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釣り銭日記 1995年


10月17日
 木田書店で注文してあった古典全集二冊を購入する。
合計4980円だという。注文品だから私は定価を確認していないが、そんなに安いはずはないと思った。しかし、そういうのだからそうなのだろうと思った。何かひっかかる感じがして、店を出てから本の値段を確かめてみた。やはり思っていたとおりだった。
私は店に引き返した。
「あのう、さっき買った本だけど、値段が違っていたようなんで・・」
といってレシートと本を差し出した。店の人は
「あ、そうですか」といい、計算し直して淡々と不足金を受け取った。
「最初から知ってたくせに、今頃来やがって・・」というような対応だった。
私は後悔した。
もちろん私はいいことをしたとは思っていない。当然のことをしただけだ。
しかし、このような冷淡な対応をされるのなら戻らなければよかったと思った。
「わざわざすみませんでした」くらいの言葉を期待するのはいけないことだろうか。

心の小さいそのときの私はもう二度と正直に申し出たりしないぞと心に誓った。

11月19日(日)
 ヤマダ電機でカセットテープを二本購入する。1本380円くらいだったと思う。ところがレジでは合計400いくらだという。二本で500円は超えていたはずだと思ったが、店の人がそういうのだからそうなのだろうと素直に500円玉を出しておつりをもらって帰った。
 家について袋から出してみるとやはり合計600円は超えている。これはもうかったと家のみんなにいいふらすと、息子の習作は軽蔑したような顔で、
「いやしいな、とおちゃんは」と言った。
そこに親父がやってきて言うには今ヤマダ電機は特売をしているはずだと。
急いでチラシをみると、なんとテープが5割引きになっていた。

12月3日(日)
 書店「ウィズ」で本二冊購入。
「大学を問う」1200円
「悪の秘儀」2400円
ところがレジでは合計2600円だという。レジがそういうならそうなのだろうと素直に3000円出しておつり400円もらって帰った。
「悪の秘儀」の作者ルドルフ・シュタイナーは神秘学者であり、生前数々の奇跡を行っている。彼の本には魔法がかけられていてレジの目をくらませているのだと私は勝手に考えた。

12月5日(火)
 安岡章太郎の「幸福」という小説を読んだ。

 主人公の「僕」は5円札で寝台券を買ったのだが、駅員のよこした釣り銭には5円札が入っていた。
「僕はそれにすぐ気づいたのだが、言い出せず売り場を離れてしまった。しばらくしてから、やはりいけないと思い、
「これ、お返しします」といって5円札を窓口に差し出した。駅員は、
「や、どうもすみません、わざわざ・・」と礼を言って5円札を受け取り、自分でおでこを指でたたいてみせ、
「陽気のかげんか、ここんところ、どうもいけねえや。ほんとにすみませんでした」
と、もう一度「僕」におじぎをした。「僕」の心になんだがすがすがしい喜びがわいてくるのだった。家に帰っても、その喜びは消えずにあって、母にその出来事のてんまつを話して聞かせた。母は「僕」に何の感動も表さず、
「ばかだねえ、おまえは・・」
と腹立たしげに言った。
「さっきおまえに渡したのは、あれは10円札なんだよ」
「僕」は目の前が真っ暗になる気がした。

というお話である。

 これを読んで、ますます私は確信を持った。
 釣り銭の間違いは絶対に申し出るべきではない。