〜地の説明〜

考え方の中心が天から地へ降りたことになります。つまり地面の上で、天からの作用を受けて反応するものの話です。それは天から照射する陽気の量の変化に地がどう対応するか、ということなわけです。
つまり
天からの作用とは、天から照射される‘陽気’のことで‘暖める’という働きです。地の反応とは‘暖められた’事によって発揮される地の持つ性質で、暖められなければ冷えていってしまう働きを、地の持つ‘陰気’といいます。
〜考え方の中心が天から地へ降りた〜とは、この暖められて反応する様子のことで、自然現象の基本的な仕組みとして‘地’といいます。
解りやすくするために、話を共工の前にまで戻します。
つまり、地球は自転も公転もしていない状態を仮想して下さい。
太陽の位置がずっと同じ場合、地面の上では常に日が当たっている場所と当たってない場所が出来ます。では太陽の光を受け止めた地表ではどうなっているのかというと、まず日の当たっている部分が暖まります。日の当たっている場所はどこかというと、平地や山の南面、谷の北壁です。地表の暖まった部分は水分が蒸発するため、下からもやもやしたものが上がってきます。何かが上へ向かって上昇していくような感じなんですね。そして地面が乾いてきて水分が蒸発がやむと、おのずと空気も乾いてきます。すると乾いて軽くなった空気の後に、日の当たらない部分から湿ったより温度の低い風が吹き込んできます。

では、その自然現象の理由を古典に求めると
淮南子・天文篇
天地の諸現象〜訳文へ

原文です。

天道曰員、地道曰方。方者主幽、員者主明。
道;基準とすべきやりかた。
員;イン、ウン、エン まる。まるい。<同>円。「方員(ホウエン)(四角と、まる)」「不以規矩、不能成方員=規矩ヲ以ヰズンバ、方員ヲ成スアタハズ」〔孟子〕まわり。幅の広さ。
方;四角。四角い。四角い板。▽また、天は円形、地は方形(四角)だと考えられたので、大地を方という。<対>円。「方形」「規矩方員之至也=規矩ハ、方員ノ至リナリ」〔孟子〕
幽;ユウ かすか(カスカナリ)。ほのかでよく見えないさま。<類>玄(ゲン)・幻(ゲン)。「幽幻」;くらい(クラシ)。ほのぐらい。<対>明。<類>暗。
明;あきらか(アキラカナリ)。あかるい(アカルシ)。光がさしてあかるい。よく物が見える。はっきりして疑う余地がない。<対>暗・昏(コン)。「明暗」「明白」「月明星稀=月明ラカニ星稀ナリ」〔曹操〕「人倫、明於上=人倫、上ニ明ラカナリ」〔孟子〕「人之性悪明矣=人ノ性悪ナルコト明ラカナリ」〔荀子〕
天の道曰く員、地の道曰く方。方は幽を主り、員は明を主る。
 
明者吐気者也、是故火曰外景。
景;ひかげ。ひかり。日光によって生じた明暗のけじめ。明暗によってくっきりと浮きあがる形。また、転じて、日光。<類>境(ケイ),(キョウ)(さかいめ)。
明は気を吐く者也、是れ故に火を外景と曰う。
 
幽者含気者也、是故水曰内景。
含;ふくむ。口の中に入れてくちびるをふさぐ。中に入れてあらわに出さない。昔の葬礼で、邪気をさけるため玉を死者の口中にふくませる。また、その玉。中にこめられた意味・内容。
幽は気を含む者也、是れ故に水を内景と曰う。
 
吐気者施、含気者化、是故陽施陰化。
施;ほどこす。手前の物を向こうへ押しやる。のびる(ノブ)。のばす。うつる。長くのびる。また、のびてうつっていく。<類>移。「施于中谷=中谷ニ施ル」〔詩経〕
吐気は施、含気は化、是れ故に施は陽で化は陰。
 
天地之偏気、怒者為風、天地之合気、和者為雨。
怒;はげむ。はげしい(ハゲシ)。ぐっと緊張していきおいこむ。また、そのさま。<同>努。「怒而飛其翼若垂天之雲=怒ンデ飛ベバ、ソノ翼ハ垂天ノ雲ノゴトシ」〔荘子〕
為;なす。ある事に手を加えてうまくしあげる。作為する。「為政以徳=政ヲ為スニ徳ヲモッテス」〔論語〕。つくる。ある物に手を加えて、つくりあげる。「為此詩者其知道乎=コノ詩ヲ為ル者ハソレ道ヲ知レルカ」〔孟子〕。おさめる(ヲサム)。ある事に手を加えてうまくまとめる。「由也為之比及三年=由ヤコレヲ為メ三年ニ及ブコロホヒ」〔論語〕。なる。ある物事がもとの姿をかえて、他の物事に変化する。「変為」「無為小人儒=小人ノ儒ト為ルコトナカレ」〔論語〕
和:まるくまとまった状態。「平和」「調和」「和為貴=和ヲ貴シト為ス」〔論語〕「地利不如人和=地ノ利ハ人ノ和ニ如カズ」〔孟子〕いっしょに解けあったさま。また、成分の異なるものをうまく配合する。また、その状態。
天地の偏気、怒は風を為し、天地の合気、和は雨を為す。
 
