カルテ開示元年によせて PART12

カルテの話もだいぶ長くなりました。そろそろS)O)A)P)のS)くらい終わりにしないと、はじめの話を忘れちゃいそうです。

S)の部分には「患者さんにとって主観的なSubjective」事柄として、「患者さんがしゃべったこと」を書くのが原則です。しかし、話し言葉は冗長なので、とても全部は記録できません。そこで、現実には「医者が聞いたこと」を適当に端折って記載しています。かくして、できあがったカルテはこんな感じです。

カゼひいてオオゴト 先週の金曜くらいからノドがおかしい。そのうち咳でてきた。 痰、鼻水、頭痛あり。 おなかもちょっとおかしい。熱はいまはかって36.5。

ここで再び根本的な大問題に戻ります。つまり、こうやってできたものは果たしてどの程度「主観的」なんだろうかってことです。以前話題にしたように、S)O)A)P)のS)は基本的に話し言葉の記録ですから、話されていない部分の思いは無視されます。しかし、今回もう一つ問題にしたいのは、記録した側の主観についてです。つまり、しゃべった患者さんの主観のみならず、それを聞いて適当に端折って記録した医者の主観がずいぶん混じるように思います。

例えば「ハイ、特に変わりありません。おかげさまでここんとこずうっと調子がよくって、、、」という、内科外来のいつもの一言には、「病状に変化はなく」「体調は良好である」という微妙にニュアンスの違う二つの意図が含まれます(少なくとも私にはそう感じられます)。こういういつもの一言を、その通りにだらだら書く医師もいれば、シンプルに「著変なし」とか「good」などと記載する医師もいます。さらっと流すかだらだら書くか、流すにしても病状不変と体調良好のどちらに重きを置くか、そこらへんはすべて医者任せです。いつもの一言ですらこうなんですから、いつもと違うあれこれのどれをどう取り上げるか、そこに医者の主観が大いに反映されるであろうことは、想像に難くないでしょう。

「カルテの記載というのは患者さんその人個人の情報なんだから、、、」云々と盛んに議論されたことがありました。しかし、コトはそう単純ではありません。カルテの記載には、それを書いた医者の主観、あるいは個性が色濃く反映されています。カルテを見るということは、それはつまり医者の頭の中を見ることです。まあ見えるのはごくわずかの部分ですが、それでも時々覗いて点検してみてはいかがでしょうか。


「くらしと医療」2002年4月号


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