の仕事に集中することである。
人間が夢中になって自分の今していることに、ただ無心にするだけになることができたら、自然に小さな自分が消えて、物や人と一つになれます。すると、自然にESP超感覚的知覚能力も出てきます。愛や知恵、想像力、哀れみを持ち、人と助け合うことが自然にできるようになります。そうすると、カラーナが自然に働くようになってくるのです。カラーナに目覚めなくてもよいのです。カラーナが働けるように、すなわち、自分の魂の本質が働けるように生活することが、これからの人類にとっては絶対に必要です。
個人の枠にとらわれず有利な結果を期待しないで打ち込むことを、本山は「超作」と名付けた。
どんな些細なことでも、一生懸命行い、その際、自己が行うのではなく、「行う」だけになりきることである。
現実の差別の世界を離れ、自己をゆだね、結果をゆだねることを「全託」と呼んだ。
超作しつつ全託し、全託しつつ超作する。
逆因果というのは、未来の現象あるいは未来についての想念が、現在に影響を及ぼしているという見方である。
もし、将来の明るい自分や社会を想定し、その場所、波動の中で生きれば、カルマはなくなり、なりたい自分や社会に向けて進むことができると見るのも、逆因果の考えである。
過去からのカルマがある以上、未来からの逆カルマがあってもおかしくないはずである。
最後になるが、本山博は、場所的存在として予知したことを毎年正月に信徒たちに伝えていた。
資本主義と社会主義を統合した経済システムが導入されること、個人性と社会性を調和させるような社会、教育システムが訪れることを説いていた。
まとめ
一人間には魂があり、魂のした行為の結果として生まれ変わりのあり方が決まる
二個人のカルマの他に、家、国、土地、地球のカルマがあり、それらの複合作用によって生まれるところが決まる
三人間の肉体を含め、三つの次元の身体(肉身、微細身、原因身)よりなる。
四七つのチャクラと十二の経絡は密接につながりがある
五気のエネルギーを媒介にしてサイエネルギーが生じ、サイエネルギーは物理的エネルギーを生み出す
六サイエネルギーはあらゆる物理エネルギーの根本にそれを支えるものとして存在する
七宗教は科学の根底にあるもので、科学に相反するものではない。科学的センサーはまだ宗教的体験、直観に追いついていない。
八宗派を超えた世界平和の祈りは聞き届けられる。家や土地や国のカルマが解かれ栄えていくようにという真剣な祈りも聞き届けられる。
九仏教、神道、キリスト教などを統合する世界宗教への道筋があり、それをたどることが世界平和のために欠かせない。
十五条のご神訓
一神は宇宙霊界を創り、生かしたまう
一神は愛と知恵をもってすべてを生かし、進化させたまう
一神の愛を感得し真似すべし
一人は自らのカルマ、家のカルマ、国のカルマ、地球のカルマによって生まれる
一カルマを成就して我なき神我に還るべし
一すべのものは神の愛によりて生き、物の力にて壊れる
一神を信じよ、一切が成就する
一神の愛をもて人と自然を愛せよ
一すべてのものは滅びる とらわれるな
一今を超作せよ 絶対の神に還れる
一自己に堕ちる者は人や物を傷つける
一人、自然、霊と霊界との調和において人の世は成り立つ
一人や自然、霊を愛する者は自ら成り立つ
一人や自然を害する者は滅びる
一神を愛する者は一切を成り立たせる