陰陽相薄、感而為雷、激而為霆、乱而為霧。
薄;物の上下の面がすれすれにくっついているさま。
霆;ジョウ、テイ いなずま(イナヅマ)。まっすぐにのびる、いなびかり。「雷霆(ライテイ)」いかずち(イカヅチ)。横にのびてひろがる、雷鳴の余韻。雷鳴のとどろき。
陰陽相薄(せまりて)、感は雷と為し、激は霆と為し、乱は霧と為す。
 
陽気勝、則散而為雨露、陰気勝、則凝而為霜雪。

陽気が勝れば、則ち散じて雨露を為し、陰気が勝れば、則ち凝りて霜雪を為す。


訳文。

「天の道は員」つまり、

天の在り方としては丸く角や継ぎ目のない状態で、

「地の道は方」つまり、

地の在り方は四角く範囲のはっきりした状態です。

「四角く範囲のはっきりした状態では幽を」とは、

つまりもとは暗いものですが、光を受けたところでは明るくなり、そうでないところでは暗いまんまで、明暗の境目がはっきりしているという状態をいいます。こういったある作用を受けたときに、その作用を受けた部分では何らかの反応を示すという現象を、主に地が代表していると言っています。

「それに対し丸く角や継ぎ目のない状態では明を」とは、

つまり球状のものは光を受けても明暗の境いが曖昧で範囲の限定が難しいため、天を形ある物ととらえるよりも光が放射状に拡がるという様子でとらえました。本文の対比が明と幽であり、明と暗という光のあるなしではないことから、天と地は光を発する側とそれを受けて明るくなる側とで対比してあるわけです。幽という薄ぼんやりとしたはっきりしないものに、明という明らかにする作用を施すことで、作用を受けた部分がその部分の特徴を持って反応を示すという関係性を、主に天が代表しているといえます。

「明は気を吐く者」とは、

明とは作用を発すると言うことの説明をしています。

「是れ故に火を外景と曰う」とは、

天が作用を発するという状態を、火という具体例をあげて説明しています。火は光と熱を八方へと放射し、受けたものは照らされ暖まります。外景と曰うとは、この光と熱を八方へと放射している状態、つまり作用の発散を言っています。

「幽は気を含む者」とは、

幽とは作用を受けるということの説明ですが、吐くの対比が含むであって吸うではありません。つまり単に吸い込まれたわけではなく、含んだことにより意味を受け取ったわけで、作用に対する相応の反応を返す状態を持っているわけです。

「是れ故に水を内景と曰う」とは、

地が天の作用を受け止めて反応を示す様子を、水という具体例をあげて説明しています。水は光を吸収し水底をきらきらと輝かせます。また熱を受け暖まることで、氷モ湯モ蒸気と形態さえ変化させます。ここでは水が火によって温められると言う部分を使って、最も単純なところだけの関係性を説いています。内景と曰うとは、光を吸収し水底を輝かせることと、そこから伸義したかたちで、熱を受け暖まることで形態さえ変化させてしまう水の反応性を言っています。

「吐気は施」とは、

作用を発することで、その受け取ったものに何かを施すという意味です。

「含気は化」とは、

作用を受け取った部分が何かを施されたことで、受け取った部分の性質を持って反応すると言うことの説明です。化ですから水が氷や蒸気に形態を変えるように、作用という施しを受けたものが、変化をしたことで反応が観察されます。

「是れ故に施は陽で化は陰」とは、

陰陽分類とは、どんなことについて陰と陽に分けたかというテーマ性が必要です。それによって陰と陽に分けたものの性質と、それ同士の関係性を明確化するわけです。この場合は天があって地があることで生じる環境変化を、反応のために作用を施す陽と、受けた施しから変化と言うかたちで反応する陰とに分類して、次の気象の発生で説明をします。

「天地の偏気」とは、

天が施す作用が強すぎたり地の変化という反応が遅れたりする状況です。それは例えば日差しが強すぎて大地が乾ききった状態や、山や雲などで日光が遮られて充分な作用が得られないという、広範囲に地表面での反応がばらつく事を言っています。

「怒は風を為し」とは、

その施す作用と変化という反応が場所によって差が出た場合で、<天地之偏気為風>ではなく<天地之偏気、怒者為風>つまり<、怒者>が一つ加わります。作用が施す地の反応に差が出たため<怒者>の状態になって<為風>風を為す、風が吹ける条件になったわけです。
では<怒者>とは何なのか、
直接の意味合いでは感情の怒るですが、自然現象ですから別の意味になります。いわゆる「自然の怒りに触れる」では宗教的印象を示してしまうため、ここでは理由としません。怒とは奴隷の奴から出来た文字で、努や弩に準ずる勢いをつけて事を成すという意味です。弓の弩であれば具象ですが感情の怒であるため抽象的な範囲で、内圧の高じた状況を言っています。
ではその、風が吹ける条件〜内圧の高じた状況〜とは、
この項目の始めの部分
<そして地面が乾いてきて水分が蒸発しなくなると、おのずと空気も乾いてきます。すると空気が乾いて軽くなるため、日の当たらない部分から湿ったより温度の低い風が吹き込んできます>です。
この文節を説明したくて、わざわざ古典まで読み下しました。そしてここの部分では、いまだ天の回転は始まっていません。<天地之偏気、怒者為風>つまり大地の暖まり加減のばらつきが高じて風が吹く条件が整うということの、陰陽展開からの話でした。
陰面と陽面と空気の流れ

