表紙オカルト研究


 10 空の扉を開く聖なる鍵 MANA

エンパス(共感力)をもって生まれた。
あるとき、私は天に向かって「真実を知るためなら、なんだってするから」と懇願した。
ある日、「すべての現象を創り出しているゼロポイントというものがあってね。これが自分のものになると、私たちは現実の創造主になれる」と教えてくれる方に出会った。

人生の苦しみはどこから来ているか
それは自我(エゴ)を自分自身だと思いこむことによってです。

ゼロ意識、それは「空」
私たちの霊的本質であり、私たちの内なる中心。
そして、自分の真の欲求(意志)を思い出させてくれるもの

魂は、じつは経験を記録しているレコーダーのようなものです。今の自分、過去の自分、何世にもわたって、あなたの経験を記録しているもの、それが魂なのです。

あなたの表面にかき集められた「あなたに関すること」が消えていくほど、あなたの鎧がはずれていくほどに、ただの存在としての自分が感じられるはずです。
この純粋な意識が「真のあなた」であり、虚空でもある「空」という意識存在なのです。

部屋を自分とすると、家具は自我です。
自我はあなたではなく、もっと永遠無限に存在するもの、それが真のあなただと気づくことが悟りであり、覚醒なのです。

これから、「体、カタチ」を超えたものを経験しようと意識して決めてしまえばいい。

受精の瞬間に、「光」と共に誕生するのです。

生は決して時間という直線的な道のりではなく、誕生の瞬間から、生と死が同時に起こっているわけです。

「今」という瞬間に生きること。それが真の死。

死は、今この瞬間に生の裏側で同時に起こっている。

生きるとは、ただ生きながらえることではなく、生きていのちを輝かせて、生命を光の存在としてめぐらせることです。

スピリチュアルとは、自分の足で立ち、自分の存在の生き方に責任を持ち、自分の本質を探究し、見つめ直していくことです。

●天地が創造される前から、私たちは存在していた。
虚空というひとつの意識からすべてが創造された。
この意識は常に「今」という瞬間だけに在り、「今」という一点から、時間の流れや空間を放出していくようになったのです。
「ひとつの意識」だったものが、「意識そのもの」と「対象」に分かれた瞬間でした。
それは、「意識そのもの」がその内側から飛び出すすべての「対象」を見たいと欲求したからなのです。

「あなたそのもの」はゼロポイントで、「太っている自分」は反射ポイントです。
「今・ここ」の「今」とは虚空のゼロポイント。「ここ」とは物理次元の反射ポイントです。

アセンションとは意識の覚醒のことであり、この究極のさかのぼりである。

私たちは、自分自身を知る霊的な旅をするために、やってきました。
真の自分、真の生をこの手にするために、生まれてきたのです。
私たち全員と、私たちを取り巻くすべての存在が、愛に満ちて生きられる自由な世界を作り出すためにやってきたと知ってください。

●私たちは自己の中心に、すべての発展のために誠を尽くすという欲求をもっています。
利他行動の拡大と、無私の奉仕精神です。

思考や感情を超えた、質の高い愛の周波数がゼロ意識です。

解放されたあなたの意識は、宇宙的なゼロ意識に溶け込み、自然に物理次元での「その都度の役割」を果たすような展開へと導かれていくのです。

●ゼロ意識に気づいて開花させる時期までは、その種子を守る固い殻が必要で、それが自我なのです。

あなたが自立し、本当の自己として歩み始める決意をする時、自我はひっそりと身を引くのです。

罪とは、本人が内面の真実から外れた生き様をすること。

誰でもないあなたこそ、あなたの真の在りようです。

あなたは感情の傷の側ではなく、それを創った側であり、したがって、その傷を観察すべき側だということです。

「妄想することなかれ」

感情と自分を一体化することなかれ。

頭にとって不本意なことであっても、これが今の自分には必要なギフトだったのだと認めなければ、それが完了することは決してないのです。
逃げることなく責任をもって結果を受け入れるとき、ようやく「無思考」の境地に至るのです。

果てしない個人的欲望というものが、じつは「過去世」「先祖」から来ている。
何としても叶って欲しい強い欲望は、過去の生の反復でしかなく、じつはすでに体験されてしまったものばかりです。
思考は、欲望による感情的な興奮をくり返したがるのです。
人間の過去は、先祖から数多くくり返されてきたために、そこには深い轍ができあがっています。

高い意識へと変容させるには、万物万我をいつくしみ、自他一体のように感じながら、共に調和して栄えていこうとする意志を強めることです。

個人的な独占所有という意識が消えると、他者との壁も消え、あらゆるものがあなたの所に巡ってくるようになります。

所有しないことの不安を手放すだけで、所有しようとあくせくしなくても、あなたは進化してしまい、勝手に必要なものは来てくれるようになるのです。

あなたが何かを所有しようとしなくなれば(所有のコードを挿さなければ)、エネルギーが漏れないため、全身が常に満ち足りた状態になり、自ずと個人的には「無欲」になるのです。

