カシャ、カシャ……。
シャッターの音が、妙に良く聞こえる。他には、空と海原。
これで、乗っている船がヨットだったりしたら、それも白い船だったら、気障なラブストーリーなのだろうが、現実はそう甘くはなく、古い釣船だ。もうガタのきたエンジンは、一昔前なら現役だったろうが、今は引退して、浜に置去りにされているような船。一人で乗っている訳ではなく、結城美緒、同じゼミの友人だ。残念だが、恋人ではない。教室で海へ行く話をしていたら、連れていって欲しいと言い、断る理由を見つけられないし、彼女の写真好きも知っていたので同船者となった。GパンにTシャツ、長い髪を後ろで束ねている。
俺の名は、関孝夫。彼女と同じGパン、Tシャツ、Gジャンが俺の姿だ。見方によっては、恋人同士に見えなくもない。
そんな事よりも、俺の目は海を見ていた。月に一回、なけなしの金をはたいてこのボロ船を借りるのも、そのためだった。
あれは一年前、いやもっとだ。正確には、頭の内で数を数える。そう、一年半になるだろう。あれに出会った。そう、本物のあれに出会ったのは。
俺は、休みを利用して、バイク旅行をしていた。そこで古びた漁村に立ち寄ったと言うか、迷い込んだ。本当にひなびた、一枚の絵画の様にそこは見えた。黒光こそしていないが、古い家々、海岸に干されている網さえも、不思議と合っていた。よそ者の俺は、村にひっそりと迎えられた。
村には、おそらく漁に出ているのか、人影はなかったと思う。猫は満足そうに昼寝をし、犬も大人しく小屋に居る。
ふと、平和な風景とは、こんなものを言うのではないかと思い始めていた。俺はゆっくりとバイクを走らせ、道を聞こうとしていた。どのくらい走ったか、どのくらい捜したかは記憶にない。捜すということよりも、この単調で平和な風景に見とれていたのかも知れない。
そして、やっと風景に似合いの店。よろず屋とでも言ったら良いのだろうか、むかし、通った駄菓子屋を思い出す店。通ってきた道には、店はここしかなかったと思う。俺はバイクを降り、ヘルメットを脱ぐと店の中へ入っていった。
「ごめんください。……ごめんください。誰も居ないんですかぁ」
大声で呼んでみたが、答えはなかった。
俺は店の裏手に回ってみた。そこには老女が長椅子に座り、ガラスの水槽があった。アクリルではなく、ガラスの水槽が。その水槽の内に《それ》はあった。これが、始めての出会いだった。
胎児ボール。マスコミが名付けたそれは、廃油ボールのように漂う物体だった。ただ、それは廃油ボールとは違い、違っていたのは、胎児ボールには……、ネーミングが間違っていたのかも知れない。内部には、胎児は居ないのだから。
内部にはどう説明したら良いのか、原始大洋、原始大気。メタンガス、アンモニア、水蒸気、水素、コアセルベートetc、これらの物体が混じり合っているらしい。俺だって、本当の事、理解している訳じゃない。
これを包んでいる膜は、現在でも分析不能。別に、普通に海上に浮かんでいる胎児ボールは害もなく、役もなく、変なクラゲの様な物体だった。しかし、俺は見た。《それ》は卵を持っていた。いや、卵細胞が既に分裂を始めていて、桑実体と呼ばれる段階にまで成長していた。大きさは、そう、テニスボールぐらいだと思った。
老女は、驚いている俺に気付いたのか、それとも単に振り返っただけか、俺の方を見た。老女の顔には、年月がよい結果を刻んだようだった。
「なんの御用ですかね」
微笑さえ見せながら、俺に尋ねた。
俺はそこでジュースと、国道への道を知った。
老女は、歳は八〇才ぐらいだろうか、少しもボケておらず、若々しいとさえ思えた。俺を見送る老女を振り返ると、そこにはあの水槽があった。
一見、何の変哲もない胎児ボールだった。しかし、半透明の膜にはあってはならない存在──卵──があった。
俺はそれ以来──老女は、拾ってから半年と言っていた──時々見に行っていた。「関君」
彼女の呼ぶ声で、思い出の中から俺は乱暴に引き戻された。
「どうしたの? 何度も呼んだのに、気が付かないで、我が心ここにあらず、という感じだったわよ」
「どう。いい写真、写せた?」
「うん。海の上っていい! 好き!」
まるで、子供のようだ。はしゃいでいる彼女は。
時計を見ると、岸につける時間だ。
「そろそろ、岸につけても良いかい?」
彼女が頷くと、俺はエンジンをかけ、浜へ向かって走らせた。浜から一番近い駅。彼女とは、そこで別れた。
俺はヘルメットを被ると、スターターを蹴った。単調だが、頼もしい排気音が聞こえる。陽はまだ高い。俺は、今日あの漁村に行こうと思った。忙しさに、見に行けなかった胎児ボールを。最後に会いに、いや、見に行ったのは、丁度勾玉のような形をしていた。始めて見た時よりも、成長が早い。今日あたり、何かの形をしているかも知れない。
ここからだと、二〇キロ余り。すいているから三〇分もあれば着くだろう。俺は駅から国道に乗り、信号を左に曲る。大通りを右に見て、大きく迂回して海岸沿いの淋しい道へ。漁村へとバイクを走らせていた。風を切る感覚が、心地いい。海上と違う潮の香りと風。つい、口からメロディーが出てしまう。《海》人は、海より生まれた。こうやって海沿いの道を走っていると、そう思う。
村が見えて来た。相変わらず静かな村だ。天災が村を壊すようなことがあっても、静かに終らせるであろう。そんな村。
俺は、バイクを降りた。店の裏手へと、足を運ぶ。老女が、いつも居る所へ。老女は、いつものように長椅子に座っていた。
そして、胎児ボール──卵──もそこに在った。
内には……。 Fin
作者のコメント
昔「廃油ボール」という物が海上に浮かんでいた頃に考えついた話しです。
続きはありません。 ご想像下さい・・・
お便りお待ちしています。
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