引き続き、「天地の合気」とは、

暖まって上昇する空気、その横から風となって流れ込む空気。この空気の動きは淮南子が編纂された頃の認識範囲、西安、洛陽を中心とした中原と呼ばれる四極(東極、西極、南極、北極)八方(東、東南、南、南西、西、北西、北、北東)の中での話です。その外側を陽気の及ばない世界〜夜と同じ〜地の陰気だけの世界〜幽の状態〜人外魔境と捉えていました。そこからかすかとか、ほのかでよく見えないさまという意味の幽が、幽玄とか幽霊のような使われ方に行ったのだと思います。さて、四極八方の、山のむこうの暖められていない空気、つまり全く日に照らされていない事になっている空気が、尾根や山頂付近で中原の暖まって上昇してきた空気に触れます。
淮南子、墮形篇の九山
孟門山
(山西省吉県-陝西省宜川県)
岐山(陝西省岐山県)
羊腸山(山西省太原市)
泰山(山東省泰安県)
王屋山(山西省垣曲県)
首山(山西省永濟県)
太行山(河南省沁陽県)
太華山(陝西省華陰県)
会稽山(浙江省紹興市)
八方に囲まれているというわけにはいきませんが、北西に山が集中しています。
淮南子がかかれた淮南(わいなん)
割と南方に位置しています。比較的暖かなのですが、神仙思想を多く持っていたため山岳信仰のような風習があったらしく、山は上に行くほど寒くなることを知っていたようです。陽気が強いはずの上方が寒い。この理由を現代人が求める気圧差とはせずに、山の裏側の陰気を多く含んだ空気、というより陰気そのものが表側に入り込んできたためと考えました。山に登ったときに、自分の暖かい息が白くなるのを見て、山からわき出る雲を暖かい空気と冷たい空気が触れることと見ました。天の施しを受けて暖められた空気と、地の陰気のままの空気が接触する、それが天地の合気です。

「和は雨を為す」とは、

和とは、性質の違うものがまとまり逢うことです。天の施しを受けて暖められた空気と、地の陰気のままの空気が合わさったのち、雲が発生します。科学的に言えば湿った空気が冷やされたため、体積が収縮し湿度が飽和する。しかし淮南子当時の人はそうには考えなかったと思います。ただそれは使う言葉が違うだけで、考え方は同じでした。
なぜ暖まった空気が上昇することを知ったのか?それは雨上りのあと、もわっと湿ったものが地面から沸き上がり、地表が乾いて行くのを見たからです。つまり空気中の湿気によって観測したことでした。その湿度を含んだ空気が上昇し空に向かって拡散して行くわけですが、その一端が山からの陰気に触れ、雲の発生が始まります。雲という姿が目に見えた段階で、天の作用を受けて上昇した空気が山頂の陰気と調和し、もとの水に戻そうとする本来の地の陰気になっているわけです。山から立ち登ったかのように見える雲が、その輪郭に接触した湿気を含んだ空気を取り込んで、水へと戻る地の陰気となって空全体に拡がり天を覆います。しかし雲が落ちてこないのは、まだ上昇する陽気に押されるからですが、雲が天を覆いきってその作用を断ったとき、上昇した湿気は雲から雨という実形化へと転じ、地へと返るわけです。そして、地面に雨が落ちきって雲が晴れ日がさすと、また湿気となって上昇し雲となります。この循環も含めて、天地の合気の和となります。

「陰陽相薄(せまりて)」ですが

この場合の‘薄’は薄いではなく、肉薄の薄です。相薄とは迫り寄ることで、その迫り寄りの内容で自然現象の出方が変わります。ところでこの場合、陰と陽が迫り寄るとあって、その前の天地の偏気や合気とは違います。
天という物の構成要素である陽気と、地という物の構成要素である陰気を直接土台にして偏ったり合わさったりという考え方ではなくって、陰気と陽気のもつエネルギーがダイレクトに干渉しあうその瞬間を細分化した物と考えます。

そのうえで、

「感は雷と為し」とは、

現代で言えばプラスとマイナスの引き合いです。
迫り寄ることによって‘感’じた陰陽が‘雷’を為したとは、急激に暖められて上昇した空気が‘幽’のままの陽性を帯びていない空気に触れたとき、その性質が極端に違うため過剰な反応を起こします。その反応を起こす発端を‘感’といい反応の結果を‘雷’といいます。夕立の時に曇った空全体が光ったり、ゴロゴロと音がすると言う現象の発動原理が‘感’で現象そのものを‘雷’といいます。

「激は霆と為し」とは、

‘感’が発端となって現れた反応の度合いを‘激’といい、その度合いに応じて‘霆’という現象が発生します。曇った空全体が光ってゴロゴロと鳴るだけでなく、稲妻が走ったりバリバリと激しい音がして落雷するなどの現象が起こります。また、‘激’の度合いが高いと、光って音がするまでの時間が短くなることも含まれると思われます。