個人的な夢や願望は、世間や一般社会からの刷り込みがほとんどです。

根源的な本質である虚空は「潜在する未知を既知にしたい」という意図をもっています。すでに経験した既知には興味がないのです。

本当にどっちに転んでもいいし、何が起きてもいい、という無色透明になって、愛と喜びと感謝の感覚で生きてさえいればいいのです。大いなる意識が、あなたが見るべき夢、あなたがすべきこと、あなたの想像を超えた素晴らしい世界、本当に行くべき所へ運んでくれるでしょう。

今という瞬間だけに意識を置いて、生きて生きて生きるからこそ、あなたは成功できるのです。

じつは、「生」それ自体には、もともと決まった特定の目的はありません。と言うのも、あなたに起こるあらゆること、すべてが目的だからです。

絶対的な目的に縛られなかったら、どこへ行き着いても、何が来ても、すべてを豊かさとして受け取れます。今この瞬間においての欲求を楽しんでください。

使命や役割というものは、表面的なカタチのことではありません。あらゆるものごとに愛を込めていくと、虚空の大きな目標に従って、私たちは自然とやるべきことへ導かれていくようになっています。

どんなことでも心を込めて行い、全体のために生きなさい。
それが真の使命です。

あなたに可能なのは、今後ではなく、「今ここ」で成功することだけです。
そのためにエネルギー的に必要なことがあります。
それは、人々や物事や色々な状況との間に個人的な駆け引きやエネルギー操作が介入しない「純粋な親密さ」を生み出すことです。

日常の色々な物事に対しても、動植物に対しても、関わりがある人々すべてに対して、心を込めて接していくということを、たった今から実践すると決める。
そして、どんな人であれ、必ず変化し向上することを信頼してください。

最も重要なことは、外部の目的や、何を成すかとか、成したかではなく、その根底に流れている「意識の質」の状態です。
ただ廊下を歩くだけの平凡な行為であっても、今ここに天意(あい)の質を伴わせ、意識を込めることを実践することです。

今という瞬間に、あなたの内なる愛の意識を真摯に込めるならば、意識と今とが完全に深く融合し、その時にだけ、無限の力と情熱にアクセスすることができるのです。

本当の喜びは、行為や行動それ自体の中にあるのではなく、あなたを通じて、行為の中へ流れ込ませるべきもの。

外側の世界は何も与えてはくれない。喜びも楽しさも、あなたの内側から外の世界へと、流れ込ませるものです。
人生の重要な目的は、覚醒した意識の光(愛の喜び)を、この物理次元に持ち込むことにあるのです。

虚空のエクスタシーは、愛において意識的であることの喜びです。
今ここに愛として目覚めてありといったような明晰な意識として存在できる喜びです。

「愛の喜びとして在る」という生き方に慣れてください。

物事を言語化せず、分析をせず、ただ素のままの「生」を観ることを意識してみてください。

言葉や言語を一文字たりとも自分の身体に残すな。たとえ一語であっても、その重さが引力となって、自我の輪廻の道に入る。

自分が嫌いな相手には、自分にも似たものがある、といわれます。相手を受け入れるということは、自分を受け入れるということでもある。
相手の本質にフォーカスすることは、自分の本質にもフォーカスできて、そこを強めます。

●思考パターンを断ち切る
コントロールしたいという衝動を手放して、一瞬一瞬のすべてを「それでいい」と受け入れてみる。

自他や物事を判定して、そこにレッテルを貼る常習性のパターンをやめてみましょう。

明晰な気づきの状態の意識になっていることが瞑想であり、思考や言葉がすべて解体されることが瞑想なのです。
瞑想は目覚めた愛の意識による「生き様」のことです。

感情は、思考よりも深いところに抑圧されていきます。

自分自身を被害者だとか犠牲者だと見なした瞬間、もう何をやってもそこからは出られないのです。

誰かによってやられたという思考になる時、あなたのパワーは相手に行ってしまい、永遠に取り戻すことができません。しかも、反発や怒りが湧きます。
ところが、「やられてみた」という思考に変えてみてください。

感情とは、過去のお知らせなのです。
身体の中にある先祖DNAを理解し、感謝して、ゆるめてあげてください。
先祖が感情的にいいたかったことを思い、それを知ってあげて、そのように苦しんだ歴史を理解してあげるだけで彼らのうっぷんが晴れ、感情が解放浄化されます。

