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至福の時 


<その一>ボランティ屋
たとえば老人ホームに置いた熱帯魚水槽の水換えをしていて、おじいさんに「金魚やさんもたいへんだね」と言われたとき

 趣味で飼っている熱帯魚の水槽がやたらと増えて困ったので、数年前から近くの老人ホームに水槽を置かせてもらっている。自分も助かるし、ホームのみなさんの慰めになれば一石二鳥というわけだ。そのかわり定期的に水槽の掃除と水換えに行き、魚の様子を見てくるのだが、ホームのみなさんはわたしのことを金魚やさんだと思っている。たしかに水換えする瞬間は金魚やさんなのだ。本職は何をしているかということは関係ない。金魚の世話をしていれば金魚やさんだし、植木の手入れをしていれば植木屋さんなのだ。ボランティアはその時その時で何屋さんにもなれるボランティ屋なのだ。
 
 <その2>下戸の建てたる倉もなし
 たとえば、毎年必ずベランダにやってくるアマガエルに今年も会えた時
 
 それは本当に去年と同じカエルかどうかはわからないから、こちらの一方的な思いこみかもしれないが、年を経てまた会えたという喜びはたとえようもない。
 今年は物干しの竿の上にちょこんと座っているところに出会った。カエルという奴は何とも言えない愛嬌がある。人間との相性もいい。酒の飲めないわたしには、あの「下戸下戸」という鳴き声も慕わしい。

 <その3>虔十の至福
 宮沢賢治の作品「虔十公園林」の主人公「虔十」はいつも縄の帯をしめて森の中や畑の間をゆっくり歩いているのでした。
 『雨の中を青い藪を見てはよろこんで目をパチパチさせ、青空をどこまでも翔ていく鷹を見つけては跳ね上がって手をたたいてみんなに知らせました。風がどうと吹いてぶなの葉がチラチラ光るときなどはもううれしくてうれしくてひとりでに笑えて仕方ないのを、無理やり大きく口をあき、はあはあ息だけついてごまかしながらいつまでもいつまでもそのブナの木を見上げて立っているのでした』と書かれています。
 
 「虔十」にとっては自然の営みがどれもこれも命の輝きを持つすばらしい宝物でした。
 「虔十」はみんなに「すこし足りない」と言われてバカにされていました。「虔十」は普通の人のほしがるようなものには価値を見ませんでした。でも、見るものすべてが輝いて見えるのですから他に何が必要だったでしょうか。
 毎日が至福の時なのです。
 どんな人生の達人もこの「虔十」にはかないません。
 宮沢賢治はよく森の中を歩きながら大きな声で「ホッホー」と叫んでいたそうです。おそらくそれは「虔十」が森の中を歩きながらうれしくてひとりでに笑えて仕方ないのをごまかすために無理やり大きく口をあけて息をしたのと同じことだったろうと思います。