「乱は霧と為す」。

‘霧’とは、暖まって上昇する空気に含まれる水分が、上空に到達する前に実形化したものです。‘乱’とは、もつれた状態を意味する言葉ですが、余りに湿度が高すぎて上昇するはずの空気が重くなり、つまり陽の天空に向かって拡散する作用が働かず、さらに‘幽’である陰性の空気が先に地表へと沈み込んできたために、狭い地上面で上空で雲を生成するようなことが生じてしまったという状態です。

陽気が勝れば、則ち散じて雨露を為し」

「陰気が勝れば、則ち凝りて霜雪を為す」

ここまでが、地球が停止したと仮定して、最もシンプルな日が当たる当たらないの‘陽’と‘陰’によって生じる自然現象の説明でした。

この‘地’という範囲は、

ユーラシア大陸の東半分のさらに南半分を指していて、「中原」と言う言葉で区切った居住可能範囲をいいます。

それ以外には世界が無く、もしあったとしても中原の周囲は天の陽気の施しを受けない世界‘幽’としていました。

つまり中原以外は陰気を内包しただけの
「自然としての活動を停止した世界」
という捉え方でした。
中原 【ちゅうげん】 〔広い野原の中央、の意(辺境や蛮国に対して)天下の中央の地。〕
中国の長江以北から黄河中流域を中心とした地域。殷(いん)・周など中国古代文明の発祥地。のち、漢民族の発展に伴い、華北一帯をさすようになる。
特に秦漢時代の国都;西安(長安)は黄河の一支流「渭水」の両岸に広がる肥沃な黄土高原にあって、気候は温和でさらに灌漑用水路の整備によって「沃野千里」「天府(天然の蔵)の国」とたたえられる肥沃な土地になっていた。秦漢時代にこの黄土平原は関中平原とも呼ばれた。この地が東は函谷関、西は散関、南は武関、北は蕭(しょう)関に囲まれていたからである。そのため関中平原は「八百里の秦川」と称され、北と西と南の三方が山々に取り囲まれ、東の渭水のそそぎ口だけが開いていた。
なお、西安(長安)はかつて西周・前秦・後秦・前漢・新・前趙・西魏・北周・隋・唐の十王朝の国都が置かれたところである。

さて、ここから今までのことを踏み台にして一日の変化と四季の移ろいを考えます。

言い方をかえれば地球が自転と公転をしている状態の様子です。

一日の変化とは、

東の空が明るくなって、日が昇り地面を照らしてくると朝になります。
太陽が南方の上空へと昇り始めて昼となり、西の空へと傾ききって夕方となり、沈みきって夜となります。
これは天が持つ規則的な変化で、朝の次に夕方が来てから昼になったりしないんですね。

四季の移ろいとは、

一年間で、一日の昼と夜の時間が同じ長さになる日は春分と秋分と言って、年に2回あります。春分から徐々に昼の方が長くなっていき、最も昼が長くなる日を夏至と言います。この日は正午の太陽の高さが一番高くなります。夏至を境に昼が短く夜が長くなっていき、伴って日の出日の入りの地点が南方になり、太陽の高さが低くなっていきます。昼夜同じ長さになって秋分となり、徐々に夜の方が長くなって、最も夜が長くなる日を冬至といい正午の太陽の位置も年間で一番低くなります。この日を境に夜が短く昼が長くなっていき、同じになったときが春分です。
ところがこの事だけでは「四季の移ろい」とは言いません。「四時の変化」といいます。今の説明では天の規則的な変化を羅列しただけで、地上の様子は語れていません。

では地上はというと、必ずしもこの天の変化に対応していないのです。

例えば、朝日が射してからすぐに暖かくなるわけではありません。世の中が明るくなってきて、しばらくしてから温度が上昇していきます。昼にしてもそうですが、太陽が真上にある正午より二時頃の方が暖かく、夏場にいたっては日が沈んでも温度が下がらないことすらあります。

季節にしてもそうですが、夏至の正午に太陽がほぼ真上に来たからと言って、毎年その日が最高気温になるわけではありません。いつもより暖かい冬もあれば、雪の多い年もあります。

これが、天が太陽光を照射して与えた作用に対しての、地の反応です。

「四季の移ろい」を風で捉えると、

「天地の偏気」と「怒は風を為し」の部分を「四時の変化」で、つまり太陽が動くことで生じる現象を考察してみます。
現代科学で考えると、
風が吹く理由というのは気圧の差です。気圧の高いところから低いところへ空気が移動することで風になります。この気圧差はどうやって生じるのかと言えば、温度差な訳です。温度差は、日が当たるところと当たらないところがあるので生じます。日が当たって暖められた空気が上昇すると、密度が減って上から押さえる力も減って気圧が下がります。日が当たらないところは、空気が冷えて下降するため気圧が上がります。
つまり高気圧とは夜に生じ、低気圧とは昼に作られるのです。天気予報で‘移動性の高気圧が張り出して’といいますが、これは解りやすくするための配慮で、本当は移動したり形が変わったりする物ではなく、その場所の空気の温度と気圧が、上がったり下がったりしているんですね。そこに地球の自転と球形である事の日当たりのムラで、複雑な風の吹き方と気象が生じるわけです。
まず最も季節がはっきりしている夏と冬の風について考えてみると、
下の図は3月中旬、深夜0時前後の北斗七星です。
中国思想としての風の吹く仕組みは「天地の偏気」と「怒は風を為し」の通りですが、この原理から季節によって風の吹く方角が変わることを考えなくてはなりません。
中国の古代人は偶然が作り上げたはずの自然の産物を、物差しとして非常に上手く活用していました。
その一つで、
北極星の周囲を回る北斗七星のひしゃくの柄が、深夜にその季節の方角を示すと言うことでした。(太一)
その方角から吹く風が、その季節にとっての風でした。

