天と地という関係性での陰陽は、天が地に作用を施すことが‘陽’で、これは暖めるという意味でした。
地はその作用によって暖められて反応する受身と言うことで‘陰’でした。
天は天で陰陽があります。それは昼夜や四季に応じた暖め方の相違です。夏や昼は天の陽、冬や夜は天の陰です。
地にも陰陽があります。同じ季節で同じ時間帯であっても、暖かい日と寒い日、風の吹く吹かないや強さや吹く方角の違い。北と南での植物の生育の違いや降雨量の違い。これらは全て天から受けた作用に対する反応の相違の陰陽です。
地の陰陽は天の陰陽に比べて、より複雑な条件下で様々な陰陽の相違をみせます。
同じ大地であっても平地と山の南斜面と北斜面では、暖まり方が違うからです。
その暖められ方によって、本来‘地’が持つ性質の現れ方が違います。
この「本来‘地’が持つ性質の現れ方が違い」を地上空間に存在する物や現象を通じて分析する考え方が‘気・形・質’です。

ただあくまでも則天主義(天人合一)の思想は貫かれていて、天からの作用の影響を受けてという事が前提になります。

’のところで例えたボールですが、投げられたボールも原子と電子、分子と分子が引き合う力というエネルギーによって材料が構成されますし、製造工程というエネルギーを受けてボールという形を成しています。‘気’をエネルギーとするならこのボールというものを形作らせる働きもまた‘気’なわけてす。
この形を作る‘気’の働きを、分析のための便宜上‘形’と言う名前を形作らせる‘気’の働き付けたわけです。
 

そうすると形作られたものが<ボールである>という特徴も、そのボール独特の弾み方や投げ易さなどの性質もエネルギーなわけです。気’をエネルギーとするならこのボールの持つ性質もエネルギーと言え、この場合も分析のための便宜上‘質’と言う名前を性質を示すエネルギーに付けたわけです。
梨とリンゴでは形は似ていますが違う種類の果物ですし、同じリンゴでも味や歯触りが違います。
 

ところがそのボールは投げたり打ったりしているうちに、形状がいびつになって削れたり造りが緩んだり、性質として弾み具合なんかも変化するわけです。作用を受けてもしくは時間の経過で変化するエネルギーも“気”といい、この変化の尺度もしくは内容を陰陽といいます。ここに則天主義との連結があって、変化の中にも法則性があり、作用を受け時間の経過の中で、地上の森羅万象を観察・分析します。