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「たこ」になるための十二章


第一章 考えることをやめる

 こうやってノートに何かを書き付けて時間を停止することをやめる。
 考えたり書いたりすることは時間を止めてしまうから。

第二章 できるだけわかりきった会話をする。

 南に世間話をする人あれば行って僕もまぜてくださいといい、
 寒さの冬は「寒いですね」といい、
 暑さの夏は「暑いですね」という。

第三章 できるだけ無意味な出会いを心がける。

 袖振りあうだけの縁を大切にする。
 一日一回出会う。
 相手に何も求めず、何も与えず、ただ出会う。

第四章 自分で自分を演じるのをやめる。

 筋書きを作るのをやめる。
 あるがままで流れに身を任せ、
 石があったら石をよけ、
 穴があったら入ってみる。
 花には鼻をちかづける。

第五章 何事にも反応する。

 <刺激−反応>の本能的機械となってそのプロセスに身をまかせる。
 ゆく川の流れはもとの水ではない。
 今日吹く風は昨日の風ではない。
 西に火事のサイレンあればすぐに窓をあけ、
 東に喧嘩や事故あれば野次馬となり、
 それもできるだけ大きく全身で反応する。
 選ばないで、全てに反応する。
 気分で願うべし。
 守るべき自分などない。
 あるのは<刺激−反応>のプロセスだけだ。

第六章 鏡になる。

 外界をただ映す。
 美しい山も汚れた川もすべてありのままに映す鏡になる。
 つまり、
 からっぽになる。
 わたしはあなたで、あなたはわたし。
 からっぽだから、あなたの喜びはわたしの喜び。
 世界の苦しみはわたしの苦しみ。

第七章 理解するのではなく、覚える。

 かたっぱしからおぼえてそれを使う。
 おぼえるのはそれを自分の肉とするためだ。
 そしてなによりそれを使うためだ。
 文学は読んだり鑑賞したりするものではない。
 文学は使うためにこそある。
 使うためにはおぼえなければならない。
 まず、寺山寺山修司の歌をおぼえたい。
 そして、恐山に母を埋めに行く。

 −亡き母の真っ赤な櫛を埋めにゆく 恐山には風吹くばかり−
 −とんびの子 なけよとやまのかねたたき 姥捨て以前の母眠らしむ−
 −かくれんぼ 鬼のままにて老いたれば 誰を捜しに来る 村祭り−

第八章 先取りすることをやめる

 例えば次のような詩がある。

   のぶ子  鈴木章

 のぶ子のぶ子のぶ子のぶ子
 のぶ子のぶ子のぶ子のぶ子
 のぶ子のぶ子のぶ子のぶ子
 のぶ子のぶ子のぶ子のぶ子
 のぶ子のぶ子のぶ子のぶ子
 のぶ子のぶ子のぶ子のぶ子
 のぶ子のぶ子のぶ子のぶ子
 のぶ子のぶ子のぶ子のぶ子
 のぶ子のぶ子のぶ子のぶ子
 のぶ子のぶ子のぶ子のぶ子
 のぶ子のぶ子のぶ子のぶ子
 のぶ子のぶ子のぶ子のぶ子

 この詩を前にして、「のぶ子」の出てくる回数を数えたりしてはいけない。
 ああ、のぶ子がたくさん出てくるな、で終わりにしてはいけない。
 最初の「のぶ子」から最後の「のぶ子」まで一つずつ声を出して読む。
 全部違う「のぶ子」であることがわかるまで。

第九章 新聞、ニュースを見ることをやめる

 世の中の動きについていくことをやめる。

第十章 毎日ネクタイを締める

 自分で自分の首をしめる。これほど文化的なふるまいはあるまい。
 ジャージを着ててもネクタイは忘れない。

第十一章 反省することをやめる

 いつだって、その時その自分が精一杯の自分なのだから。
 反省は猿に任せておこう。
 反省はみみっちい。
 反省してよかったことなど一度もない。
 明日のための反省なんてあったためしがない。
 いつだって反省しているうちに何を反省していたのかわからなくなる。
 同じ過ちを繰り返したくなかったら、反省をやめることだ。

第十二章 一日に一度は死ぬ

 一日に一度は生まれ変わるために。