夏の風

夏は、最も太陽が高く上がるため影が短くなり、日照時間は長くなって夜が短くなります。
天から大量の陽気が降り注ぐうえに、地面は広範囲にしかも長い時間照らされるわけですから、湿気や空気が短時間で多量に上昇します。ただ南方にあるはずの山の北側の空気は、日に照らされていないため上昇せず、暖められた地域に向かって流れ込みます。それが南風となった夏の風です。夏で水の循環が激しくなっている中原の範囲内から吹いてくるため、ある程度の湿気を帯びているのが特徴です。さらに地中にも含まれていた多量の水分が上昇し、「和は雨を為す」の原理をもとに、その分だけ頻繁に雨となって地表へと降り、また陽気によって上昇するという経路で循環します。
夏の風の特徴は南から吹いてくることですが、中原内部の日が充分に当たった空気のみで構成されているため、陽気がふんだんに含まれています。夏の風が南から吹くのは、下の図’のように太陽光に照らされない部分が、どちらかといえば南に限定されているからです。

冬の風

冬の中原は太陽から照射を受ける範囲が狭く日照時間も短くなります。それは太陽が南に傾き低くなるためで、天からの陽気はひじょうに少なくなります。光の照射角度が浅いため日陰の面積が大きくなり、日の当たっている範囲では空気の上昇がゆっくりとなります。それでも日が当たっていない所からの空気は流れ込み、しかしそれがあまりにゆっくりなため、風としての認識が出来ません。
中原の範囲内で、
<日が当たって上昇する空気>〜
<上昇したところへ流れ込む日陰の空気>〜
<また暖められて上昇する空気>〜
を繰り返すうちに、徐々に気圧が下がってきます。
実は中原全体のどこよりも空気の上昇の早い場所があって、そこは北方の山の南斜面です。ここは角度的に太陽と対面し太陽光の照射角度が垂直に近いため、地面が夏の陽気の受け方に似ています。そのためこの斜面の空気の上昇が早く、山の反対側の北面にある、太陽光の照射を受けていない陰気の多い空気は、初めのうち山の尾根付近でエアカーテンのような妨げを受けて南斜面側に入り込めません。
また南斜面の空気が上昇したことによって、そこには平地の空気が入り込んできます。しかし平地自体の気圧が下がってくるので、上昇した分を満たすほどの供給がしだいに出来なくなっていきます。この北方の山の南斜面の空気は上昇はしつつも供給が減り、一瞬エアカーテンの働きが失われます。
そのとき山の北面側の陰気の多い空気が、いっきに流れ込みます。それが北風となった冬の風です。
冬の風が北から吹くのは、朝から夕方までの太陽光の照射範囲が関係しています。下の図‘冬’のように照らされる山の斜面が、どちらかといえば北方に限定されるかたちになるからです。しかも吹いてくる風は山より向こうの‘幽’からと仮定されているので、ほとんど陰気のみで構成された、乾いた冷たい風となります。
冬という季節は、天からの陽気の照射量が減り温度もあまり高くならず、ともなって地中の奥の水分も上昇が抑えられます。中原全体が乾燥傾向にあるわけですが、山の斜面は垂直に近いかたちで照射を受けるため、温度と湿度の状態が平地とは違った様相を見せます。つまり‘地面が夏の陽気の受け方に似ている’わけですが、平地のすでに乾いた空気が流れ込むために、空気そのものの質が常に夏と同じというわけではありません。
冬に低地の山を登ってみても、日溜まりは暖かくもわっとした湿気を感じます。この、山そのものの空気が上昇して尾根付近で反対側の陰気と接触した場合は、雲が発生し雪にもなりうるわけです。冬に雪が降るのは「陰気が勝れば、則ち凝りて霜雪を為す」の通りです。乾燥した空気の方が多ければ雲の発生にはならず、エアカーテンの働きになります。
それと、中原平地部でゆっくりとした空気の上昇が行われているわけですが、この空気は上昇しながらより上昇の早い北方の山の南斜面へと引き寄せられています。すると南方の山の北斜面の空気は虚ろになるため、南の山の反対側の‘幽’の陰気が入り込んできてしまいます。そうなると風が吹くために必要な気圧の低下がなくなってしまいそうですが、中原全体が広いために北方の山の南斜面にまでには、影響がなかなかおよばないのです。

春と秋についても、季節が持つ風の方角があります。

春と秋に共通することは、最も極端な様相を持つ夏と冬の中間であるという事です。
違いはと言うと‘暖かくなっていく’か‘涼しくなっていく’で、つまり天から照射される陽気の量が、春は増えていき、秋は減っていきます。