そのままの感情を知り、味わうこと、愛して受け入れることによって、感情は浄化される。

本当の勇気は、恐怖を抑えて突き進むことではなく、恐怖を認め、受け入れた、そのふところの深い愛の空間から生じるものです。

似たようなことがくり返されるのは、あなたが受け入れを拒むとき、壊れることを嫌がるときです。それはあなたが素直に丸ごと受け入れるまで起こり続けます。

あらゆる物事や状況は、まず、見えない状態として創られてから、見える状態へと具体化されますが、実際に見える状態になった時は、現実的にはもう終わった瞬間であり、そこからは壊れていくだけなのです。
(始まる前にいつもすべては終わっている)

あなたの意識が「真の静寂」に同調して一体化すると、思考の誘惑に引き込まれなくなり、安定した中立な視点を常に持つことが出来るようになります。
(中庸)

あなたの内面がゼロ時の空間であれば、つまり光だけの空間であれば、いかなる進化した型の自分も、新しいメッセージも、すべて訪れてくれますし、すべて受け取れるのです。

すべてのモノやコトが呼吸から創られている。
細胞すべてを通じて行われている超光速の光の呼吸です。
吸ってから吐くまでの一瞬のギャップから光が生まれていきます。

神が息を吐くときは存在があり、神が息を吸うときは全存在が消える。

中立に観るとは、二点の両方を同時に含み、それを超えた立体的な意識状態のこと。
対象を観るほうの「自分」を忘れていては、中立な観察ができません。
自分と対象との双方が必要。

思考なしの空っぽの意識になり、なんの障害物もないようにし、虚空からの光の流れがあなたの中を通れるようにしてください。

意識の覚醒は人生の最終目的ではありません。
いっさいの言葉や思考なしの純粋な意識を、あなたがほんの少しでも垣間見ること、その最初の気づき、その小さな覚醒が、あなたにとって最も大切なことなのです。

物や知識を持つのは水平の成長で、別次元へと超越する成長は、全体愛という垂直の成長です。

●肉体の死後、ほとんどの人は自我(感情体と思考体)を手放せません。それは完全に光となって虚空へ入ることが怖いからですが、そうなると、とりあえずの行き先を創らねばなりません。ですから、皆のイメージで創った偽の死後世界に、皆で入り込むようになりました。

「私」という個人が消滅すれば、そこには「受け容れ」だけが自然に起こります。

●愛として成熟するにつれ、いかにもっと与え、無条件に与えるかが重要になっていきます。
この時、愛は依存ではなくなっています。相手がいようがいまいが関係なく、常に愛の状態でいられるようになります。

愛は自立した状態のことなのです。

愛に満ちた「聖なる独り」天上天下唯我独尊という根本にまで進化しましょう。

●あなたがすべての生から叡智を得て、霊的に成熟するためには、あらゆる状態を経験し、あらゆる感情を味わい、あらゆる二極の行為をやりつくすことしかないのです。

私たちの意識が肉体のみならず感情体、思考体と一体化しなくなったとき、肉体が今までと全く違ったしくみで機能し始める、これを禁欲というのです。

私は何にも執着していません。来るもの拒まず、去るものを追わずと言えたら最高に自由です。
何が起きても楽しめる、どんなことでも愛を込めて経験できる、と思えたら最高に至福です。

●あなたが真の自分として生き始めると、人類に奉仕している他の高次の存在たち、天使や神々だけでなく、動植物の中にも存在している純粋な意識にもつながることができます。

虚空は自らを二分割して、その片割れの意識を物理次元にまで降下させましたが、この降下したほうの意識が、物理次元での経験のすべてを虚空へとフィードバックさせる役割になったのです。
あなたの本質はこの両方が統合されたトータルな意識であり、物理次元の人間という生命体のカタチが創られるずっと以前から存在していたのです。

●私たちという存在は「スペース」と「エネルギー」の両方です。
意識であり、意志でもあるからです。
「スペース」を自覚するようになれば、あらゆるエネルギーが自ずと調和して働くようになっているのです。
これが天の錬金術です。

肉体は、あなたの意識が選んだ聖なる住処であり、神殿です。
あなたが「肉体とともに」という思いになるたびに、あなたの意識を落ち着かせることができ、直観が授けられてくるようになります。

●洗濯をし、掃除をし、仕事をし、食べ、遊び、休む、そういうものすべてに対して、愛と誠意を込め、意識を込めて行うのです。これが第8センスの感性です。

個性とは、あなたの意識がこの世に持ち込む「愛の資質」のことです。
あなたの内面的な態度のことです。

創造の本当の意味とは、カタチを成し遂げることではなく、カタチに愛を吹き込むことだった。

一切の解釈ぬきで他の人を丸ごと素直に受容することなくして、絶対に今以上の自分には進化できないのです。
あなたが受容すれば、必ず相手もそうなり、愛の循環が起こり、進化という魔法がおきます。

苦しみに直面させてくれるような物事から逃げずに、「意識に満ちた状態」で生きることを「菩薩行」といいます。