表紙国語科学習指導案集短文による読解演習


 短文による読解演習 

読解力とは何か。
単語の意味をしっかりおさえて、その単語と単語の組み合わせによって生じるその文章特有の意味を見いだすことである。
その読解の練習には、時代時代において、大きな役割を果たしたすぐれた主張、警句、思想のエッセンスとなる文などをじっくりと
自分の頭で考える訓練が有効であると考えた。
これから、適当な文をどんどんふやしていくつもりである。

〈練習問題1〉「メディアはメッセージである」とはどういうことか。


〈考え方〉

まず、「メディア」とは何か、「メッセージ」とは何か、その辞書的な意味を知らなければならない。
「メディア」とは、情報を伝達する媒体のことで、新聞、雑誌、テレビ、インターネットなどを指す。さらに、その材料を指す場合もある。新聞なら紙のメディア、ラジオは音声メディア、ネットは電子メディアなど。ただし、ここでは「新聞、テレビ、ラジオ」などをさすと考えればよいだろう。
「メッセージ」とは手紙や使者に託して伝達される言葉。伝言。何か相手に伝えたいこと、内容のことである。単なる情報ではなく、「あなたが好きだ」とか「あなたは誰かに狙われているから逃げて」とか、相手に行動をうながすこともある。

こういう単語レベルの意味を確認した上で、この文章にこめられた意味を考えることが読解というものである。

では、どういう意味がこめられているか。
そのまま単語の意味をあてはめると次のようになる。
「新聞、テレビ、ネットなどは何か相手に伝えたいこと、内容である」
どこかおかしい。そのおかしいところに読解の要点がある。
どこがおかしいかというと、テレビはメッセージを伝える媒体のことであって、メッセージそのものではないはずなのに、ここではメッセージそのものだと言っているところだ。

とすると、筆者の言いたいことはこういうことだろう。
テレビやネットはメッセージを伝える単なる媒体ではなく、それ自体が何かのメッセージを伝えてしまっているということだ。
では、何を伝えているのか。
例えば、テレビは映像の圧倒的な力を見せつけ、その映像こそ真実だと伝えてしまうということが一つあるだろう。
違った角度から写せば別の真実があるかもしれないのに、一方的な角度から写された映像を真実だと思わせて人々を一方に導いてしまう。
例えば、ネットは知の上下関係を無効にして、田舎の少年であろうが、東大の教授であろうが、同じ地平でものを言ってもいいというメッセージを伝えてしまった。

システムそのものがある思想的なメッセージを伝えてしまうということはよくあることで、
他にも例えば、学校というシステムはそれ自体が「個性を出してはいけません」というようなメッセージを送り続けているということもできる。

このように、一つの文を読解することは、他にもどんどん応用していくことができるというわけだ。


〈解答例〉
メディアとは単なる情報を伝達する媒体ではなく、そのシステム自体がそれを利用する人々に無意識にある認識の枠組みを与えてしまうということ。

〈練習問題2〉「楽しく生きる」と「生きることを楽しむ」の違いを説明せよ。
 
特にヒントは必要ない。むしろ、このどちらがよいと思うかを考えさせて、自分の生き方を省みる事のほうに意味がある。

〈解答例〉
「楽しく生きる」は嫌なことはしたくない、自分の好きなことをして生きるという安易な生き方が見える。
「生きることを楽しむ」とは嫌なこともいいこともすべて含めて人生を味わいたいという覚悟が込められている。

〈練習問題3〉「自分の城」を築こうとする者は必ず破滅する(ヤスパース)とはどういう意味か。

〈考え方〉
自分の城を築くとは比喩である。外から攻められても安全であるような守りをすることだろう。破滅するとは逆説的である。これも比喩で、人生に失敗するということだろう。したがって、全体としては次のような解釈となる。

〈解答例〉
「自我とは他者との関係の中でしか成立しないから、自己を守ろうとする試みは必ず失敗する」ということ。