春は陽気の量が増えていく季節です。
次第に太陽が高く昼間の時間が長くなり、温度と湿度が日増しにあがっていきます。今まで照らされていなかった地面が照らされるようになり、空気の対流が盛んになっていきます。平地では日向の範囲が南へと広がり、日を受ける北方の山の斜面は東西へと拡がります。冬に比べると朝の温度上昇が早くなり、それだけ空気の対流が早く始まります。平地と山の斜面の陽気に対する反応の差は、太陽が高くなっていくため次第に小さくなります。
そのため中原北方限界から先の‘幽’から吹き込む風が減って、中原内の温度差による対流の風が盛んになります。
秋は陽気の量が減っていく季節です。
それは太陽が低くなり、昼間の時間が短くなっていくためで、温度や湿度が下がっていくことから確認できます。平地の日の当たっていた部分が日陰になって、日陰は北へと広がります。北方の山の日を受ける斜面は、北に向かって範囲を狭めていきます。日中の温度上昇は緩やかになって、夕方に急激に温度が下がって暗くなるようになり、夜間の冷え込みが増します。中原内の空気の対流は次第に緩やかになって、平地と山の斜面の陽気に対する反応の差は、太陽が低くなっていくため次第に大きくなります。
そのため中原内の温度差による対流の風が緩やかになって、中原北方限界から先の‘幽’から吹き込む風が増えていきます。

風は暖かくなるにしたがって、北モ北東モ東モ南東モ南、と向きを変え
   寒くなるにしたがって、南モ南西モ西モ北西モ北、と向きを変えます。
これは南からの風と北から吹き込んでくる風の量の違い、それと地表が暖かくなっていくか寒くなっていくかによって、変わっていきます。
冬至から暖かくなるにしたがって、
昼が長く太陽の高度が高くなるわけですが、同時に日の出入りのポイントが東西へと拡がっていきます。それまで寒かった冬に比べ夜や明け方の冷え込みが和らぎ、しだいに日が射してからの温度上昇も早くなります。
日が出て最初に光の当たるところは北西の山の斜面です。そこから次第に平地の北西部を照らしていき、南東へと日向が拡がっていきます。正午の頃にはその時期の太陽高度にしたがって、南方の日陰の位置が決まります。その後、太陽は西傾していき北東へと移行していった日向は、北東の山の斜面に光を残したのちに南西の山の奥に没します。夕方から日没後にかけて緩やかに気温が下降していき、その時期に相応した温度の夜を迎えます。
こういった一日の経過を夏至に向けて変化させていき、ともなって風が吹いてくる方角も、北モ北東モ東モ南東モ南と、変わっていきます。

では、なぜ暖かくなるにつれて北風が東経由で南へと移行していくのか?

朝の温度上昇が日に日に早まってくるため、日に照らされた北東の範囲から空気の対流が始まります。
冬至に近い時期であれば、風として知覚されるほどの強さにはなりませんが、春分を過ぎさらに夏至へと近づく頃には‘夏の風’のような対流の強さが生じます。
平地内部での対流による風とは別に、北方の‘幽’から引き込む風もあります。
平地内部の対流がまだ緩やかで、しかし山の斜面に当たる日差しで‘冬の風’の作用があれば、その山の向こうから風が吹き込むことは可能です。
その二つの風が合わさったときの風力のバランスで、方向と強さが生じます。
古代において‘ベクトル’という概念があったかは不明です。
ただ単純な力学モデルなため、織物とか紐掛けなど何らかの作業を通じて、似たような考え方を持っていたことと想定しました。

春の風は、日増しに朝が早くなることと、乗じて温度上昇が早まることや日向の範囲が広がっていくことで、太陽が東傾状態時から対流の影響を受け出します。その対流は春分から夏至に向けて強くなっていき、これによって風の向きが東方経由で南へと移行して行くわけです。

夏至の頃は日の出から日没まで暑いので、いつでも南風が吹ける状態です。もし夏から冬にかけての温度変化が太陽の動きに平衡するならば、毎日少しずつ温度が下がっていくことになります。夏の夜に温度が下がりきらないのは昼間の温度が保温されるためですが、そうなると特に夏至以降の夜の温度は、日中の温度の影響だけと限定できます。

夏至を過ぎて秋分に向かいながら、太陽は低くなり昼間は短くなっていきます。夏至を過ぎたばかりの頃の夜は、前日の昼間の影響のためにそれほど温度も低くならず、そのため朝も寒くないために、少ない温度上昇で昼間の温度に到達します。もし夏至以降、少なくとも立秋以降に日増しに温度が下がって行くならば、朝の温度上昇も日増しに少なくなっていくことになります。それは天からの陽気の照射が日増しに減っていくためで、朝の温度を上昇させる作用が少なくなるからです。しかし立秋から秋分にかけては、まだまだある程度の日中温度が確保できます。それは夜間に保管された陽気に助けられたかたちだといえます。

ところが日増しに陽気の量は減って行くわけですから、一日のうちでも太陽の西傾が進んでくると、それに伴って陽気の照射は減っていきます。秋の夕方は急に暗くなって温度が下がるのはそのためです。

こういった状態が寒くなるにしたがって進んでいくので、
夏至から冬至へと風の方向は、南モ南西モ西モ北西モ北、と変わっていきます。

では、なぜ寒くなるにつれて南風が西経由で北へと移行していくのか?

