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小説「檸檬」(梶井基次郎)の主題について


 2007.6.30
檸檬にはたくさんの対比が出てくる。
不吉な塊と檸檬。
駄菓子屋のみすぼらしく美しいものと丸善の高級品。
丸善は学生、学問、書籍、つまり真善美の真を表し、
檸檬はすべての善いもの美しいものを重量に換算したとあるように、善と美を表す。
主人公の私は知性に疲れており、感情と感覚に救いを求めている。
檸檬はあらゆる匂い、味、色、触覚、嗅覚、その他あらゆる感覚を統合した、いわば共通感覚(コモンセンス)を表している。
それは、大人になるにしたがって「知性」ばかりを偏って働かせているうちに失われてしまうもので、「私」はそこから脱落してしまい、不吉な塊に支配されてしまったのだった。
 バランスを回復するためには、共通感覚(コモンセンス)を取り戻すことが必要であった。それは子どもに戻ることでもあった。
だから、花火やおはじきや南京玉に惹かれた。
 そうして最後は子どもに返って檸檬爆弾をしかけるという最高のいたずらを思いつくのであった。
 檸檬はつまり、精神のバランスを回復するための取り戻す起爆剤であり、何より幼児期の共通感覚を取り戻す触媒だった。
 共通感覚とは、あらゆる感覚を複合的に組み合わせて発揮する知覚であり、人間の最も大切な心身相関の場所である。
 筆者はその共通感覚の復権をこの小説によって訴えたのである