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政治の言葉 2009.8.15


 

 誰もが気づいているが、口に出せないことがある。
 エコポイント制やエコカー減税は決してエコじゃない、ということだ。今まで扇風機ですましていた人が、エコポイント制度ができたからクーラーを買ったとしたらどうなるのか。今まで自転車ですましていた人が、エコカー減税があるからといって車を買ったらどうなるのか。いずれにしても、自動車やクーラーや大画面テレビがエコでないことはわかりきっている。エコカーは今までの車と比較すれば相対的にエコであるというだけであって、エコカーを買うことがエコであるわけではない。車を買わない、乗らない、持たない方がエコであることは言うまでもない。
 要するにこれはただ経済を活性化させるための方便に過ぎないということだ。政治というのはこういうふうに言葉を自在に操って人々をある方向に誘導することだというのがよくわかる。
 たとえば、「クリーンエネルギー」という言葉。エネルギーにクリーンも何もあるまい。今やCO2を出さないのがクリーンの基準になっているが、そんな一面的一時的な基準はどう考えてもおかしい。クリーンなエネルギーをつくるのにクリーンでないエネルギーを使ったり、さかのぼればどこかでCO2を出していたりするわけで、そういうことをはっきりさせずにただイメージだけで語られている。問題なのはクリーンかどうかではなく、いかにしてエネルギーを少なく消費して経済発展するかということだろう。
 そもそも経済発展しないと国が滅びるというような脅しをかけるのも政治の言葉だ。このまま少子化が続くと国が滅びるなど。確かに年金は今までのようにはもらえないかもしれないが、国が滅びるわけではあるまい。むしろ人口が減れば環境問題も自然に解決するかもしれない。
 政治の言葉はほとんどこのような脅しで成り立っている。教育もしかり。愛国心を育てないと国が滅びるとか、OECDの学習到達度調査結果が低いからこのままでは国力が衰えるとか、そういう脅迫によってある方向へ誘導されていく。自立した人間を育成することこそが教育の目的であるべきなのに、引きこもりの人間を大量に増やしているのはどういうことか。引きこもりの実態をきちんと調査しようともしない。今、高校で退学者が減っているのは、みな通信制高校に転学していくからだ。通信制高校は二週間に一回程度学校に行けばよいシステムだ。ほとんど引きこもり、不登校の延長だ。卒業後はどうなるのか、きちんと追跡調査してほしい。むしろ、この問題の方が重要だと思うが、政治はこの問題に真剣に取り組もうとしない。なぜなら引きこもりは社会に害がないからだ。害のないものはとりあえず放っておくのも政治だ。 政治の本音は5%のエリートをどう育てるかだ。落ちこぼれが問題になるのはそれが暴走族や犯罪などに関わるときだ。それ以外はどうでもいいのだ。