夏至を過ぎた頃は、日の出から日没までほとんど暑いわけですから、いつでも南風が吹ける状態です。
夜は昼間の温度の影響を受けてそれほど温度が下がりません。そのままの状態で朝を迎えるわけですから、すぐに温度が上昇し日没まで継続されます。夜になって大地は冷まされるかたちで朝を迎えます。次の日は冬に向かうため少しだけ寒い一日になっています。前日の昼間の温度の影響を受けた夜が、前日よりやや寒いはずの日の朝を迎えるわけですから、午前中の温度上昇はそれほど極端ではありません。しかし夕方の暗くなるのと温度の下降は急激になっていきます。そのときにとくに日があたっている北東に向かう対流が抑えられ‘幽’から吹き込んでくる北風の影響が強くなります。
この状態は秋分を過ぎた頃の午後には起こるようになります。
こんなにうまく行くのだろうかという感じですが、
季節が順調に変化して行った時に季節の風が吹くというわけです。
そして季節の風が吹くことで、その時期がその季節に適した状態かどうかが確認できます。
‘季節の風が吹く’とは、その季節に適した気候であると言うことの現れです。

各季節の太陽運行ルート

中国中原のような広い地域の場合、南と北ではかなりの気候、もしくは気温の差が生じます。
北方では北風の影響を強く受け、南方では対流する風の影響を受けます。

しかも地は、照射を受けている場所によっても反応が変わります。

南に行けばいくほど、太陽が高くなって季節差が無くなって、陽という性質の影響を強く受けます。
北に行くと太陽は低くなり、季節によって日照時間が大きく変化します。天からの陽という性質の影響が弱く、地が持つ陰の性質が多くうかがえます。

南は、気温が高く草木が生い茂り雨が激しく降ります。天へと向かう力が多く働き、水が蒸発して降り注ぐという循環も盛んになります。

北は、気温が低いため草木はあまり伸びず、木の枝葉も細くなります。雨よりも雪が降るようになり、地に留まるという力の方が強く働き、地中の水分も霜として地面を凍らせて水の循環は抑えられます。

地は水を経由して、植物を繁茂させまた枯衰させる働きをします。

例えば水は、陽という作用を受けたときに蒸発して、天に向かうという性質があります。それと同じように、地中内部の養分と共に植物内部に吸い上げられて、枝葉を繁茂させるという働きをします。天の陽気(暖めるという働き)の作用から地中の水分は、地表から放散して湿度を作るとともに、植物の中を根から吸われるかたちで上がっていきます。水は吸い上げたことで植物を成長させ、葉が付き花を咲かせます。なぜ成長するかというと、その時に‘滋養作用’という働きを持つ養分というかたちの‘気’も吸い上げるからです。

地に生う植物はと言うと、

やはり季節に応じた変化をみせます。

そのまえに
’の項目では「気は作用と反応とそれに準じた変化を成す原理」を持つエネルギーと認識し
そのうえで、作用を受けるために物質というかたちを形成させるという働きも、その物質が作用を受けて反応を起こさせるという働きも‘気’でした。
またその‘作用をする’という働きの加減も変化しますし‘反応の内容’も変化します。
こういった現象は、植物の生育状況を観察した事で導き出された結論かと思われ、これを本来の地が持つ働きと考えます。
‘本来の地の働き’とは生物を滋養するのもその一つです。この働きは地上にその滋養作用を通じて草木の本幹や、樹木の葉や花という‘形’を発生させます。
その滋養という働きを地上にいる動物や昆虫は、形作られた植物を摂取することで受け止めます。滋養というエネルギーを受けてそれぞれ特徴的な形を持った種(しゅ)が、それぞれの特徴的な性質を発揮して生命活動を営みます。
それが‘質’です。
‘形’の形成も‘質’の発揮も、地の持つ滋養という‘気’が働くことによって行われます。
この滋養作用を‘地の気’としたときの地上の生物と地との関係は、季節によって変わる天の陽気の照射量に応じます。地上の生物は、その時の天の陽気の量に対応しつつ状況に応じて反応を変える‘地の気’から影響を受け、特に植物が四季の移ろいを通じて最もダイレクトに現します。

植物が現す季節の違いとは、
春になると、日が高く昼間が長く日向が広がっていきます。それは時間的にも空間的にも質的にも陽気が増えていく事の現れですが、地に生う植物にもその影響があります。
陽気が増える、つまり天からの作用(暖めるという働き)の増加ですが、それによって地の反応は促され、地中では水分とそれに伴った養分の移動が起き、草花は芽が出て伸びていき、樹木では花が咲き枝葉を拡げます。
‘地’というかたちを持ったものが、天からの作用を受けて‘陽’という反応をする。つまり本来持った働きを発揮し始めるわけです。
その発揮の現れが、樹木が花を付けたり草花の芽吹いたりすることです。
真夏の暑いときでも、地中の水分と養分を吸い上げていっぱいに拡がった枝葉には、潤いがあって生き生きとしています。陽気を受けて伸びようとする草木は、それに伴って地中の水と養分が上に向かって引き上げられ、その恩恵を受けて枝葉を拡げていきます。日があたることで葉から水分がぐんぐんと蒸発していきますが、同時に地中からぐんぐんと吸い上げられます。おかげでたとえ炎天下の直射日光でも枯れたり腐ったりすることありませんし、残った養分がその緑をさらに濃くします。それは地中の陰気の‘冷ます’という作用が、水や養分の中に含まれているからで、より暑くても枯れないでいる葉ほどその陰気の作用を多く持っています。葉の中に水分と共に入ってきた養分は、植物としての本来の営みを発揮させるという陰気の作用として残り、水分の方は蒸発していきます。
陽気盛んな高温多湿な土地ではより盛んに吸い上げられます。地中から上がってきた養分という形の陰気は、一方では植物の持つ性質を助け、一方では降り注ぐ陽気に対抗すべく‘冷ます’と言う作用で、植物としての営みの維持を助けます。そのため南方や暑い季節の地上の葉物は、冷ます作用があると言われるようになりました。
夏から秋に移行すると、昼の長さが短くなって太陽の位置が低くなり、伴って天の陽気の作用が減っていきます。葉の先々まで行き届いていた水分は、徐々に行き渡らなくなります。つまり途中までしか行かなくなることで、葉は紅葉となって枯れ落ちるようになり、花は実となって地面へと落ちます。種はこの段階でまだ降り注ぐ陽気を空中で受け、その内部に保管します。草花の残根や球根は地表に出ている部分が枯れ落ちてしまうため、まだある程度注ぐ陽気の影響から地中の養分を根の中に残し、外へと発散できないまま陽気の作用を保管します。

冬に葉が枯れ落ちるのは、天からの陽気の作用が減って、地中の水と伴った養分が上がらなくなるからです。逆に考えれば地が元々保有している、下に降げるもしくは動かないと言う陰気の作用によるものです。これは凍り付く寒さの地上で、表面積を減らす事で寒さからの影響を受けにくくすると言うメリットにもつながります。
草花も同様で、地上にその姿が見られなくなりますが、根や種、球根と言った状態で、春の芽吹きに備えます。地中でも水や養分の動きが止まってただ寒いだけになります。霜がおり雪が積もって凍土のような状態になっても、地中にとどまった種や根は、春に芽吹く力を備えて生き延びることが出来ます。
凍てつく寒さの地中で、凍ることなく越冬できるのは、ギリギリの保温能力を備えていると考えました。暖めるからには陽気の作用ですが、この作用は秋に種や残根の中に保管されます。
この陽気の保管、もしくは保温という状態は、地面の上に堆積した落葉が補うと考えていたと思います。
腐葉土の中に手を入れたときの暖かさで、これを知ったのではないかと想定しました。

陽気の作用と内包
もし太陽がなかったら、地上には暖めるという意味での陽気は存在しません。天から陽気の照射を受けなければ、地上には陰気が示す状態だけがあります。それは草や木が枯れ落ちて、水分は凍った寒くて真っ暗な世界です。天の陽気を受けることで地上の生物はその活動を顕わにします。地上が受ける陽気の照射量は規則的に変化しますが、全く無くなることはありません。冬であっても夜であっても天の陽気の影響は存在します。一つには保温と考えれば解りやすいかと思います。天の陽気を多く受ければ、その分だけ温度が上昇します。少なくなってくるとその分だけ地の陰気の作用で温度が下がり、地上の生体活動は停滞します。しかし真冬の真夜中に全ての生体活動が根絶せず春を迎えられるのは、温存された陽の作用が残っているからです。
それが種や残根に保管された陽気の作用です。
暖められた物はすぐに冷えない。さらに周囲を何かで包むともっと長い時間暖かい。大きい物ほど冷えにくい。この事が、地表は凍っていても掘っていくと地中は暖かいことへとつながって、生きものを含めた物質は陽気を保管できるという規則をみつけます。この事が北方や寒い季節の地中の物は、暖める作用があると言われる理由です。

では、冷やす作用の地の陰気はどこから来るのか。
天の陽気とは地が受け止めたことで、その作用が確認できます。対して地の陰気とは、地盤を含めた地上に存在する全てのものが性質として内包する物であって、地が地上の物に向けて積極的に発しているわけではありません。
そのことが、「明は気を吐く者」「是れ故に火を外景と曰う」「幽は気を含む者」「是れ故に水を内景と曰う」「吐気は施」「含気は化」「是れ故に施は陽で化は陰」になります。そしてその「含気は化」とは、陽気によって内包された性質が発揮され、陽気の量が少なければその分だけ‘性質を発揮する’という反応は、抑えられると言う法則性を言っています。そのときの反応は、より発揮される状態が‘暖められるで’より抑えられた状態が‘冷める’になります。

つまり‘地’とは本来、暖めなければ冷えていってしまう性質があって、そこに‘天’からの作用を受けたときに暖まることが出来て、その暖まり方に応じて様々な様相を見せます。それが地表においては気候を作り気象という現象を見せ、地中においては滋養という働きを発生させ、地面の草木を育成します。
‘天’によって作用される‘暖め方’には変化があって、その変化に応じて地表は寒くなって暑くなりまた寒くなります。だいたい同じような気候に戻ると一年と言いますが、その一年を気候で4つに区切って四季と区別し、各季節に‘地’の性質がどう発揮されどんなふうに働くかの話をここでしました。
これらのことが、この「地の説明」のテーマとなっている淮南子の解釈文
<四季の変化によって万物が育まれた>の説明とします。